幕府の首長はなぜ「征夷大将軍」なのだろうか。本郷和人氏の言う通り鎮守府将軍でも征東将軍でも都督でもよかったのだろうか。結論から言えば確かに武人に対する指揮権を象徴する「将軍」という称号であれば何でもよかったのだろう。頼朝が「征夷大将軍」を選択したのは、おそらくは「将軍」の中でも一番格が上だったから、ということになろうか。 頼朝が奥州藤原氏征伐をどのように位置づけていたのか、については諸説がある。私はこれは一種のセレモニーであったと考えている。源平合戦はセレモニーにするには大きすぎる戦いであった。勝つか負けるかという激越なる戦争の中では武家の棟梁であることを誇示することは出来ない。そもそも頼朝が武家の棟梁になるには源平合戦を勝ち抜かなければならないのだ。源平合戦を勝ち抜いた頼朝にとって、武家の棟梁であることを示す絶好の機会が奥州藤原氏討滅であった。義経を匿った罪は言いがかりに過ぎない。藤原泰