こちらで触れた亀井南冥『春秋左傳考義』(以下、『考義』)を読む機会を得たのでその感想。 『考義』は『亀井南冥・昭陽全集』(亀井南冥・昭陽全集刊行会)に収録されている。読んでいて思ったことは、杜預の注への否定的な意識で、「杜注恐非」「杜誤」「臆説」という辛辣な言葉が目立つ。その中でも 少時讀左傳。遵奉杜註。以爲金科玉條。…至有不堪噴飯者。(少時、『左傳』を読みしとき、杜注を遵奉して以て金科玉条と為せり。(中略)噴飯に堪へざる者あるに至る)(荘公三十二年経文) 杜氏好以臆言之。無不可解者。(杜氏は好みて臆を以てこれを言ひ、解すべからざる者なし)(襄公三十年経文) などは「幼いころは杜注を絶対だと思っていたが、今読むと噴飯ものだ」、「杜預は臆測でものを言うことを好んでいる」と杜注への憤懣をストレートに表現しており、『考義』の杜注に対する態度がよくわかる。 さて、『考義』を読み進めていくと気になる
昨日取り上げた『燕丹子』(http://d.hatena.ne.jp/Archer0921/20130107/1357568154)。色々と調べてみると、『平家物語』にこれと類似する一節があることに気づいた。そこで、これらの二書と『史記』刺客列伝を比べてみると相互に様々な異同が見られるので、以下の表にまとめてみた。 訂正:「田光と荊軻」の項の「荊軻と会う前に」→「田光と会う前に」 ・参考URL 『燕丹子』:http://www.cognitiohk.edu.hk/chilit/Friction/Classical%20Frictions/YanDanZi/YanDanZi.htm 『平家物語』「咸陽宮」:http://www.koten.net/heike/gen/073.html 『史記』刺客列伝:http://ctext.org/shiji/ci-ke-lie-zhuan/zh 『平家
子產曰,非相違也,而相從也,四國何尤焉,鄭書有之曰,安定國家,必大焉先。(『春秋左氏傳』襄公三十年) 【杜注】鄭國史書。 叔游曰,鄭書有之,惡直醜正,實蕃有徒。(同 昭公二十八年) 子産の賢人説話などで有名な鄭には「鄭書」というものが存在していたようだ。残念ながら、伝世文献に見えるのは管見の限りこの2ヵ所だけなので、詳細はわからない。『孟子』離婁下は 孟子曰:「王者之迹熄而詩亡,詩亡然後春秋作。晉之乘,楚之檮杌,魯之春秋,一也。 魯国の「春秋」、晋国の「乗」、楚国の「檮杌」と、諸侯が独自の史書を有していたことを伝える。杜預の注釈にあるように、「鄭書」もこのような史書の一つだろう。
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