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ブックマーク / www.nippon.com (16)

  • 鬼とは何者か―差別、偏見、排除の日本史

    多くの日人が「鬼」と聞いて思い浮かべるのは、「桃太郎」の挿絵などで目にする、角2、ギョロ目で金棒を振り回す赤鬼、青鬼だろう。かつて鬼はリアルな脅威で、古代の歴史書にはその出現が事件として記録され、鬼とみなす対象もさまざまだった。時代が下るにつれ、妖怪の一種として、主に物語の中で語られるようになる。日人にとって、鬼とは何者なのか。宗教史学者の小山聡子氏に聞いた。 小山 聡子 KOYAMA Satoko 二松学舎大学文学部教授。1976年生まれ。専門は日宗教史。2003年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。主な著書に『往生際の日史―人はいかに死を迎えてきたのか』(春秋社、2019年)、『もののけの日史―死霊、幽霊、妖怪の1000年』(中公新書、2020年)。共編著に『幽霊の歴史文化学』(思文閣出版、2019年)。最新刊に『鬼と日人の歴史』(2023年、ち

    鬼とは何者か―差別、偏見、排除の日本史
  • プーチンが最も恐れているもの

    米国のインターネットサイトThe Journal of Democracy に2022年2月22日に公開された標記の論文(原題はWhat Putin Fears Most)を翻訳し、日語版読者の皆さんにお届けする。 ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。ロシアのプーチン大統領は皆さんに、侵攻はNATO(北大西洋条約機構)のせいであると信じてもらいたいと考えている。動員された19万人に上るロシア兵や海兵ではなく、NATOの東方拡大がこの危機の主因であるとしばしば(この侵略が始まった際のロシア国民に向けた演説を含めて)主張してきた。 「ウクライナ危機は西側諸国の過ちにより引き起こされた」と主張する米国の政治学者ジョン・ミアシャイマーの2014年の『フォーリン・アフェアーズ』の挑発的な論考以来、NATO拡大に対するロシアの反動という物語がウクライナでこれまで継続してきた戦争を説明するための(正

    プーチンが最も恐れているもの
  • 参勤交代の最大の弊害は国許を顧みない若殿が育ったこと

    浅野内匠頭長矩(あさの・たくみのかみ・ながのり)、松平容保(まつだいら・かたもり)——二人とも江戸時代の著名な大名だ。長矩は赤穂藩第3代、容保は会津藩第9代の藩主。生きた時代は違うが、二人には「藩主」であるという他にも共通点があった。参勤交代制度によって生母が江戸に留め置かれていたため、江戸で生まれ、江戸で育ったということだ。 浅野内匠頭は「田舎侍」にあらず 長矩と容保二人に限ったことではない。江戸幕藩体制下の藩主たちは、ほぼ例外なく江戸藩邸で生まれ、江戸で成長した。 藩主は参勤交代によって国許と江戸とを往復するが、子は江戸に居住することを命じられていたからだ。人質である。世継ぎは江戸で生まれ、江戸で若殿として養育されるのである。 『忠雄義臣録第三』より。吉良に斬りかかる長矩を描いている。なぜこのような暴挙に及んだかについて、長矩は調べに対し「私的に遺恨あり、前後を忘れ、討ち果たそうと及

    参勤交代の最大の弊害は国許を顧みない若殿が育ったこと
    nagaichi
    nagaichi 2021/09/01
    しかし室町時代の守護在京制と違って、国許で下剋上が起こるようなことはなかったわけで。
  • 本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)

    人口2万5千人の留萌市から屋が消えたのは2010年12月。それから7カ月後、人口30万人以上でないと出店しないルールを持つ三省堂書店が出店した。それはどうしてだったのか。 4月だというのに、その日は雪がちらついた。地元の人は5月の連休が明けるまではスタッドレスタイヤを外さないという。ゆったりとした坂道を登りつめると、眼前に日海が広がる。北海道の西端にある留萌の海岸からは水平線の下へと沈むまん丸で真っ赤な夕陽を見ることができる。 留萌の坂道 美しい地名はルルモッペ(=潮の静かに入るところ)というアイヌの言葉に由来する。明治期ににしん漁により港町として留萌の地が拓けた。炭鉱業も栄え、1910年には留萌線が開通、続いて1932年には留萌港が竣工した。 昭和の頃、正月ともなると、新年を祝う人たちがこの坂道をぎっしりと埋め尽くしたものですよ。 タクシーの運転手が問わず語りに聞かせてくれた。通り

    本屋を失った街に三省堂書店が現れた日―北海道の留萌ブックセンター(上)
  • 鄧小平時代の終焉と毛沢東なき毛体制への退行:中国の憲法改正

    「鄧小平憲法」から「習近平憲法」へ——。習近平国家主席に絶大な権力が集中する中国で、その総決算とも言えるのが3月の憲法改正だった。中国法が専門の鈴木賢・明治大学教授が詳しく解説する。 鄧小平憲法からの大転換中国はこの春、第13期全国人民代表大会(以下、全国人大と略)第1回会議で、憲法を14年ぶりに改正した(2018年3月11日)。1982年に鄧小平の主導により制定された現行憲法は、これまで4度にわたり、計31カ条の修正条項を加えてきた。今回は一気に21ヵ条の修正条項を追加し、昨年10月に開催された中国共産党第19回大会で決議された内容を盛り込んだ。制憲者の意思を大胆に撤回し、部分的には原理の変更にも波及するこれまでにない大規模な改正となった。全国人大での修正案(草案)の提案説明では、今回の改正を〔不作大改〕(大幅な改正はしない。〔 〕は原語、以下同様)としているのとは裏腹に、むしろ1982

    鄧小平時代の終焉と毛沢東なき毛体制への退行:中国の憲法改正
  • 九份、このままではいけない

    今の九份に愛着を感じない「妙さん、九份を案内してください」「一青さんと九份に行きたい」 こんな言葉を掛けられるたびに、私は暗い気持ちになる。なぜなら、人を案内できるほど、私は今の九份に愛着を感じていないからだ。 九份の街は、台湾の新北市瑞芳区の山間部にあり、中心都市の台北駅から車で1時間弱の場所にある。台湾旅行のパンフレットには、大抵、メインストリートに連なる赤ちょうちんと急な石段の九份の街並みの写真が掲載されている。スタジオジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになった場所だと信じられており(実際は違うらしいが)、日人の間で九份の知名度は、台湾を象徴する観光地と形容していいほど、不動の地位を築いている。 ところが、私は、現在の九份がどうしても好きになれない。 友人や日の親戚を連れ、九份に行くたびに、がっかりさせられる。 「没有(ない)」「趕快(早くして)」「不知道(知らない)」「

    九份、このままではいけない
  • 日本の新聞業界にネットの嵐—止まらぬ部数減

    世界的な紙媒体の衰退の中で、国内で圧倒的なシェアと影響力を誇っている日の新聞にもまた深刻な影響が現れている。「言論界の雄」新聞にどのような未来が待っているのか。 日の新聞発行部数の減少が止まらない。日新聞協会の調査データによると、2013年の発行部数は一般紙が4312万6352部で、前年の4372万3161部に比べ、59万6809部、1.36%減少した。たかが「1%程度」と思うかもしれないが、50万~60万部といえば有力地方紙の発行部数に相当し、由々しき事態であることは間違いない。 しかし、これも世界的な視点でみれば、ネット社会への流れの中で起きているもので、米国では紙媒体が苦戦を続け、クオリティー・ペーパーの「ワシントン・ポスト」はネットの書籍販売で有名なアマゾン・ドット・コムの経営者に買収され、「ニューヨーク・タイムズ」傘下の「ボストン・グローブ」は米大リーグ・ボストン・レッドソ

    日本の新聞業界にネットの嵐—止まらぬ部数減
  • 第1次大戦後の大国間協調と日本外交

    20世紀の二つの世界大戦に挟まれた時代、日は帝国主義的な外交路線から国際協調路線に基づく新外交への道を模索していた。第1次大戦後の国際社会と日外交を解説する。 第1次世界大戦後から1920年代の日は、それまでの帝国主義的な外交路線を転換し、世界的軍縮の流れに沿い国際協調に努めるとともに、中国に対する内政不干渉政策を追求した。これは不利になった国際環境のもとで日が追い込まれた結果であるというイメージがあるが、それは日なりの新外交への対応であったことを述べたい。 第1次世界大戦が積極化させた自立的“対中外交” 今からちょうど百年前の第1次世界大戦の勃発は、日の対外政策、特に東アジア政策に大きな影響を与えた。1912年の清王朝の崩壊以後、中国の混乱が始まり、日中国政策は積極化、かつ多様化した(「辛亥革命が日政治に及ぼした影響」)からである。しかし諸列強間の利害対立が激しい環境下

    第1次大戦後の大国間協調と日本外交
    nagaichi
    nagaichi 2014/07/12
    これは美化しすぎw。はじめ段祺瑞、後には張作霖を支援し、北伐にも抵抗した日本が「内政干渉をやめて、中国の独立と主権を尊重し」とか「中国の混乱回復と統一についての努力を信頼して、暖かく見守る」とか冗談。
  • 揺れ動く台湾市民社会―「ヒマワリ運動」が浮上させた「多数」の意味

    馬英九政権の中国傾斜が強まる中、台湾内外に大きな波紋を投げかた「ヒマワリ運動」。その平和的抵抗運動の背景となった台湾の「新しい多数」の特徴と、新たな市民運動の今後について考察する。 学生たちによる「非暴力」抵抗運動 2014年春、台湾政治では「ヒマワリ運動」という旋風が巻き起こり、短い間に「穏やか」に収束した。 去る3月18日、前日の与党国民党が中国との「サービス貿易協定」(2013年6月調印)を立法院(一院制国会に相当)の内政委員会で審議終了・会議送付を強行した。これをきっかけに、抗議する学生が立法院会議場に突入、議場占拠を続け、「両岸(中台)協議監督法令制定前にサービス貿易協定審議についての政党間協議を招集しない」との王金平立法院長(国会議長に相当)の調停を引き出して4月10日議場を退去、運動は一段落を告げたのであった。 この間、学生の一部が行政院(内閣に相当)の建物に突入し、警

    揺れ動く台湾市民社会―「ヒマワリ運動」が浮上させた「多数」の意味
    nagaichi
    nagaichi 2014/07/10
    たしかに引き際が良かったよな。目的を達したら、さっと撤退する。大衆運動の成功例として、教科書に載せたくなる鮮やかなる手際。
  • 「右傾化」のまぼろし――現代日本にみる国際主義と排外主義

    の「右傾化」が国内外のメディアで盛んに論じられている。それは日の現状を正しく反映しているのか。集団的自衛権行使容認やヘイトスピーチなど、いわゆる「右傾化」現象の質に迫る。 「右傾化」論を読み直す 昨今、日および海外のメディアでは、現在の日における「右傾化」の傾向がしばしば論評の対象になっている。たとえば、『ウォールストリート・ジャーナル』(電子版、2014年2月26日配信)には、「アジアでの緊張関係が日に右傾化をかきたてた」(Tensions in Asia Stoke Rising Nationalism in Japan)と題する長文の署名記事が載っている。そこでとりあげられているのは、一方では『WiLL』のようなナショナリストの雑誌が売れ、中国韓国をあからさまに侮蔑する書物が大量に刊行され、選挙においても同様の主張をする候補者が選挙で多くの票を得るといった社会の「全体

    「右傾化」のまぼろし――現代日本にみる国際主義と排外主義
    nagaichi
    nagaichi 2014/07/02
    丸山真男は読んでないけど、なぜかこの筆者の丸山真男論を読んだことがある、というのはさておき。「右傾化」は左翼の弱体化と裏腹で、前世紀70年代の3割左翼が今や1割左翼に、くらいの情勢認識は必要じゃねーの。
  • 日韓関係修復が難しい本当の理由

    注:朝鮮日報記事データベース(2011年2月4日時点) において、「日」という用語を含む記事全体の中で、どれだけの記事が歴史認識紛争や領土紛争に関わる「用語」を含むかを示した(100%=1.00)。 黄=最も割合の多い時期/青=それに続く4つの時期 (出典: Kimura Kan, “Discovery of Disputes: Collective Memories on Textbooks and Japanese-South Korean Relations,” Journal of Korean Studies, Volume 17, No.1, Spring 2012) だがそれが韓国における「反日」運動が盛り上がりを見せた結果かといえば、必ずしもそうではない。事実、「反日」デモへの参加者は、中長期的には減少する傾向を見せている。時に大規模な「反日」デモが行われる中国と異なり、

    日韓関係修復が難しい本当の理由
  • 分断された記憶:歴史教科書とアジアの戦争

    歴史教科書は、海外から指摘されるように愛国主義的なのだろうか。しかし、日中国韓国台湾、米国の歴史教科書を徹底比較したスタンフォード大学の「分断された記憶と和解」プロジェクトによれば、そうした一般的な見方には根拠がないという。 日歴史教科書とその戦争記述は過去30年間、ずっと国際社会の論争の的になってきた。日歴史教科書に批判的な日国内外の人々に言わせれば、日の教科書はアジア太平洋戦争の開戦に対する日の責任や、日軍がアジアの占領地にもたらした苦難、連合国との戦闘中に行った犯罪行為への認識が欠けている。日教育当局が、検定によって学校で使用できる教科書を決定し、教科書の内容や表現を改めさせていることが、日の愛国主義的傾向を示す証拠だという。最も重要なのは、日の教科書が自国の過去について若い世代に正しく教えていないと見られている点である。 こうした見方に実体が伴

    分断された記憶:歴史教科書とアジアの戦争
  • 「鉄のカーテン」の向こうの日本料理

    旧東ドイツで体験できた唯一の日の味 自分の店でのロルフ・アンシュッツ。(Gabi Roeszler氏提供) ドイツ民主共和国、すなわち社会主義政権下の旧東ドイツ、そこにあった人口3万人ほどの田舎町を想像していただきたい。首都ベルリンから南へ300キロ以上離れた山岳地帯に位置し、世界の情勢や国際的な物品の流れなどからほとんど隔絶され、しかもあらゆる締め付けや統制が厳しかった時代のそんな町に、日のレストランを開くというのはかなり奇想天外な発想のように思える。しかし、この奇跡のような出来事が、1970年に実際に起きたのである。それは、その町に住むロルフ・アンシュッツという人物による、創意あふれるひたむきな努力が生んだ奇跡だった。 アンシュッツは料理人の家系出身で、当時、現在のテューリンゲン自由州に含まれるズールという小さな町でレストランを経営していた。彼は自らの夢をかなえるため、自分の店を

    「鉄のカーテン」の向こうの日本料理
  • 「危機は認めつつも何もしない」中国・習近平新体制人事

    2012年11月、中国共産党の新最高指導部が選出され、習近平総書記の新体制がスタートした。この新体制人事が意味することをジャーナリストの富坂聰氏が分析する。 2012年11月14日、中国共産党第18回全国代表大会(十八大)が閉幕。その翌日、十八大で選ばれた中央委員によって行われた第18期中央委員会第1回総会で新しい最高指導部が選出され、習近平総書記率いる新体制が発足した。 世界のメディアが競って予測してきた最高指導部メンバー(中央政治局常務委員)は、これまでも常務委員を務めていた習近平(59歳)、李克強(57歳)の2人に、新たに選ばれた張徳江(66歳)、兪正声(67歳)、劉雲山(65歳)、張高麗(66歳)、王岐山(64歳)の5人を加えた7人となった。 常務委員の発表を受けて日の新聞の多くは、「7人中6人が江沢民元国家主席と近い」として、人事が江沢民派(上海閥)の〝完勝〟だったという分析を

    「危機は認めつつも何もしない」中国・習近平新体制人事
  • 漫画は日本だけじゃない! | nippon.com

    の「マンガ」が世界中で読まれるようになった一方で、日人の海外コミックに対する関心は薄い。ここにも現代日人の「内向き志向」が? そんな状況に「活」を入れるべく、ひとりのフランス人が立ち上がった。 フレデリック・トゥルモンド Frédéric Toutlemonde 1978年パリ郊外リラ生まれ。パリ第7大学日言語文化学科卒。学生時代にスペインとキューバを繰り返し訪問。1999年に初めて日を訪れ、2003年より日で暮らす。在日フランス大使館に勤務する傍ら、「ユーロマンガ」誌を主宰し、「海外マンガフェスタ」の実行委員長を務める。 「日では、“マンガ”(※1)があまりにも強く、独自の発展を遂げてきた。だから日人はコミックといえば日の“マンガ”だけで、海外にも同じジャンルの文化があるということを忘れています」——そう語るのは、2012年11月18日に東京ビッグサイトで開催される「

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  • 差別的な戸籍制度が阻む中国の社会的「セーフティネット」構築

    今や世界第2位の経済大国となった中国だが、地域による大きな経済格差、そして都市への移住を制限する戸籍制度が、民主的なセーフティネットの構築を不可能にしている。 中国国民にとっての「安定」とは ことし8月下旬、北京を訪れた際に会った中国人記者の友人が、ちょうど高度成長期から現在に至る日社会の変化を論じる記事を書いていた。日に留学経験のある彼は、筆者に次のように話した。「日は財政悪化や人口減少で相当厳しい状況に追い込まれているようだが、中国と比べれば安定しているんじゃないか。町は清潔だし人は礼儀正しい。制度も整っていて首相が短い期間でころころ変わっても社会が混乱することはないしね」 その記者は普段、主に貧困や腐敗といった中国の暗い部分に焦点を当てているため、それらと比べれば、確かに日はまだ安定しているように見えるのかもしれない。実際に9月の反日デモで見たような広範囲に及ぶ暴力行為など、

    差別的な戸籍制度が阻む中国の社会的「セーフティネット」構築
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