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Ωに関するnagatafeのブックマーク (3)

  • 友人が寝取られてしまった話 ~その後~

    友人の彼女と二人で飲みにいって酷い別れ方をして以降、自分と彼女は全く接触する機会はなかった スマホを足で踏みつけながら尻を振るなどという暴挙に出てしまった以上自分から連絡は取れないし、当然彼女から連絡をしてくるわけもない もう彼女と会うこともないのかと思っていたのだが、友人結婚披露宴の当日朝、いきなり彼女から電話がかかってきた 「増田は今日の披露宴行くんだよね」「行くよ」 「私も今回のこと吹っ切るためには見届けなきゃと思ってたんだけど、二人が新郎新婦として並んでるの見たら私何言っちゃうか分からない 昨日一晩考えてこんなくだらないことに時間使うよりもっと建設的なことをしようって決めたの だから今日は行かない なので私の分のご祝儀も払っておいてくれないかな ご祝儀袋は増田のと一緒で連名でいいからさ 増田は3万円包むんでしょ それと同額で」 「分かった 立て替えとくよ」 「何言ってんの 増田

    友人が寝取られてしまった話 ~その後~
    nagatafe
    nagatafe 2020/10/27
    オメガのくせに文学してるじゃねーか
  • 果名温泉のあゆみ

    果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。 旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。 温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子

    果名温泉のあゆみ
    nagatafe
    nagatafe 2020/09/24
    pdfにしてどっかに保存しといたらよさそう
  • 徳三郎の駅前屋台

    駅前で徳三郎が五平を売る姿は、戦前の果名村の風景そのものであった。もともとは村の者ではなかった彼が屋台を営む姿は年月とともに周囲へ溶け込み、その存在に疑問を抱く者はもはやなかった。 木造駅舎の改札を出ると、小さな広場の向こうに商人宿がある。その軒先に徳三郎は質素な屋台を据え、七輪に火を起こし、金網に五平を載せて客を待つ。 森深い谷間に取り残されたような果名の駅にあえて降り立つ人々は当時それほど多くはなかった。早朝から町で用を足して帰ってきた村人を除けば、大きな荷物を担いで山間の村々を歩いてきた行商人や、近隣の温泉場から渓谷へ遊びに来る湯治客くらいであった。 そのような駅の前で生業を営む必要が何処にあったか、を買いに訪れる村人が冗談めかして尋ねたことは一度や二度ではなかった。その度に徳三郎は含羞めいた笑みを穏やかに浮かべるばかりであったという。 柔和で笑みを絶やさなかった徳三郎には村内

    徳三郎の駅前屋台
    nagatafe
    nagatafe 2020/09/24
    味わい深い。
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