中国のファッション業界誌から、タイトルのような原稿依頼を受けた。私は文化服装学院の先輩でもあるデザイナーの高田賢三氏(以下、ケンゾーさん)を例に解説しようと考え、いろいろな資料をひっくり返していたが、次第に歴史の重みが自分の肩にのしかかってきた。 まず、母校の文化服装学院の歴史を調べてたが、お二人の創業者の洋裁教育にかける情熱が伝わってきた。並木伊三郎先生は洋裁の技術者でもあり、洋裁の講習会の講師を行っている。遠藤政次郎先生はシンガーミシンの販売に関わっており、楽器メーカーのヤマハが音楽教室を開いたように洋裁教室を考えてた。このように文化服装学院は、技術畑の並木先生と営業畑の遠藤先生と二人の男性によってスタートしたのだった。 この頃の洋裁教育は、今のIT教育以上に時代の先端だった。日本人のほとんどが和装であった時代に、洋装の到来を予測し、洋裁教育を始めることは、どんなにリスキーでしり、どん
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