十二単の女性は、「おまる」のような容器を使っていた。平安時代の寝殿造は、トイレである「(御)樋殿」に、排せつ物を入れる容器である大便用の「しのはこ(清筥・尿筥)」、小便用の「おおつぼ(虎子・大壺)」を置いていた。『便所のはなし(物語ものの建築史)』(谷直樹著 鹿島出版会 1986年)によると、十二単のお姫様が樋殿に入るときは大変だった。まずお供の女が姫の打掛をとり、袴を脱がせ、長い髪を前に回して帯の間に挟む。つぎに清筥の背後に長い取手のあるT字型の支えを据え付け、ここに十二単の長い裾を掛ける。姫は裾を掛けたまま、側面は衣装で包み隠し、清筥の上にしゃがんで用を足した。 1.トイレの歴史から調査。 (1)『すまいの火と水:台所・浴室・便所の歴史(建築の絵本)』(光藤俊夫著 彰国社 1984年)p86-87「溲瓶」の項によると、平安時代の十二単の女性は、持ち運び用便器である「樋箱(ひばこ)」を用
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