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namgenのブックマーク (1,744)

  • 最近接触した街人たち | 清野のブログ

    赤羽の某所にある、閑散としたシャッター通り商店街の中に、 長年閉まったままの美容室がある。 その外観から、おそらく、とっくの昔に潰れたと思われる。 しかし、ある日の深夜通りかかったところ、 なんと美容室のシャッターが開いており、 中で老婆がドライフラワーを売りさばいていた。 (どうみてもただの枯れた花なのだが) 「ドライフラワーくださーい!」 早速接触してみた。 ぱっと見、可愛らしい優しそうなお婆ちゃんである。 ドライフラワーを100円で購入。 売れたのがやたら嬉しかったのか、 お婆ちゃんは堰を切ったように身の上話をし始めた。(勝手に) 「うちの隣の○○屋の主人は殺人犯なんだ!私んとこの大家を毒殺した後、 私にも毒を盛って殺そうとしてきやがった!警察に言っても動かないから 私が一人で戦って追い出してやったのよ!!」 「屋根裏に26歳の男が住みついている!その男が私にクスリを盛って、 昏睡強

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  • 笠間書院 kasamashoin ONLINE:西行学会

  • ヘンリー・ミラー『クリシーの静かな日々』 - 憂愁書架

    ヘンリー・ミラーの全作品は、暖かな家庭、信頼感のある職場、秩序だった社会、というものへの否定に裏打ちされています。呪詛ではありません。憎しみでもない。慇懃無礼な無関心、冷たい侮蔑と言ったらよいでしょうか。 『北回帰線』の中に、ミラーが仏米親善協定の一環としてディジョンの高校の英語教師に赴任する時のことが書かれていますが、彼はそこで働く「胸くそ悪くなる」フランス人教師たちに遠慮のない嘲笑を浴びせています。「彼らは、この世の中を機械技師、建築家、歯医者、薬剤師、教師等々でもってつくりあげているといったふうな味気ない人間の範疇に属していた。ことばのあらゆる意味で零(ゼロ)であり、立派な、あるいは哀れむべき市民の中核をなす無に等しい連中だった。ダンテが地獄の門に引き渡した無関心な人間の仲間なのだ。まるでかさぶたの皮である」(大久保康雄訳)そして彼は任が解かれるや否や校長にも誰一人にもあいさつせず駅

    ヘンリー・ミラー『クリシーの静かな日々』 - 憂愁書架
  • ナイトウルフ 武装襲撃 - [SAMPLE]ビデオながら見日記

    11/21レンタルリリース インターフィルム 原題は'Ulvenatten'(英題'Night of the Wolf')。トム・エーゲランの『狼の夜』を原作者自ら脚色して映画化した、ノルウェー製の社会派サスペンスアクションです。監督は「暗殺の瞬間」のスウェーデン人監督、クジエル・サンドバル(シェル・スンズヴァル)。 ノルウェー屈指の人気討論番組が始まる。今夜のテーマはチェチェン情勢。だが放送が始まった途端、ゲストで参加していたチェチェン人グループが立ち上がり、現役の外相ら与野党の政治家たちや女性司会者を人質にしてスタジオをジャックしてしまう。彼らの要求はロシア政府に逮捕された仲間たちの釈放と五百万ユーロの身代金、自分たちの国外脱出の確保、そしてスタジオ内の生中継だった。その映像は全世界に配信されて…。 これは中々の力作でした。犯人側と交渉人との緊迫のやり取り、ロシアの介入、やがて判明する

    ナイトウルフ 武装襲撃 - [SAMPLE]ビデオながら見日記
  • 南無さんのブロガー脱皮論の地平 - 記憶の彼方へ

    「太平洋イルカクルーズ」を読む(『南無の日記』2009-10-03) から マージナル・ソルジャーを超えてゆくもの−1(『砕かれた街』2009-10-03) に飛んだ。 図らずも、南無さんによる「ブロガー脱皮論」の核心に触れることになった。大変面白かった。 後者では直接にはN氏こと根正午氏に関する所詮マージナル・ソルジャーにすぎないブロガーから表現者=創造者への転位のポイントが主に言語の観点から説明されていたが、それはどんなブロガーにとっても他人事ではない問題だと思う。人は様々な動機、欲求、欲望からブログを始め、続け、中断し、止める。比較的長期間にわたってブログを継続し、一定数の読者を維持し続けている書き手をブロガーとしよう。南無さんの見立てによれば、ほとんどのブロガーはある質的な問題を回避して、いわば卑俗なおしゃべりに耽っているにすぎない。その質的な問題とは、「自己存在の確証への欲

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  • 病み上がりの日記 - 記憶の彼方へ

    1夢現 体がだんだん重たくなり、言うことを聞かなくなっていくにつれて意識はどんどん内向して行く。そしてしだいに外界をシャットアウトし、ついにはシャットダウンする。夢現(ゆめうつつ)の状態のなかフジモトマサルのマンガがまた読みたくなって数冊読んでしまった。記憶の強引な編集によって生と死、この世とあの世の境界を往来する主人公日菜子の「二週間の体験」を非常に巧みに描いたフジモトマサルの『二週間の休暇』(講談社, asin:4062140659)のなかにフクロウのおっちゃんがやっている「ニライ書房」という屋が出てくる。ちなみに、日菜子が迷い込む「あの世」はある意味でヒッチコックの『鳥』よりもホラーな世界であり、住人はすべて飛ぶことを忘れた、飛ぶ必要のない鳥たちである。ニライ書房に置かれているはすべて店主のフクロウのおっちゃんが書いた変な題名のばかりだ。日菜子がそんなのなかで『給水塔占い』と

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  • 渓谷0年: 幻の雪

  • 八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 昨晩は久しぶりに飲んだ。日は体に酒が残っていた。それでも悪酔いをしていなかったのは、ある基準以上のワインだったからであろう。しかし試飲会ではなくあくまでもTVシリーズの試写会パーティーだったので、それほど印象に残るワインなどはなかった。 こうした農業関係者が集う場所に出て、そうした人々を映し出す番組を試写すると、農業に無関係に過ごしている我々にとってはやはり違う関心が湧いてくるのである。ビオとかエコとか自給自足だとかの掛け声の下に議論されているようなことが如何に質に迫らないかが分かってくるのである。なにも、それだから農民の傍に立っているというのではない。 昨晩の話題で特に関連しないことを幾つか羅列してみる。そこには全体像が浮かび上がるのだが、まさに禅のように思想でも思潮でもな

    八割ほどは、本当かな - Wein, Weib und Gesang
  • 寺に住む「寺族(ジゾク)」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    今日坊守会会計を引き継いだ。順番なんだそうだ。断る理由もない。実は坊守でもない。しかし、それはいいんだそうだ。そのうちFさんあたりから強烈なスカウト受けるだろう。まあそれも仕方ない。 20代のころは抵抗があった坊守会だけど、今は女同士のおしゃべりも楽しいなとも思える。寺に住むもの同士だからわかることもある。且つ婿殿たちが「寺族(ジゾク)」と揶揄するのもわからんでもない。 最近「はなれ」をリフォームした。もう90%出来ている。設計士さんがにっこり笑って「ここに、広いタイプの、こう肘でも押せば電気が付くスイッチがつくよ」といった。「ああ、私もいずれは歳をとるからね。」といったら、「何を言ってるの、お参りにきたお年寄りが押しやすいでしょ。」と彼はいった。 おそらく「はなれ」に「上がる」のは、設計士さんがイメージするお寺に参りに来るお年寄りではない。祠堂などでお斎についていただくことがあったとして

    寺に住む「寺族(ジゾク)」 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 読み始めた - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    自ら積む功徳にとらわれて他力の信を生(しょう)ずることができない。 『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』浄土真宗願寺派願寺出版社発行 ようやく読み始めた、願寺派の『教行信証』、「浄土真宗聖典」とも書かれている。賛否両論の訳がわかった。 いつか、化身土から全部読みたいと思っていた。これなら読める。いやたぶん、ようやく読めるようになったのかもしれない。

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  • 坂のある非風景 それはそれ自身に内在しない

    轆轤の問題である。「とうの昔にすでに解決ずみと見なされてきた問題」とレヴィ=ストロースは書いている。解決したのはラウファーとフレシェというひとたちで、ふたりの古典的な解決法が紹介されている。 ラウファーは「轆轤は荷車の車輪から生まれた」とした。歴史学的である。それに対してフレシェによれば「それはまず固定台から始まり、ついで回転台に進化し、そこから単純な車輪になったあと、フライホイル付きの車輪がつけられた」という進化論的なものだった。 荷車から生まれたか固定台から生まれたか、そこに共通するのは「どうでもよさ」だった。レヴィ=ストロースは手順や部品ではなくメカニズムに注目する。つまり轆轤を用いた土器と手でこねた土器に違いが生じるためには、「ある閾値を越える回転速度を出す仕組み」が不可欠だったと語る。回転速度を出すことのできる仕組みの発見というよりメカニズムに閾値があり、その閾値を越えることが様

  • ■ - 富柏村日剩

    十月二日(金)快晴。摂氏28度でもすつかり空は秋晴れ。天道(てんだう)がだいぶ南に傾き、夏の白昼夢とは市街の様相かはり光と影の面白いコントラスト。こんな日はライカさげて町歩きしたいが悲しいかなご執務。夕方、金鐘の映画館で「建國大業」見る。この映画の題名は「建国」を用ゐてゐるし朝日新聞なども昨日の国慶節を「建国六十周年」と称してゐるが1949年は中国の「建国」なのかどうか。1949年は中国の建国の年でも一つの国(たとへば中華民国)が亡くなり新しい国家の建国の年でもなく、中国歴史で何千年と繰り返されたこの大原を掌握する一つの政権が崩れ混乱の後に次の新たな政権が現れるといふ改朝換代。精確には中共の建政六十年だらう。1949年の十月朔日に毛澤東が天安門の楼上で叫んだのは「中華人民共和国中央人民政府今天成立了!」。中華人民共和国今天成立了!、とよく略されるが中華人民共和国の成立より来は中央人民政

    ■ - 富柏村日剩
  • テレビとか、誕生日とか、ああ、自民党。: miya blog

    namgen
    namgen 2009/10/04
    お誕生日おめでとうございます。粛々と・・。
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  • ■ - 富柏村日剩

    十月朔日(木)昨夕の大雨で空も乾き晴れ間みえる。国慶節。中共建国六十周年。朝のニュースは北京での午前三時から七時間後のための!国慶祝賀パレードの準備に鳩まる軍人や学生の様子をひつきりなしに流す。香港の朝八時の国慶の国旗掲揚式と祝賀会は司法司司長が主催は行政長官筆頭に訪京が為。午前十時からの大祝賀。北京之秋。見事な青空に天高き秋の雲。大気汚染のひどい北京で「この青空はないだらう」と驚くほど。できすぎ、と思へるが北京奥林匹克運動会開会式の演出ならまだしも、さすがに中国共産党とて消雨ロケット弾打ち上げ雨雲は散らせても青空広がる快晴にまではできない、しない、と思ひたいが。でも国家の体面のためには何でもありだし。中央電視台の中継眺めてゐるとカメラによつて空の青さが微妙に違ふ。でも午前十時の式典で東から軍の行進が西に進むと思ふと東空は逆光だし西の空は青く映るだらう。カメラの性能も違ふし。少しは色をいぢ

    ■ - 富柏村日剩
  • 朝日歌壇の入選作から郷隼人と坂口弘 - mmpoloの日記

    朝日歌壇の選者は4人いて、私が好きなのは馬場あき子だ。9月28日の朝日歌壇で馬場あき子が第1席に選んだのがアメリカ在住の郷 隼人だった。郷はアメリカ在住だが正確にはアメリカの刑務所に終身刑で入っている。殺人を犯したらしいが詳しいことは分からない。名前もペンネームだ。出身地の鹿児島には年老いたお母さんが住んでいる。 病む母へ三味線草を押し花としてお見舞いのカードを贈らん 馬場あき子の評。 第1首の郷さんのお母さんは高齢で、病んでいる。その見舞いにもゆけず、慰めの品も贈れない悲しみが、子供の日に馴染んだ三味線草にこもっている。 三味線草はぺんぺん草、ナズナだ。小さな実が三角形で三味線のバチに似ているのでこの名がある。寂しい草だと思う。 死刑が確定してから投稿が禁じられて、朝日歌壇から姿を消した坂口弘のことを思い出す。郷も坂口も良い歌を詠む。その坂口が最初に朝日歌壇に登場したころの短歌。 クリス

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    超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選 ああ。いかにもインターネット!みたいなタイトルをつけてしまった。 「超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選」て。読んでほしすぎて大仰な形容詞をつけて数字を入れて読み手の注意を引くタイトル、もうネット記事まるだしである。 でも、わかってほしい。…

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  • John Coltrane | September 23, 1926

  • アナトール・フランス著『赤い百合』を愉しむ - 壺中水明庵

  • 相変わらず見えない敵と戦っている - hayakarの日記

    相変わらず見えない敵と戦っている - hayakarの日記