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  • みえぬけれどもあるんだよ、 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    三日間の夏の永代祠堂経法話も今日まで。夏休みの宿題と、夏休みが終わる。 今回三日間のテーマは金子みすずの詩『ほしとたんぽぽ』。 「ほしと たんぽぽ」 あおい おそらの そこふかく、 うみの こいしの そのように、 よるが くるまで しずんでる、 ひるの おほしは めに みえぬ。 みえぬけれどもあるんだよ、 みえぬ ものでも あるんだよ。 ちって すがれた たんぽぽの、 かわらの すきに だァまって、 はるの くるまで かくれてる、 つよい その ねは めにみえぬ。 みえぬけれどもあるんだよ、 みえぬ ものでも あるんだよ。 『ほしとたんぽぽ』金子みすず絵 より 今回何を話さしてもらおうか、いつものように焦って、友人の寺報に目を通していました。40年前に先生に言われた言葉を思い出したのだという。「寺ほど、念仏に遠いところはない」という言葉。時代は「お東紛争」といわれた教団問題の真っ只中だっ

    みえぬけれどもあるんだよ、 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く
  • 別れは辛いが、、 - 記憶の彼方へ

    いつも風太郎を毛だらけよだれまみれになるのも厭わずにもみくちゃにして可愛がってくれた上野さんは、古いがよく手入れされたとても良い感じのドイツ車に二〇年以上乗ってきた。しかし、最近いつの間にかその車を見なくなったと思ったら、今朝、お宅の前で真新しい白い日車に乗って出かけようとする上野さんに出会った。運転席の窓が開いた。上野さんは堰を切ったようにその経緯を説明してくれた。故障した部品が日ではもう手に入らない、という。ドイツに注文したら結構な金額の上に納品に三ヶ月以上もかかってしまう。いままでも修理にずいぶんとお金をかけた。もうそろそろ限界だ。愛着が大きいが、手放した。そういうことだった。上野さんは昨年年老いた愛犬を亡くした。(風太郎がその犬にそっくりだったらしく、衰弱していく風太郎を、我が子のように可愛がって励ましてくれたのだった)。そして今年年老いた車に別れを告げた。上野さんは無念さを噛

    別れは辛いが、、 - 記憶の彼方へ
    namgen
    namgen 2009/09/08
    いいですねぇ♪
  • 47NEWS(よんななニュース)

    台風7号…さいたま市、避難所を開設へ 土砂災害警戒区域の4区9カ所で午前9時から 西区、見沼区、緑区、岩槻区の学校など

    47NEWS(よんななニュース)
  • miya blog:SSブログ

  • トムセンと突厥文字 - 亜細亜通報〜ユーラシア大陸のトルコ系諸民族と日本のあれこれ

    18世紀初に突厥文字で刻まれた古代トルコ語碑文が発見されて以来,19世紀末までモンゴルやシベリアで突厥碑文が多く発見された。8世紀に突厥民族が活躍していた頃に作られた。突厥の歴史については,護雅夫著『古代遊牧帝国』(中公新書)がコンパクトにまとめられている。 突厥碑文を解読したのは,デンマークの言語学者ヴィルヘルム・トムセン(Vilhelm Thomsen, 1842-1927)であった。トムセンは,印欧比較言語学者として,ギリシア語,ラテン語,梵語など多くの言語に通暁していた。彼が言語学者として歴史に名を残すことになったのは突厥文字の解読であった。 未解読文字の解読に関しては,古代エジプトの象形文字解読のシャンポリオンが有名である。シャンポリオンが象形文字を解読する糸口を見いだしたのは,現在大英博物館に展示されている《ロゼッタストーン》に刻まれた王の名前であった。《ロゼッタストーン》は聖

    トムセンと突厥文字 - 亜細亜通報〜ユーラシア大陸のトルコ系諸民族と日本のあれこれ
  • Ерак Көнчыгыгыштагы татар-башкортлага ни булды - 亜細亜通報〜ユーラシア大陸のトルコ系諸民族と日本のあれこれ

    НадирДәүәт, Ерак Көнчыгыгыштагы татар-башкортлага ни булды, Kazan 2005, 99c. (Nadir Devlet, Yırak Könçıgıştagı Tatar-Başkortlarga ni buldı, Kazan 2005, 99p) <タタール語,400部出版> トルコの研究者で自らも奉天(現瀋陽)生まれのタタール人であるNadir Devlet教授が『極東でタタール・バシュコルト人たちに何があったか』という題名で極東のタタール人コミュニティーの歴史について,タタール語で出版している。99頁とコンパクトではあるが,満洲や日移住したタタール人を知る上で参考になる。掲載されている写真は個人蔵のもので未発表のものばかりである。タタール人経営の小田原の洋服店の写真など珍しいものも掲載されている。 Nadir Dev

    Ерак Көнчыгыгыштагы татар-башкортлага ни булды - 亜細亜通報〜ユーラシア大陸のトルコ系諸民族と日本のあれこれ
  • 坂のある非風景 冷えてゆく美しさ

    水の音が漏れている シンクをピカピカに磨けば 羅刹がわたしの骨に火をつけてゆく 仄暗い夜明けである そればかりか清らかな匂いとともに 猛追してきたのは二月八日の雨だ 中足骨 足根骨 腓骨 脛骨 排水溝にはためきながら落ちてゆく 金魚の紅いひれがわずかに見えたような気がするが 罠 なのだ 最初、テキストのない、作者自身による朗読としてこの詩と出会った。音楽として届けられたそれは「古典的」に聞こえた。そして「聞こえる詩」というものに私が不慣れであることを思った。もし読む詩なら、そこに書かれていない言葉が語る声を行間に読むことができる。では聞こえる詩の行間はいったいどこから届けられるだろう。聞こえない声によって? 聞こえない声を聞く聴覚が必要だ。何かを語っている沈黙と何も語っていない沈黙を聞き分ける耳が必要なのだ。 古典的という印象は、「格調」への寄りかかりからやってくる。それはどれほど自覚的で

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  • すばらしい満月を見る | A VIEW FROM PARIS パリから観る --- Le savoir, c'est le salut ---

    2001年、突如フランス語に目覚め世界が広がる。日常の偶然を愛し、そこから物語を紡ぐのが人生との思いに至る。ここでは2007年秋から始めたパリ生活を綴ります。paul.ailleurs@gmail.com by paul-paris

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  • 花のように本を愛でる - 記憶の彼方へ

    先日、「花と」と題したエントリー(http://d.hatena.ne.jp/elmikamino/20090831/p2)を書いた。その日ちょうど届いた三冊の洋書の外観を花のように眺めた時の印象を敢えて大きな写真とともにごく簡単に記した。自宅裏に毎年咲くエゾアカバナの可憐な小さな花の写真と並べた。なぜそういうことをしたかというと、その三冊はパッケージとしてのの質がかなり高いと感じたからだった。決して高価なではないし、豪華な装幀でもない。むしろ質素と言ってもいい印象さえある。それにもかかわらず、中身の魅力を感覚的に最大限に引き出したような質の高いパッケージなのだ。ここでいうパッケージとは書き手と読み手が出会う場と言ってもいい。その質が出会いを大きく左右するといってもいいだろう。その点で、その三冊は手に取った瞬間、いや、見た瞬間に、「いいだ」と思った。後から実際にいいだと納得もした

    花のように本を愛でる - 記憶の彼方へ
  • 12号画伯 時の人を描く - ぎゃらりい・じぞう

    え。もはや鳩山になるん? 麻生ってもう終わるんけ? 麻生のまえはだれだっけおかあさん。 「・・・あなたとは違うんですの人。」 ああ福田だ。福田のまえは。 ええっと。安倍だ。そんで小泉だ。 小泉のまえ。小泉のまえは? 「ううんと・・・・・ああ。ヤクザや。」

    12号画伯 時の人を描く - ぎゃらりい・じぞう
    namgen
    namgen 2009/09/02
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  • 起死回生への自転車行脚 - Wein, Weib und Gesang

    ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546) 明日は街道筋が自転車解放になる日である。車の通行が出来なくなるのでその前にパンを取りに行って歩ければと思っている。同じようなパン屋の支店が違う町に出来たのだが「少し遠く森がないので意味がないかな」と人に言うと、「歩いて行けばいいじゃない。六キロぐらいしかない筈よ」と言われた。なるほどあの方向なら殆どがワインの地所であるので歩きやすい。一時間で往復出来る。平地だから走ればもっと早い。 自転車と言えば、日の政権交代について選挙戦の様子を伝える中に自転車選挙について触れられている。自転車選挙を始めたのは横山ノックだと思うが今やなかなか面白い事象として世界で伝えられている。なるほど車を使わずに自転車で有権者の中に入って行くのは良いアイデアだ。きっと明日もドイツワイン街道を走る代議士候補

    起死回生への自転車行脚 - Wein, Weib und Gesang
  • 憂鬱な月曜日の朝のゴーマンな独り言 - 記憶の彼方へ

    いままでの自分を他人のごとく突き放して、どこまで見切ることができるか。そして新しい地平に抜けることができるか。カッコつけて言えば、そういうことが賭けられていると薄々感じています。少し前まで自分がいた、そして了解していると思っていたはずの現実がまるで違う姿をして立ち上がってくる、世界の地平がひっくり返る、目からウロコが落ちる、新しい光が当てられる。 でも、新しい自分のいる地平を見渡しても他には誰もいない。あっちこっち歩いてみるしかない。でも、誰にも出会わない。仕方ない、これぞ荒野、コーヤ、wasteland。自分で楽しめる場所をあちらこちらに作るしかない。友だちのいない、できない子供が砂場で一人遊びしているようなもの。そんな彼/彼女のところに、一緒に遊ぼう、と声をかけてくれる奴がひょっこりと現れる。きっと彼/彼女も同じように一人遊びをしてきたんだろうな、と微かな共感が生まれる。そしてワクワク

    憂鬱な月曜日の朝のゴーマンな独り言 - 記憶の彼方へ
  • レッシング・レゲンデ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    隆明インタビューのDVDが届いた。「吉隆明語る 思想を生きる」。京都精華大学創立40周年記念事業として作成されたもので、聞き手は同大学名誉教授の笠原芳光、webで申し込めば無償で送ってくれる。インタビューは2008年12月。今年の1月にNHKで放映された講演とそうかわらない時期だから、ことばも幾分か覚束なくなっている頃のものだ。1時間ほどのインタビューで、60年安保の頃などを回顧した内容それじたいに特に目新しいものはない。 ただひとつ、1960年頃、京都精華大学初代学長の岡清一と平野謙のふたりが、思想的立場をこえて自分(たち)に好意を寄せてくれているのを感じた、それが支えとなっていた、と吉が述懐しているのにおやと思った。岡清一に『自由の思想』(岩波新書)という著書があるが未読であり、どういう人であるか知らない。もうひとりに平野謙の名があがったことにやや意外な念いを抱いた。笠原芳

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  • 堕落と風景の破壊 - 記憶の彼方へ

    辺見庸による渾身のチェット・ベイカー論「甘美な極悪、愛なき神性」の中の言葉。 ああ、人はここまで堕ちることができるのか。にもかかわらず、いや、だからこそ、ここまで深くうたえるのか……。 (辺見庸『美と破局』毎日新聞社、2009年、18頁、asin:4620318000) 藤原新也にとってインドの旅は、世界を風景化、光景化してしまう文明の傲慢な視点を壊す働きをした。彼は、風景や光景、景色をそういうものとして成り立たせる、すでに疎外され虚勢され乾涸びた精神が、風景以前の荒々しくも美しい自然、大地と風、花と蝶に急速に接近して行き、そこで、そのなかで、大地そのもの、風そのもの、花や蝶そのものに「成る」境域に触れる。 彼らの肉体は、風景という形式の中に組み込まれた小さな立木のように、風が吹けば、その風の吹くように、ふところを開けて通してやるのであって、ことさら風をさえぎるわけではない。風の吹く間、彼

    堕落と風景の破壊 - 記憶の彼方へ
  • あんた、フリーかい - 記憶の彼方へ

    毎朝撮らせてもらっているダリアの写真を数枚一度届けてからは、塚さんは出会うたびに渋い笑顔で感謝の短い言葉をかけてくれるようになった。そして大抵育てている花や野菜、それから椎間板ヘルニアの話になる。私のように散歩できるのが羨ましいとこぼす。今朝は、それだけでなく、「毎朝写真撮って歩いてるけど、あんた、フリーかい?」と聞かれた。フリーの意味に一瞬戸惑ったが、「そんなとこですが、これでも、一応、働いてます」と答えた。Bさんはそれでは納得しない疑いの表情を浮かべた。「まだ夏休みなんです」と付け加えると、納得した様子で、「ガッコーカンケーか、、。もう、てっきりフリー(引退の意味)かと思ったよ」と言って、ご人もこの三月までは学校関係の仕事をしていたが、もう止めた、さばさばしたと言って、茄子の育ち具合をチェックしはじめた。とまれ、私は「フリー(自由)」と見られたことが、どこかこそばゆくも嬉しかった。

    あんた、フリーかい - 記憶の彼方へ
  • 集英社、5億所得隠し 国税指摘 : 金融ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • 東北旅行記 2 - トンボロ

    サービスエリアの芝生に張ったテントから這い出すと、雨はすでに上がり、朝日が差していた。台風の進路を確かめるため休憩所のテレビを見に行く。台風と合わせて強い地震にも見舞われた静岡が映されている。 遅れて起きてきた二人とコーヒーを飲みながら旅程について話した。彼らはともに青函フェリーで北海道へ渡り、会社員のTさんは飛行機で帰路に着く。大学生のK君は出会った人々に千羽鶴を折ってもらい、ひめゆりの塔に届けるまで旅行を続けるという。頼まれたので俺も一羽の鶴を折った。テントの前で記念写真を撮り、車に向かって手を振る二人を撮らせてもらい、住所交換をして別れた。 従業員用出入口の場所を人に教えてもらい、高速道路の外へ出る。一般道までは結構な距離を歩くから頑張ってと励まされた。今回は軽登山を履いているから何キロでも難なく歩いていける。雨上がりの道に落ちている栗、浄水場の遺構、咲いている黄色い花、飼料の積ま