人はなぜ大きなグループを作って、それに入らない人をいじめるの? 21/03/07まで 子ども科学電話相談 放送日:2021/01/10 #子ども科学電話相談#ココロのハナシ#カラダのハナシ#サイエンス かなさん(小学5年生・長野県)からの質問に「心と体」の大日向雅美先生が答えます 大きな集団は間違った優越感を持つようになり、少数意見に同調圧力をかけ、かなわないといじめてしまう だけどそんな人たち、実は弱いの。自分で考えることをストップして、不安におののいているのよ

先日、この連載を読んでくれている他社の担当編集と打ち合わせという名のZoom雑談をした折に趣味の話になり、「じゃあ結局履歴書ウケのいい趣味ってなんなんですかね?」と訊かれたので、私は「そりゃ、スポーツに決まってますよ」と自信をもって答えた(ちなみにその担当氏の考える履歴書ウケのいい趣味は「バス釣り」だそうです)。賭けてもいいが、一年に百冊本を読むやつより、月に一回家の周りを走って「趣味・ジョギング」と書くやつのほうが履歴書の上では強い。なぜならこの世は筋肉と汗と根性が文化や知性やセンスよりも尊ばれる体育会系の世界だからだ。お前らも私も一日中インターネットに浸かって休日も漫画を読んだりエルデンリングをやって家から一歩も出ないからピンと来ないだろうが、この世で一番えらいのはスポーツをするやつなのだ。この世は体育会系が筋肉で回している。運動を嗜まない我々は二級市民である。 私は運動ができない。自
変な夢を見た。 夢の中で自分は「殺人大根」を売る行商に同行する見習いだった。 殺人大根というのは、食べると死ぬ大根だ。安楽死するために使われており、先のない病人とかが買い求める。 輪切りにして調理した状態で売っているので、買ったらすぐ食べられる。そして死ねる。 行商に同行しているという設定なのだが、行商の姿は見えないし声も聞こえない。まあ夢というのは理不尽なものだ。 さて、一軒の古い民家を訪れた。そこには老女が一人で住んでおり、重い病気を患っていてもう長く生きられないという。 このまま苦しむくらいなら、殺人大根を食べて楽になりたいというのだ。 こちらも商売なので、毎度ありがとうございます、とお代をいただいて大根を一切れ渡す。 行商と同様、老女の顔も見えないし声も聞こえない。私は軽い相貌失認の気があるためか、夢に出てくる人の顔が見えない(首から下しか視界に入らない)ことが多い。 しかし、老女
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この画像を大きなサイズで見る 日本だと10人に1人、アメリカだと5人に1人くらい。そう少なくはない人々が、心の奥底で黒い犬を飼っているという。その犬の名は「うつ病」。追い払おうとすればするほどその存在は大きくなる。だけど飼い慣らすことができるようになると、不思議と気持ちが軽くなり、あんなに大きかった黒い犬がかわいらしい子犬にも見えてくるんだ。 この動画は、世界精神保健デーを記念して世界保健機構が、ニュージーランドのイラストレーター、マシュー・ジョンストン氏の絵本ぼくのなかの黒い犬を元に映像化したものだ。これが大反響を呼び、動画の再生回数は650万回を突破している。 I had a black dog, his name was depression この世界では、何百万人という人がうつ病と戦っている。多くの人やその家族は、うつ病の苦しさを話すことをためらい、どこに助けを求めていいのか分から
こんばんは。似たようなところのある方からお話が聞けて嬉しいです。ありがとうございます。 私は子どもを持たないつもりで生きてきました。それは生まれてくる子どもの幸せなどとは一切まったく関係なく、自分の人生にとり重荷になるだろうということ、自分がその重荷に耐えられないと考えていたからです。 妻と2人で生きたくて、20代前半で結婚しました。この件も妻と何度か話しましたが、30歳前で妻が「やっぱり子どもが欲しい」と言い出し、私も同意して作りました。 「発達障害(ASD、ADHD、LD)」の診断はまだ下りていませんでした。IQが全体で見ると「低め」であり、低いところをみると知的障害のゾーンが半分あるというのも知りませんでした。とはいえ、もともと学校にも行けませんでしたし、勉強にもついていけませんでしたから、自分の脳に何か知的な、精神的な問題があるということは僕も妻も認識していました。 子ども作ること
昔、カツアゲにあった。 当時中学一年生の自分に、同じく中学生くらい(おそらく年上)が突如金を貸してくれと申し出てきた。 しかし、私は今コンビニでパピコを買ってしまったが為、手持ちは十数円くらいしかなかった。 これはあまりに小銭が少なすぎて、出しても殴られるのではないだろうか? 出しても出さなくても殴られる世界線に私は戦慄した。 尚も出すように要求する中学生に、何故か申し訳ない気持ちすら感じながら財布を目の前に出し、ひっくり返して中身を見せた。 ……8円。 「えっ」 中学生があまりの少なさに声を漏らした。 「えっ」 私も予想よりも少なかった金額に驚きの声を上げた。 しばらくお互いに気まずい沈黙が訪れた。 しかも、その日は母が迎えに来る事になっていた為、家に電話をする約束をしていた。 その電話代がないという事態に陥っている事にこの時初めて気がついた。 もはやカツアゲどころではない。 何故私はパ
学生の頃から知っている人が亡くなってしまった。 それは、立春をほんの少し過ぎた頃のこと、春の気配も足音も聞こえない2月の寒い晩に、その人は自宅の洗面所で倒れてそのまま帰らぬ人になったのだと言う。 享年52歳。 同年代というにはやや年上ではあるけれど、それでも10歳は違わないその人が亡くなったと聞いた時 「ああ、私もとうとう知人友人を亡くす歳になったんだなあ」 私はもう20年ほど前から知っている筈のその人の突然の死を悼むとともに、健康な人も、ちゃんと成人して仕事をして生きていた人も死んだりするものなのだなあと、そんな当たり前のことにとても驚いてちょっとぼんやりしてしまった。 それは私がこの4年程の間に、心臓病のある娘の関係で知り合った子ども達の中で、例えば1歳とか2歳とか4歳のまだ年端もゆかない子ども達が、生まれつきいろいろの問題のある身体と臓器では自らの命を支え続ける事ができずに、退院すら
いま日本社会で大きく膨れ上がった「スピリチュアル市場」。 特に近年は「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」に代表されるような妊娠・出産をめぐるコンテンツによって、女性とスピリチュアリティとの関係性はより強固なものとなっています。 しかし、こうしたスピリチュアリティは容易に保守的な家族観と結びつき、ナショナリズムとも親和性が高いことは見逃せません。 そして、これまでフェミニズムがとりこぼしてきたとも言える、この社会で「母」になろうとする女性が抱く不安とスピリチュアリティとの危うい関係について、その構造を解明する試みが社会学者の橋迫瑞穂さんによる『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』です。 今回はゲストに、話題作『「グラップラー刃牙」はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ』などの著者であり、社会学研究者の金田淳子さんをお迎えしました。 「フェミニズムに立脚しながらセクシュア
世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯食って寝て暮らしている。 俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。 そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。 親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど) 小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりと
つれづれに思いつくまま 萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』が出版されてから心がざわついて落ち着きません。 どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、凄く残念な気持ちです。 何がいけなかったのか? 誰が悪いのか? いくら考えても答えが出ないのです。 人生に「誤解」はつきもの。そう理解していても口惜しい… 5年前に『少年の名はジルベール』を出版して以来、萩尾先生のところにドラマ化や対談のオファーが相次ぎ、ご迷惑をおかけしていたらしいことを『一度きりの大泉の話』を読んで 知り、驚きました。本当に残念に思います。ですが…誤解が多々あるようなのです。 それが原因で心が落ち着かないのかも?と思い、マネージャーとして知っていることだけを忠実に、せめてblogにでも書き綴ってみようと思い立ちました。 ドラマ化については『少年の名はジルベール』の出版以来、二度ほどオファーが来て、私達も断るのに苦労し
「あのこ」が誰なのか、映画がはじまるや否やわたしたちはすぐに察する。元旦の東京をタクシーで移動する彼女の身なり、運転手のどうでもいい話に返事をせず、かといって流れる夜景にも関心を示さない物憂げな表情。そして立派なホテルで豪華な食事を楽しむ彼女の家族を見て「このこが貴族」だと確信する。じゃあわたし(たち)はなんだろう。 映画『あのこは貴族』はあらゆる「対比」が散りばめられた作品であり、その対比はタイトルから既にはじまっている。家族との優雅な会食とそこでの話題、「おばあちゃま」呼びなどなど、わたしたち観客は華子との生まれ育ちの比較をせずにはいられない。 →読む前に『あのこは貴族』をもう一度観る 視覚的に描かれた “映画的対比” 華子は自己主張がなく流れに逆らわない人物に見える。その性格は彼女のファッションにも表れている(服装やヘアメイクで人の内面をアレコレ推測するのは失礼だけど、映画なので!)
重曹で冷蔵庫磨けば救われるなんて話になって、そこから「生活にお金かけられるのなら、弱者じゃない」と言われているようだけど、じゃあ、自分みたいに、手取りが少ないせいでお金をかけない「丁寧な生活」を強いられてれば、弱者男性認定してもらえるの? 読ませる文章なんて書けないから箇条書きだけど、 40歳過ぎ。童貞。女性と付き合った経験なし。友達は、いじめられていたので、そもそも会いたくない。 片親で兄弟なし。親は今は高齢者住宅。入居金は全額自分が支払った。親の弟は亡くなっていてほぼ天涯孤独。 若ハゲ、アトピー痕。コミュ障。 ある資格持ちだけど自分の容姿とコミュ障で開業してうまくいくわけがないので、ずっと法人に雇われてる。税金、財形天引き後の手取りは月18万円ぐらい。そこからiDeCoと積立NISAを合計6万円をマイナス。親の高齢者住宅費用を5万円をマイナス。 今のテレワーク率は6割程度だけど、コミュ
NEON GENESIS EVANGELION 3 アーティスト:TVサントラ,高橋洋子,Aya,Aki,Rei発売日: 1996/05/22メディア: CD ※この文章はシン・エヴァンゲリオンの感想というよりTV版・旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』の昔話ですが、シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含みます。ネタバレが嫌いな人は読まないでください。 ※BLOGOSの担当者のかたへ:この文章は転載しないでください。 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開から1週間分の感想エントリまとめ - まなめはうす 今日までにシン・エヴァンゲリオンについてたくさんの人が感想や論評を書いていて、個人史が伝わってきたりもして面白かった。ところが自分はシン・エヴァンゲリオンの感想や論評が書けない。それよりも、TV版25話・26話と旧劇場版『Air/まごころを、君に』のことばかり思い出してしまう。また、式波アスカ
あのこは貴族を観たので気づいたこと、思ったことを。 ネタバレ100%なので、気になる人は読まないでくださいね。 まず相関図。 これネットの拾い画なんだけど誰の作った画像か分からなくてすみません、、ご指摘があればクレジットつけますor消します。 ○バッグ ・華子が冒頭で椿山荘に参上したときのバッグはわからず。 おお!と思ったのは離婚歴のある美容皮膚科医の麻由子が持っていたのがブルガリのセルペンティだったこと。 これね。玄人の浪費家っぽさが伺えます。美容皮膚っぽーい。 ・華子がお出かけするときに使っていたのがエルメスのバーキンやシャネルのマトラッセという、「お母さんのお下がり」もしくはお母さんに借りてきたやつっぽいところも印象的でした。セルペンティの姉と比べて、自分で何も選んでいない感。 ネイリストさんから男性を紹介してもらうときに着ていたジャケット、あれもシャネルなのかなあ。 幸一郎と別れて
※編集部注:映画本編鑑賞後に読むことをお勧めします 弟子の的川泰宣によれば、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫は生前、「独創力を発揮するための三条件」を以下のように語っていたという(※)。「一度決心したことは、石にしがみついてでもやり遂げる強い意志」を持つこと、「過去にどんな人がいて、何をやったかを徹底的に学習」すること、そして、独創的な仕事が埋もれないように、「他の人とのネットワークをしっかり築いてよい関係を作っておくこと」。読んだ瞬間、ひとりの人物を思い浮かべた。庵野秀明だ。 前作「Q」から8年以上の時を経て公開された、シリーズ完結編となる「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。新劇場版プロジェクトの始動からは、およそ14年になる。最初のテレビシリーズからカウントすれば、足掛け25年。テレビシリーズの準備期間もカウントすれば、ほぼ半生をかけたプロジェクトだ。 完成した映像
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