7/10更新しました、なんとワニブックスさんから正式に書籍化決定したとのこと!!!!!おめでとうございます!!!!!!!! 完走おめでとうございます 最終話前に全話消えてしまったあのときの喪失感…また読めてよかった…
昔、カツアゲにあった。 当時中学一年生の自分に、同じく中学生くらい(おそらく年上)が突如金を貸してくれと申し出てきた。 しかし、私は今コンビニでパピコを買ってしまったが為、手持ちは十数円くらいしかなかった。 これはあまりに小銭が少なすぎて、出しても殴られるのではないだろうか? 出しても出さなくても殴られる世界線に私は戦慄した。 尚も出すように要求する中学生に、何故か申し訳ない気持ちすら感じながら財布を目の前に出し、ひっくり返して中身を見せた。 ……8円。 「えっ」 中学生があまりの少なさに声を漏らした。 「えっ」 私も予想よりも少なかった金額に驚きの声を上げた。 しばらくお互いに気まずい沈黙が訪れた。 しかも、その日は母が迎えに来る事になっていた為、家に電話をする約束をしていた。 その電話代がないという事態に陥っている事にこの時初めて気がついた。 もはやカツアゲどころではない。 何故私はパ
学生の頃から知っている人が亡くなってしまった。 それは、立春をほんの少し過ぎた頃のこと、春の気配も足音も聞こえない2月の寒い晩に、その人は自宅の洗面所で倒れてそのまま帰らぬ人になったのだと言う。 享年52歳。 同年代というにはやや年上ではあるけれど、それでも10歳は違わないその人が亡くなったと聞いた時 「ああ、私もとうとう知人友人を亡くす歳になったんだなあ」 私はもう20年ほど前から知っている筈のその人の突然の死を悼むとともに、健康な人も、ちゃんと成人して仕事をして生きていた人も死んだりするものなのだなあと、そんな当たり前のことにとても驚いてちょっとぼんやりしてしまった。 それは私がこの4年程の間に、心臓病のある娘の関係で知り合った子ども達の中で、例えば1歳とか2歳とか4歳のまだ年端もゆかない子ども達が、生まれつきいろいろの問題のある身体と臓器では自らの命を支え続ける事ができずに、退院すら
いま日本社会で大きく膨れ上がった「スピリチュアル市場」。 特に近年は「子宮系」「胎内記憶」「自然なお産」に代表されるような妊娠・出産をめぐるコンテンツによって、女性とスピリチュアリティとの関係性はより強固なものとなっています。 しかし、こうしたスピリチュアリティは容易に保守的な家族観と結びつき、ナショナリズムとも親和性が高いことは見逃せません。 そして、これまでフェミニズムがとりこぼしてきたとも言える、この社会で「母」になろうとする女性が抱く不安とスピリチュアリティとの危うい関係について、その構造を解明する試みが社会学者の橋迫瑞穂さんによる『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』です。 今回はゲストに、話題作『「グラップラー刃牙」はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ』などの著者であり、社会学研究者の金田淳子さんをお迎えしました。 「フェミニズムに立脚しながらセクシュア
世の中大変なことになってるなあと思いながらぼけーーーーっとネットやらテレビやら見て、好きな時にシコって飯食って寝て暮らしている。 俺は障害者だ。頭の方の。もともとアスペルガーだか自閉症だか知らないが、よくわかんねえけどとにかく一回就職して、働いて、しばらく耐えて、ぶっ壊れた。 そもそも生まれたときからおかしかったんだよ。だって生後3年間意味のある言葉をひとつもしゃべらなかったっていうんだから、そりゃおかしいよな。 親も医者に相談するなりすりゃよかったのだが、自分の子供がそういう子だと認めたくなかったんだろう、心療内科の類への来院歴は全く残ってなかった。(これ障害年金請求するときに調査が入るらしいのよ。そういわれたってだけだからほんとかは知らんけど) 小学校に上がっても「変わってるね」「おかしいよ」「あいつ面白いぜ」なんつって珍獣扱いされてちょっかいかけられてたし、学校の窓を蹴って割ったりと
つれづれに思いつくまま 萩尾望都先生の『一度きりの大泉の話』が出版されてから心がざわついて落ち着きません。 どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、凄く残念な気持ちです。 何がいけなかったのか? 誰が悪いのか? いくら考えても答えが出ないのです。 人生に「誤解」はつきもの。そう理解していても口惜しい… 5年前に『少年の名はジルベール』を出版して以来、萩尾先生のところにドラマ化や対談のオファーが相次ぎ、ご迷惑をおかけしていたらしいことを『一度きりの大泉の話』を読んで 知り、驚きました。本当に残念に思います。ですが…誤解が多々あるようなのです。 それが原因で心が落ち着かないのかも?と思い、マネージャーとして知っていることだけを忠実に、せめてblogにでも書き綴ってみようと思い立ちました。 ドラマ化については『少年の名はジルベール』の出版以来、二度ほどオファーが来て、私達も断るのに苦労し
「あのこ」が誰なのか、映画がはじまるや否やわたしたちはすぐに察する。元旦の東京をタクシーで移動する彼女の身なり、運転手のどうでもいい話に返事をせず、かといって流れる夜景にも関心を示さない物憂げな表情。そして立派なホテルで豪華な食事を楽しむ彼女の家族を見て「このこが貴族」だと確信する。じゃあわたし(たち)はなんだろう。 映画『あのこは貴族』はあらゆる「対比」が散りばめられた作品であり、その対比はタイトルから既にはじまっている。家族との優雅な会食とそこでの話題、「おばあちゃま」呼びなどなど、わたしたち観客は華子との生まれ育ちの比較をせずにはいられない。 →読む前に『あのこは貴族』をもう一度観る 視覚的に描かれた “映画的対比” 華子は自己主張がなく流れに逆らわない人物に見える。その性格は彼女のファッションにも表れている(服装やヘアメイクで人の内面をアレコレ推測するのは失礼だけど、映画なので!)
重曹で冷蔵庫磨けば救われるなんて話になって、そこから「生活にお金かけられるのなら、弱者じゃない」と言われているようだけど、じゃあ、自分みたいに、手取りが少ないせいでお金をかけない「丁寧な生活」を強いられてれば、弱者男性認定してもらえるの? 読ませる文章なんて書けないから箇条書きだけど、 40歳過ぎ。童貞。女性と付き合った経験なし。友達は、いじめられていたので、そもそも会いたくない。 片親で兄弟なし。親は今は高齢者住宅。入居金は全額自分が支払った。親の弟は亡くなっていてほぼ天涯孤独。 若ハゲ、アトピー痕。コミュ障。 ある資格持ちだけど自分の容姿とコミュ障で開業してうまくいくわけがないので、ずっと法人に雇われてる。税金、財形天引き後の手取りは月18万円ぐらい。そこからiDeCoと積立NISAを合計6万円をマイナス。親の高齢者住宅費用を5万円をマイナス。 今のテレワーク率は6割程度だけど、コミュ
NEON GENESIS EVANGELION 3 アーティスト:TVサントラ,高橋洋子,Aya,Aki,Rei発売日: 1996/05/22メディア: CD ※この文章はシン・エヴァンゲリオンの感想というよりTV版・旧劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』の昔話ですが、シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含みます。ネタバレが嫌いな人は読まないでください。 ※BLOGOSの担当者のかたへ:この文章は転載しないでください。 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」公開から1週間分の感想エントリまとめ - まなめはうす 今日までにシン・エヴァンゲリオンについてたくさんの人が感想や論評を書いていて、個人史が伝わってきたりもして面白かった。ところが自分はシン・エヴァンゲリオンの感想や論評が書けない。それよりも、TV版25話・26話と旧劇場版『Air/まごころを、君に』のことばかり思い出してしまう。また、式波アスカ
あのこは貴族を観たので気づいたこと、思ったことを。 ネタバレ100%なので、気になる人は読まないでくださいね。 まず相関図。 これネットの拾い画なんだけど誰の作った画像か分からなくてすみません、、ご指摘があればクレジットつけますor消します。 ○バッグ ・華子が冒頭で椿山荘に参上したときのバッグはわからず。 おお!と思ったのは離婚歴のある美容皮膚科医の麻由子が持っていたのがブルガリのセルペンティだったこと。 これね。玄人の浪費家っぽさが伺えます。美容皮膚っぽーい。 ・華子がお出かけするときに使っていたのがエルメスのバーキンやシャネルのマトラッセという、「お母さんのお下がり」もしくはお母さんに借りてきたやつっぽいところも印象的でした。セルペンティの姉と比べて、自分で何も選んでいない感。 ネイリストさんから男性を紹介してもらうときに着ていたジャケット、あれもシャネルなのかなあ。 幸一郎と別れて
※編集部注:映画本編鑑賞後に読むことをお勧めします 弟子の的川泰宣によれば、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる糸川英夫は生前、「独創力を発揮するための三条件」を以下のように語っていたという(※)。「一度決心したことは、石にしがみついてでもやり遂げる強い意志」を持つこと、「過去にどんな人がいて、何をやったかを徹底的に学習」すること、そして、独創的な仕事が埋もれないように、「他の人とのネットワークをしっかり築いてよい関係を作っておくこと」。読んだ瞬間、ひとりの人物を思い浮かべた。庵野秀明だ。 前作「Q」から8年以上の時を経て公開された、シリーズ完結編となる「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。新劇場版プロジェクトの始動からは、およそ14年になる。最初のテレビシリーズからカウントすれば、足掛け25年。テレビシリーズの準備期間もカウントすれば、ほぼ半生をかけたプロジェクトだ。 完成した映像
“いつでも別れられる”ってすごく大事。自尊心を見失わず、生きたい場所で生きていく。 映画『あのこは貴族』監督と語る私たち。 山内マリコさんの同名小説を原作にした、映画『あのこは貴族』が2月26日(金)から公開される。東京の上流家庭に生まれ、「結婚=幸せ」と信じて疑わない榛原華子(門脇麦)と、富山出身で経済的事情により大学を中退し、挫折を経験している時岡美紀(水原希子)の、異なる二人の日常を描く。監督は、前作『グッド・ストライプス』(菊池亜希子、中島歩主演)で、新藤兼人賞 金賞を受賞した岨手由貴子(そでゆきこ)監督だ。 映画『あのこは貴族』を観て、“私たちの話”だと、誤解を恐れずに言うならば、書籍『82年生まれ、キム・ジヨン』を思い出した。だからといって、女性のための映画として観られるのはすごくもったいない。なぜなら、「階級社会」や「シスターフッド」を描きながら、それ以外のまなざしが重ねられ
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」を観てきた。うっかり泣いてしまった。感傷のままに綴っておく。(以下は、ネタバレがあるので閲覧注意) 公開2日目に観てしまった。こんなことをするのは、1997年に公開された劇場版「Air」を観に行ったとき以来だ。私は当時、中学3年生で友人たちと本当に楽しみにして、映画館まで足を運んだ。その最後のシーンで、浜辺で首をしめられているアスカを観て「なんでこんな目に」という辛い気持ちになった。まだ、インターネットのない時代だから、雑誌などの評論記事などを探して読んだが「なんで、アスカは首をしめられねばならかったのか?」が全くわからなかった。その後、大人になって庵野監督が、女性に好意を向けられ、自分もそれに応えようとすることに、耐えがたさを感じているのだろうということは理解した。 新劇場版が始まって、私はエヴァから距離をおいた。庵野監督が、「前のエヴァではダメだ」と
<A面> 絹(有村架純)が「この人はわたしに話しかけてくれている」と心酔するブログ『恋愛生存率』ではいつも同じテーマが綴られていた。それは、”はじまりはおわりのはじまり“。 出会いは常に別れを内在し、恋愛はパーティーのようにいつしか終わる。だから恋する者たちは好きなものを持ち寄ってテーブルを挟み、お喋りをし、その切なさを楽しむしかないのだ ある日、ブログの筆者である”めい“は恋に落ち、「数パーセントに満たない生存率の恋愛をわたしは生き残る」と綴ったその一年後に自ら命を絶ってしまう。 めいさんが死んだ 恋の死を見たんだろうか。その死に殉ずることにしたんだろうか。どれも想像に過ぎないし、そこに自分の恋愛を重ねるつもりはない としながらも、絹の頭には「どんな恋でも、いつしか必ず終わりを迎える」という諦念が刷り込まれている。麦(菅田将暉)が何気なく言ってのける「僕の人生の目標は絹ちゃんとの現状維持
この冬に亡くなった父方の祖母は、祖父の初婚の相手が病没してからの後添いで、最近は後家でもあった。 彼女が祖父と再婚したとき、すでに父も伯父も成人していたので、祖母を慕うでも疎むでもない、いわゆるおとなの距離感だった一方、私と母は祖母とずっと仲良しだった。 祖母と血縁関係がないことを知ったのは小学生時代の半ばだったが、「あ、まじ?」くらいのかんじで、祖母のことは変わらずずっと好きだった。 80歳になった頃から認知症が出始めて、以降はちょっと若返り、ずっと79歳で通した。 90歳近くになっても「80歳になったら遺言状を書く」と言い続けていたので、遺言状書くのが潜在意識レベルで億劫だったんだろう、気持ちは79歳のまま、91歳で亡くなった。 歳もとしで、生存してる知己も皆無のため、葬儀では町内会長が弔辞を読んで下さった。 会費払うくらいの活動しかしてなかった祖母に対して「〇〇地区の発展のためおおい
うちの妻は精神の病気を患っている。その様子を描いたマンガをTwitterで紹介したところ、思いのほか多くの人々が読んでくれた。 マンガのツイートはここ。2つの連続ツイートで合計5ページの作品。 https://twitter.com/masapon_com/status/1350830759330758658 私は、このマンガの登場人物なのだけど、このマンガで描かれていることはぜんぶ実際の出来事だ——マンガ的に消化/昇華された表現になっているけれども。 読んだ人は、「旦那が優しい」とか、そういった感想をくれる。そういってくれるのが有り難いが、実際には「優しい」という言葉は少し違う。ある考え方、方針に従って自宅治療を助けるために介護をしているというだけだ。 ここでは、精神の病気を患った人を自宅で介護する家族という立場で、当時の方針、実行していたこと、考えていたことを書いていく。精神の病気は、
浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
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