評論家の竹村健一(たけむら・けんいち)さんが8日、多臓器不全のため死去した。89歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男真一(しんいち)さん。 京都大卒業後、1955年から約8年間、毎日新聞大阪本社の「英文毎日」編集部で勤務した。 報道やバラエティーなどのテレビ番組に出演。パイプを片手に「だいたいやね…
水俣病患者の苦しみや祈りを共感をこめて描いた小説「苦海浄土」で知られる作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで執り行う。喪主は長男道生(みちお)さん。 熊本県・天草に生まれ、生後まもなく対岸の同県水俣町(現水俣市)に移住した。短歌で才能を認められ、1958年、詩人谷川雁(がん)氏らと同人誌「サークル村」に参加。南九州の庶民の生活史を主題にした作品を同誌などに発表した。68年には、「水俣病対策市民会議」の設立に参加。原因企業チッソに対する患者らの闘争を支援した。 水俣病患者の心の声に耳をすませてつづった69年の「苦海浄土 わが水俣病」は高い評価を受け、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、「いまなお苦しんでいる患者のことを考えるともらう気になれない」と辞退した。以降も
自民党の元衆議院議員で、党の幹事長や官房長官などを歴任した野中広務氏が26日午後、亡くなりました。92歳でした。
保守派の論客として知られる評論家の西部邁(すすむ)さん(78)=東京都世田谷区=が21日、死去した。 警視庁田園調布署によると、同日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。飛び込んだのは西部さんで、署員らが現場に駆け付け病院に搬送されたが、死亡が確認された。 同署によると、目立った外傷はなく、付近で遺書のような文書が見つかった。自殺を図り、溺死したとみられる。 西部さんは21日未明から行方不明になっていた。同居する家族が探していたところ、多摩川で流されている西部さんを発見し、通報したという。 西部さんは北海道出身。東大経済学部に在学中、全学連中央執行委員として安保闘争に参加し、学生運動の指揮を執った。大学院では経済学を専攻し、横浜国立大や東大などで教鞭(きょうべん)をとる傍ら大衆社会論を軸とした評論活動を開始。「経済倫理学序説
三重県名張市で1961年、農薬入りのブドウ酒を飲んだ女性5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」で、第9次の再審請求中だった奥西勝(おくにし・まさる)死刑囚が4日午後0時19分、収容先の八王子医療刑務所(東京都八王子市)で肺炎のため、死亡した。89歳だった。法務省や奥西死刑囚の弁護士らが明らかにした。 72年の死刑確定後も冤罪(えんざい)を訴え、裁判のやり直しを求める「再審請求」を繰り返し、確定死刑囚としての収容期間は43年に及んだ。獄中生活は、強盗殺人事件で70年に死刑確定の尾田信夫死刑囚に次いで国内で2番目に長かった。今後は妹の岡美代子さん(85)が請求人として、再審請求を引き継ぐかどうかを検討しているという。 奥西死刑囚は35歳で逮捕された後、一審で無罪、二審で死刑判決を言い渡され、最高裁で死刑が確定。2005年に再審開始決定を受けたが、その後、取り消されるという異例の経緯をたどった。
シンガポールの建国の父と呼ばれ初代首相を25年にわたって務めたリー・クアンユー元首相が23日未明、死去しました。91歳でした。 リー元首相は1965年にシンガポールがマレーシアから独立したあと、25年にわたって初代首相を務めてシンガポールの繁栄の基礎を築き、建国の父と呼ばれました。 さまざまな優遇策で外国から企業や人材を積極的に誘致し、都市国家のシンガポールを東南アジアの金融センターへと成長させ、首相から退いたあとも上級相や顧問相として4年前まで閣内にとどまり、息子のリー・シェンロン首相を支えたほか、国際的にも存在感を示し続けました。
【訃報】「攻殻機動隊」主題歌で知られるロシア人シンガー・ソングライターOrigaが死去 東スポWeb 1月18日(日)20時51分配信 ロシア人シンガー・ソングライターのOriga(本名オリガ・ヴィターリエヴナ・ヤコヴレワ)が17日に死去した。44歳。ロシアのタス通信が18日に報じた。 タス通信によればOrigaは17日に東京都内の病院で死去。同通信では死因について明らかにされていない。ロシア人声優のジェーニャもOrigaの死を別のロシア系サイトで知り、共通の知人に連絡しその死を確認。ツイッターで死因について肺がんと明かすとともに「日本でロシアの歌が愛されるように心を込めて頑張ってきたオリガさん、まだ若くて素敵な方で...言葉もないです。 心よりご冥福をお祈りします」と故人を悼んだ。 ソビエト連邦(現ロシア連邦)ノヴォシビルスク出身のOrigaは1991年12月にホームステイのため来日
兄の葬儀が終わった。 私の兄は昭和29年8月生まれで、今年で60歳。還暦を迎えたばかりだった。 父は二十年前に、そして母は昨年他界した。 兄弟は兄と私の二人。そして兄がこの世を去り、後に残ったのは私一人になってしまった。 私の兄は、月刊アウトの編集者だった頃に「R2」の名前で、記事を書いていた。 立命館大学のSF研究会に所属し、その後月刊アウトの編集者となったのも、高校時代のSF仲間だった「C」さんがみのり書房にいた縁だった。 ガンダムが世に出て、アニメとSFが商売として大きく開花していくその創成期に、兄と私は立ち会っていた。 みのり書房退社後、普通の会社員として勤めながら、ニフティフォーラムの方で「花筏」のハンドルネームで、色々やっていたようだが、その頃のことは、私は良く知らない。 その後、私が小説を書き始めた頃に、共に小説を書き始め、私は電撃大賞に応募し、兄は学研の歴史群像小説賞に応募
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