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ブックマーク / blog.tinect.jp (54)

  • すべてのおっさんの心に「自分だって若い女性にモテてもいいじゃないのか」という気持ちはないだろうか。

    りりちゃんのマニュアル 少し前に「頂き女子りりちゃん」が話題になった。この世の中には頂き女子というものがいて、頂けられてしまう「おぢ」がいるということだった。 正直、おれはあまりこの事件に興味をもっていなかった。おれには関わりのなさ過ぎる世界の話だからだ。しかし、ふと、次の記事を読んでしまった。 名古屋「22歳頂き女子」にだまされたおじさん2人が特別対談「僕らがバカだった。若い女子がおじさんとの“餃子の王将デート”を喜ぶはずがない」 なんととくべつな対談なのだろうか。おれは夢中になって読んでしまった。 そして、「りりちゃん」のマニュアルを読みたくなった。マニュアルくらいにしては判決が重いな、と思ったような気がしたし、どんな内容なのだろう。もちろん、マニュアルだけの罪ではないが。 して、おれはマニュアルを読んで驚いた。これはすごいな、と思った。どのようなすごさかというと、たとえば新入社員とか

    すべてのおっさんの心に「自分だって若い女性にモテてもいいじゃないのか」という気持ちはないだろうか。
    nasuhiko
    nasuhiko 2024/06/24
    キモ言い方になるがおっさん的には若い女性からしか得られない栄養があるように感じる。煎じ詰めれば性欲なのかもしれないし父性本能的なものなのかもしれない。不要なので言語化はしていない。
  • ほとんどの人は他人の意見に全く興味がない。

    「ライターになりたいけど、どうすればいいですか?」 と、相談を受けたことがある。 しかしライターは「なる」ものではない。「やる」ものだ。そこに誰の許可も必要ない。 質的には何かしら文章を書いて、公開すればだれでもライターを名乗れる。 そこで、「書けば、ライターを名乗ることができます」と回答した。 すると彼は「仕事を取るにはどうしたらいいでしょう」と言う。 確かに、お客さんを捕まえて仕事を出してもらうには、書くこととは全く別のスキルが求められる。 そこで、「メディアを探して売り込む方法がわからない、ということでしょうか?」と尋ねた。 しかしそこで彼は首を振った。 営業や売り込みが苦手で、それはしたくないのだという。 しかも実績がないので、どうせ断られるだろう、と言うのだ。 しかし、そういうことは、やってみないとわからないはずだ。 「書いたものをブログなどで公開していれば、実績にできますし、

    ほとんどの人は他人の意見に全く興味がない。
    nasuhiko
    nasuhiko 2024/04/11
    タイトルを引き継げば「なのに他人に意見を肯定してもらいたい人は少なくない」となる。需要と供給の不均衡。
  • 安楽死が合法化されたら日本は姥捨て山になる

    安楽死が合法の国で起こっていること』というをご存じだろうか。 安楽死が合法の国で起こっていること (ちくま新書) 筆者の児玉真美さんは障害者やその家族の立場に立って活動しているベテランの著述家だ。その著者が、安楽死の議論と実践が進んでいるオランダやカナダなどの現状を伝え、議論のたたき台としてまとめたのが書、ということになる。 安楽死・尊厳死・自殺幇助といったまぎらわしい語彙を理解するにも向いているだろう。 いわゆる人権先進国で安楽死が急増している 人の生死を扱う書籍だけに、『安楽死が合法の国で起こっていること』にはドキドキする話題やセンシティブな議論が多い。なかでも強い印象を受けたのは、カナダやベルギーやオランダやスイスで安楽死が合法化され、しかも急速に広がっているという話題だった。 たとえばカナダでは2016年に安楽死が合法化されたが、少なくとも当初、その条件は慎重に設定されていた

    安楽死が合法化されたら日本は姥捨て山になる
    nasuhiko
    nasuhiko 2024/03/12
  • あんなにも感動し、興奮したものが、惰性になってしまった。これは悲しい。 | Books&Apps

    おれの生活 おれは毎晩の事をXにポストするタイプの人間である。Twitterにツイートしてきた人間だといってもいい。 おれには3,600人ほどフォロワーがいるが、毎日おれを観察している人間がいるだろうか?たぶん10人くらいいると思う。その10人は気づいていることと思うが、おれは毎晩ほとんど同じものをべつづける。 貧乏だから野菜がえないとかいうのは毎晩お好み焼きべないやつの戯言にすぎない/関内関外日記 古くは、お好み焼きだった。一家離散して一人暮らしをはじめた。 金がないので自炊する。はじめての自炊生活。なにをべよう。おれはお好み焼きが好きだった。お好み焼きはどうだろう? お好み焼きなら小麦も卵もキャベツも肉もとれるし、栄養的にも悪くないんじゃないのか。なにより、おれはお好み焼きが好きだ。 でも、毎日べると飽きるんじゃないのか? これが、飽きなかった。おれは来る日も来る日もお

    あんなにも感動し、興奮したものが、惰性になってしまった。これは悲しい。 | Books&Apps
    nasuhiko
    nasuhiko 2024/02/06
  • chocoZAP(ちょこざっぷ)に行くのはどんな人なのか?

    chocoZAP(ちょこざっぷ)に行く人の話 chocoZAP(ちょこざっぷ)をご存知か。そうだ、コンビニジムとして急速に拡大しているサービスだ。 従来のジムとは違い(たぶん)、無人店舗にマシンだけ置いてある。勝手に入って、を履き替えもせず、勝手にやって、帰る。シャワーもない。トイレすらない店舗もある。 会員になればどの店舗も使える。これで月額2,980円だ。このコンビニジム、どんな人が行くのか? この記事にべつにインタビューや取材は必要ない。なぜならば、おれがちょこざっぷ(以下「ちょこざっぷ」に統一します)の会員だからだ。もちろん、おれ一人の話にすぎないが、参考になるかもしれない。 そのあとに、限られた範囲ではあるけどどんな人を見かけるのか書く。 おれの運動歴の話が長いので、店の雰囲気などだけを知りたい人は、画面をスクロールさせて<ちょこざっぷにはどのような人が行くのか>を読んでほしい

    chocoZAP(ちょこざっぷ)に行くのはどんな人なのか?
    nasuhiko
    nasuhiko 2023/08/22
  • 小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。

    おれはこの前、小室直樹のを読んだ。 読んで、「これはなんかすごいぞ」と思った。思って、立て続けに読んだ。これはもう、令和の小室直樹ブームが来るんじゃないかと思った。いや、そんなブームが来るかどうかはしらない。おれのなかでブームが来た。 二重三重の早とちりに独学の限界を思う どのようなブームか。比較宗教学的ななにかだ。 おれは仏教を中心にいろいろなを読んではいた。しかし、小室直樹のを読んで、それこそ、ハッとしたのである。ほかの宗教と比べてどうか、日におけるその場所はどこか。 小室直樹がはたしてどんな一般的な評価を得ている人かおれにはよくわからない。 なにやら右派への接近と言うか、取り込まれみたいなものもあるように思うが、どうにもそんなもの突き抜けたようななにかがあると感じた。 というわけで、おれは数冊の小室直樹ので、「要諦である」と語られたいくつかの要素を、それぞれの宗教、思想に割

    小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。
  • 自業自得の人工透析者が身内にいるのだが

    ※「自業自得」と思える人工透析患者が身内にできてしまったが、社会正義とどのように折り合いをつけるべきか、という話です。前半はなぜ自分が「自業自得」かという家族史とその一例の具体的なエピソードが延々と続くので、興味なければ飛ばしてください。あと、当然のことながらおれの視点による解釈であり、また、意図した上での、あるいは無意識での脚色が含まれています。 父のいた我が家 まだおれも弟も子供だったころ、まだ実家があったころのことだ。父が出張などで家にいないと、空気が軽くなるのを感じた。実に不思議なものだと、当時から思っていた。 べつに父は常に暴力を振るったり、過度に厳格な人間だったりはしなかった。それはなかった。 手を挙げることはなかったし、厳格な躾、教育方針とはかけ離れた人間でもあった。 どちらかというと放任、教育についても自分の思想を披瀝して対話をしたがるタイプだった。子供相手でも。 ただ、満

    自業自得の人工透析者が身内にいるのだが
  • 「実力主義なら面倒な人間関係は必要ない」はむしろ逆で、ドイツでは出世にコネ必須。

    ドイツ移住してからもうだいぶ経つが、実際に暮らしてみて、イメージとはちがうことが多々あった。 ドイツ人だって「かわいいね」とお世辞をいうし、地域によってはビールよりワインが好まれるし、みんなそこまで時間に正確なわけでもない。 そんななかで一番驚いたのが、ドイツ人がバリバリ残業して、そこそこ頻繁に職場の飲み会に顔を出していることだ。 え、ドイツ人って定時に帰るんじゃないの? 職場の人間関係はドライで、プライベートは別なんじゃないの? 最初はびっくりしたが、だんだんと、「実力主義になればなるほど飲み会が大事になる」という、イメージとは真逆の現実が見えてきた。 イメージとちがう!定時に帰るドライなドイツ人はどこ? 少し前、こんなツイートがバズっていた。 アメリカの会社で生き残る方法としては朝ちょっと早めに行ったり、定時の後他のチームメイトに手伝えることありませんかと声掛けして確認し無償残業した

    「実力主義なら面倒な人間関係は必要ない」はむしろ逆で、ドイツでは出世にコネ必須。
    nasuhiko
    nasuhiko 2023/01/26
    少し昔のネットではコミュ力&お気持ちクソ喰らえ言説が幅をきかせてたが揺り戻しが目立ってきたなあ。理性や計測できるものはもちろん大切だが、人間である以上は感情やその繋がりも無視できない。要はバランス。
  • 社会に溶け込んでいる、発達障害の人の話

    21世紀に入ってから、「発達障害」という言葉はすっかり知られるようになり、「自分が発達障害かどうか調べて欲しい」という相談を外来で受けることが増えました。 そのように精神医療のドアを叩き、発達障害と診断される人の大多数は、日ごろ、社会で生きていくことに困難を感じていたり、周囲とのあつれきを感じていらっしゃるものです。 そりゃそうでしょう、何か困った問題が生じていない限り、病院を訪れることはないでしょうから。 社会に溶け込んでいる「発達障害と診断され得る」人々 発達障害という名前が広く知られるにつれて、精神科医が発達障害と診断する頻度はかなり増えました。 過去、違った病名をつけられていた人のなかにもASD (自閉スペクトラム症)やADHD (注意欠如多動症) に相当する人が混じっていることも判明するようになり、新しい対策や治療法が立てられるようになりました。発達障害を巡る状況は、全体的に進歩

    社会に溶け込んでいる、発達障害の人の話
  • 私が教わった「相手の話をうまく整理する技術」とは。

    相談があるのだけど……」と知人友人から持ち掛けられて、親切心から「アドバイス」をしてあげた。 でも、全く相手に響かず、「なんで言うとおりにやらないの」と、逆に相手を責めてしまい、何の解決にもならなかった。 そんな経験のある人はいないでしょうか。 私は死ぬほどあります。 そんな失敗から、徐々に私は「人からの相談」について、考えを改めざるを得ませんでした。 実際、「アドバイスの欲しい人」は当に少ないのです。 多くの人が求めているのは、「黙って話を聞いてくれる人」であって、あれこれと改善案を考えてくれる人ではありません。 しかも、もっと悪いことに親切心からの「改善策」「アドバイス」はむしろ、「なんでこんなこともやってないの?」という批判だと受け止める相談者も少なくありません。 「◯◯してください」や「◯◯すべきです」といった直接表現はまず、誤解されて伝わるのです。 そして、非難されている、と

    私が教わった「相手の話をうまく整理する技術」とは。
  • わかりやすく話すためには「話しすぎない」というスキルが必要。

    なかなか、わかりやすく話せない…という方は多いかもしれません。 それどころかむしろ訓練を受けていない、ほとんどの人の話は、論理的でもなく、筋道も通っておらず、「わかりにくい」のが普通なのでしょう。 ただ、プライベートでは、それほど「話のわかりやすさ」を問われません。 何となくその場の雰囲気で、皆、うなずいてくれるからです。 「ま、言ってることはわかんないけど、追及するのも面倒だからいいや」とか 「大したこと言ってるわけじゃなさそうだから、適当に笑っておこう」とか。 通常、多少の分かりにくさは、すべて無視されてしまいますから、支障はないのです。 仕事では「話のわかりやすさ」は死活問題 しかし、仕事においては少々事情が異なります。 理解不足が、場合によっては責任問題に発展することもありますから、「面倒だから、まあ流しておけばいいや」では済まされません。 基的には、相手の話を細大漏らさず理解す

    わかりやすく話すためには「話しすぎない」というスキルが必要。
  • 「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく

    「好きで働いているんだろ?」 精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。 このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。 これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。 しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。 それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。 これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。 そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミーム

    「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく
  • 人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。

    少し以前のことだが、あるベンチャー企業のドキュメンタリーをみていた時のことだ。 その会社では、社運を賭け画期的な生活家電の製造・販売に乗り出し、デパートの催事場で展示即売会を仕掛けるという。 出陣式のようなものまで開き、やる気みなぎるように見えるシーンには熱気を感じる。 しかしいざフタを開けてみれば、販売目標50台に対して売れたのはたったの10台。 営業部長以下、社員全員が意気消沈してしまい、社に戻るとさっそく反省会を始めることにした。 そしてその際、社員たちから出てきた反省の言葉は要旨、以下のようなものだった。 「お客様から質問をして頂いても、ほとんど答えることができなかった」 「新機能をどのように使うのかなど、生活に即したアドバイスができなかった」 表現はそれぞれだが、社員たちの言葉は製品を理解していないために売れなかった、という趣旨のものだった。 それらの言葉を受け、営業部長は居合わ

    人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。
  • 人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか

    心情的な赤字です 赤字の零細企業で働く、ある人間、すなわちおれの心情というものを書きたいと思う。 赤字企業というと、「全国の企業の六割だとか七割だとかは赤字だ」とか、「節税目的であえて赤字にすることもある」などと言われそうだ。 だが、おれの言う「赤字」とは、心理的、心象的、お気持ち的な赤字のことと断っておく。 というのも、万年赤字だったわが零細企業は、親会社的なところができて、そことの関係上、数字的には黒字企業だからである。 とはいえ、親会社的なところに対しては赤字の存在であって、大赤字の存在であって、結局のところ、赤字なのである。 生殺与奪の権は親会社の社長の一存であって、その一存というのも親会社のステークホルダーによって左右され、結局のところ赤字なのだ。 赤字的個人の心情 というわけで、おれは赤字的存在である。 おれはおれの生活を成り立たせるための、十分な生産をしていない。 これが厳然

    人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか
  • 50歳になってようやく気付いた、人生で重要なことと、後悔したこと。

    僕はいま、40代最後の数日を過ごしていて、このエントリが公開されているときには(急病や事故などで世を去っていなければ)50歳を迎えているはずです。 僕の両親はともに50代で人生を終えているので、ああ、もうここまで来てしまったか、終活とかも考えなければならないのかな、という感慨とともに、こんな悟りには程遠い年齢、成熟度で命が尽きるとき、両親はどう考えていたのだろう、納得できなかったんじゃないか、と想像もするのです。 命というのは、人が納得するしないにかかわらず、終わるときには終わる。 最近、周囲の人の若くしての思いがけない訃報が続いて、僕自身混乱もしているのだけれど、その一方で、「まだ自分の番ではなかった」ことに、少し安堵もしてきました。 それでも、いつかは順番がまわって来る。 今の世の中の全体像としては、50代くらいは、まだ「現役世代」であり、そこまで老け込むことはないのかもしれませんが

    50歳になってようやく気付いた、人生で重要なことと、後悔したこと。
  • 「セクハラ回避のため、飲み会は男性だけで」は、もはや当然の選択。

    早いもので、もう師走ですよ。いやー早い。 今年はみんな忘年会するんですかね。できるんですかね。 そういえば、ハラスメントを未然に防ぐ「ハラミ会」なるものが以前話題になっていた。 女性がいつどう傷つくかわからない、うっかりセクハラしてしまう可能性がある。 だから飲み会には女性を呼ばずに男性だけで行こう、という考えのことらしい。 女性を排除することで、コミュニケーション齟齬によるトラブルのリスクを下げるこのやり方は、さまざまな議論を呼んだ。 「女性排除は差別」「解決ではなく逃避」とかね。 個人的なハラミ会への賛否はともかく、このご時勢、ハラミ会は「当然の選択肢」だと思う。 コミュニケーションリスクがめちゃくちゃ高い以上、相互理解なんて諦めてそもそも関わらないことことが、「最適解」になりうるのだから。 オンラインゲームなのにだれも発言しない理由 オンラインゲームをやる人であれば、「コミュニケーシ

    「セクハラ回避のため、飲み会は男性だけで」は、もはや当然の選択。
    nasuhiko
    nasuhiko 2021/12/10
    これ自体はネタ記事であろうが(であると信じたい)数年後にはネタがマジになる光景を近年さんざん見てきた。人類がリスクとしてコミュニケーションを断つのが先か揺り戻しが先か固唾を飲んで注視したい。
  • それにしても、親ガチャというスラングが響く社会の、なんと暗いことだろう!

    最近、親ガチャ、というネットスラング(俗語)を見かけることが増えた。 親ガチャというスラングは、ソーシャルゲームなどのガチャにかこつけて、望ましくない親元に生まれたことを呪ったり嘆息したりするために使われる。 私の観測範囲では、親ガチャというスラングは前から使われていたし、実際、googleトレンドでも2010年代から地味に使われていた様子がうかがえる。 しかしこのグラフが示しているように、親ガチャはまだメジャーではなく、最近になってこれを知った人も多い様子だった。 NEWS小山「嫌な言葉ですね」 若者層で流行の“親ガチャ”に不快感、「親はショック」と苦言 9月9日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)で、「親ガチャ」の話題となった。これは、親は自分で選べず、どういう家庭に生まれるかは運次第であり、ソーシャルゲームの「ガチャ」のようなものであるといった意味。若者層では、現状を変えよ

    それにしても、親ガチャというスラングが響く社会の、なんと暗いことだろう!
  • SNSは行き場を失った「怒り」の最終処分場。

    先月、「読み手を怒らせて、ビューを稼ごうとするコンテンツには気を付けよう」といったご主旨の記事をbooks&appsで読みました。 「読み手を怒らせて、ビューを稼ごうとするコンテンツ」には、気をつけなくちゃ。 「ちょっと立ち止まる」って来物凄く大事だと思うんですよね。 怒っちゃいけないとは言わないけれど、せめてちょっとだけ確かめてみませんか、操られてないか考えてみませんか、と。ただそれだけで防ぐことが出来た不幸な事件って、実際のところ山のようにあると思うんですよ。 だから我々は、「怒り」という感情のトリガーを他人に明け渡してしまうべきではない。 「煽られる」ことに慣れっこになるべきではない、憤るにしても、自分の意志で、きちんとした情報で、主体的に憤らなくてはならない。 怒りという感情のトリガーは自分のものであるべきで、アジテーターに簡単に煽られ、他人の意のままに怒りを表出するのは違うんじ

    SNSは行き場を失った「怒り」の最終処分場。
  • 「戦時」の悲惨さが、ようやくわかってきた。

    一昔前、「希望は戦争」という、興味深い記事を読んだ。 「戦時」は、弱者にとってはむしろ望ましい状態だとの、ラディカルな主張だ。 記事の中で著者は、底辺にとどまらざるを得ない屈辱的な社会では、多少死の危険が増しても「富者も平等に死ぬ」可能性がある、戦時のほうが望ましいとしている。 「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。 戦争は悲惨だ。 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降

    「戦時」の悲惨さが、ようやくわかってきた。
  • 「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか

    ちょっと前の話なんですが、職場にて、わたしとはまた別のチームのリーダーが辞めてしまって、とても惜しいなーという気分になっています。 実力がある人でした。色んな知識を持っていて、その知識を応用するやり方も知っていて、課題を見つければその課題を解決する方法を、しかも実現可能なやり方で考えられる人でした。 ただ、私が見る限り、その人にはたった一つだけ、非常に大きな欠点があって。 それは、彼が、 「攻撃の手段としてしか質問をしない人」だった、ということなのです。 まず前提として。 来であれば、「質問」というのは、何か自分が知らないことを教えてもらう、あるいは自分が知っていることと相手が知っていることを合わせて、新しい知見を導くために使うものです。 良い質問があると話が進みますし、皆の知見が深まります。 だから質問は大事ですし、気軽に質問が出来る環境作りも非常に重要です。 その辺の話については以前

    「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか