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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/komamasa24goo (5)

  • 大規模被災地の下水道の問題 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    【被災地の下水道復旧はどうあるべきか】 被災地を駆け足で見てきましたが、被害の度合いは自治体や集落によってかなりばらつきがあります。 大船渡や気仙沼などは海に近いところでの被害は大きかったものの、高台に広がる市街地も多くて、主たる部分が残っています。被害規模は甚大とはいえ、そこを起点にして被災区域を復旧することはまだ可能でしょう。 しかし、南三陸町や陸前高田市などは市街地が広範に津波によって押し流されてしまい、上下水道や電気・通信などの基的なインフラがほとんど残っていない状況です。 こうなると、人が住むのが先かインフラを整備するのが先かという鶏と卵の議論に陥ってしまいます。 また被害があまりに甚大な集落では、住民の多くが亡くなっていますし、地盤が下がってしまったようなところで生き残った人がすぐに住宅を再建できるでしょうか。 学校などの公共施設は立て直すとして、民間の各種商店などはどれくら

    大規模被災地の下水道の問題 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 釧路には500年に一度の津波が来る、の根拠 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    仕事の帰りに市立博物館へちょっと立ち寄り。 博物館はこの4月に新しい館長さんを迎えて、ツイッターでも情報発信中(@kushiro_museum)。持っている情報資産をツイッターで的確に伝えてほしいものです。 ※     ※     ※     ※     ※ さて、今日博物館に立ち寄ったのは地震に関する展示や情報がないかと思ったもの。市民の情報の宝箱として、地震に関してもいろいろと教えてもらえるでしょうか。 私が知りたかったのは「最近の津波報道で『釧路では500年に一度津波が押し寄せているという情報があちこちから聞こえてくるのですが、土壌のボーリングサンプルなどからそんな津波の地層が分かったり、どんな津波だったかが分かるような展示はありませんでしたか?」というもの。 すると学芸員のお一人が「残念ながら今の展示物の中にはそういうものはありません。しかし道東沿岸の津波に関してはここ何年にもわた

    釧路には500年に一度の津波が来る、の根拠 - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 小学校でリーダーシップを学ぶ - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    札幌の山の手南小学校を見学してきました。 この小学校は校長先生の積極的なリーダーシップによって校内の環境整備が整っていて、保護者との関係も良好。先生たちのモチベーションも大いに上がっています。 仕事柄あちこちの小学校を見ることがありますが、それらの中でも刮目すべき学校運営が行われていて他校の模範たる学校と思います。 校内のまずは職員室を見学させていただいてまず驚くのは、パソコンなどによる業務支援体制への試行を積極的に行っていること。できるだけ先生たちの教務負担を軽くして子供達に向き合う時間を確保するという明確な方針を立ててそれを実行しているということです。 流行っているからなんとなくIT化をしているのではなく、『全ては子供達のために行うのだ』という方針を校長先生が自ら打ち出してそれを率先して実行している行動力が立派です。 IT化を行うことで、例えば出席状況の把握が効率的で簡単になっています

    小学校でリーダーシップを学ぶ - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 学校で大事なことって… - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    「なんちゅうか、大人になってないという感じですね」 地元大学の先生と懇談会をしたときに、その先生がおっしゃった言葉です。 「ほう、具体的に言うとどういうことですか」 「ある学生が試験の後に僕の所へ来て、『先生、僕の成績はどうなるでしょうか。なんとかなりますか?』って訊きに来るんですよ」 「ふーむ、それっていけないんですか」 「だって僕の感覚からいうと、自信を持って答案を書いたんだろう? それが君の仕事だし、採点するのは僕の仕事ってこと。なのに、自分のやった仕事の評価を途中で訊きに来るということが自分の役割を自覚していないことのように思うんです」 「ははあ」 「大人と言うのは、自分の果たすべき役割を自覚してそのことに一所懸命に力を尽くすと言うことが分かっている人だと思うんです。それなのに、そのことが分かっていない。これって大学生が幼児化したことの典型的な話じゃないかと思っているんです」 学校

    学校で大事なことって… - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]
  • 「幸福」にみる「幸」と「福」の違い - 北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

    札幌は思いの外雪が多いです。 普段通る道も道幅が狭くて、住宅街の道路は太い通りを走らないと車同士の交差に難渋することもしばしば。いやはや今年の冬は大変です。 雪国の冬は毎年のことながら大変ですがこれを不幸と呼べるでしょうか。 ※     ※     ※     ※     ※ 中国古典の碩学、安岡正篤先生は「幸福と言うが、これは二種類の良いことの集まりだ」とおっしゃいます。 「幸」の方は、その原因が自分の中にはなく、自分が努力しなくても向こうからやってくる偶然的な良いことなのだそう。 たまたま金持ちの家庭に生まれたとかいうのはまさに「幸」で、実はこれは当てにはならないものなのだと。 これに対して良いことの原因が自分の中にあって、自分が苦労して苦心して勝ち得た良きことを「福」というのだそう。 福という文字は示偏が表す「神」と、つくりが表す「収穫を積み重ねた姿」の合成でできていて、農家で言えば

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