国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「記憶遺産」に客観性に疑問の多い慰安婦関連資料が登録された場合、日本政府はユネスコ脱退を本格的に検討するとみられる。トランプ米政権が12日、世界遺産登録をめぐってユネスコの政治化を非難し、脱退を表明したことも日本の決断を後押しする可能性がある。 「二度目の失敗は許されない」。安倍晋三首相は周囲にこう話しているという。最初の失敗は2年前に登録された中国の「南京大虐殺文書」だ。外務省や文部科学省の対応が後手に回り、首相官邸は激怒した。 外務省などは反省を生かし、深く関与してこなかったユネスコ側とのパイプ強化に努めてきた。今回はその成果が試されるが、一抹の不安は残る。ユネスコが政治化した組織だからだ。 慰安婦関連資料をめぐっては、日本の保守系団体が登録申請した資料と同じものが含まれている。しかし、ユネスコ側は保守系団体のみに「特定のユネスコ加盟国に対する特定の主
記事作成時点では、日本語版Wikipediaには125万以上のページが存在しています。しかし、日本語版Wikipediaの情報は「少数のユーザーによって偏った情報へと編集されている」と、アメリカの認定音楽療法士である佐藤由美子氏がニュースサイトSLATEで主張しています。 Non-English editions of Wikipedia have a misinformation problem. https://slate.com/technology/2021/03/japanese-wikipedia-misinformation-non-english-editions.html 第二次世界大戦中の日本軍に存在した「731部隊」に関する日本語版Wikipediaのページには、2020年9月23日時点では、数多くの引用と共に731部隊が行った人体実験についての解説が記載されていまし
日本語版ウィキペディアの「歴史修正主義」問題昨年に刊行された『戦争の歌がきこえる』(柏書房)は、私がアメリカのホスピスで音楽療法士として働いていた時に出会った、第二次世界大戦経験者について書いた本です。執筆のために第二次世界大戦について様々な資料を調べている時、日本語版ウィキペディア(Wikipedia)の奇妙な現象に気づきました。 歴史上の出来事をインターネットで検索をすると、必ず最初にヒットするのはウィキペディアのページです。しかし、日本語と英語で同じトピックを検索すると、ページの内容がかなり異なることに気づきます。特に、日本の戦争犯罪などセンシティブなトピックに関するページは、バイアス(偏見)やミスリーディング(誤解を招く)な情報で溢れています。 間違いやバイアスだらけのウィキペディア「ウィキペディアには間違った情報が多いことは知ってる」という方もいると思います。でも、英語版ウィキペ
この夏報じた昭和天皇「拝謁記(はいえつき)」。5年近くにわたって昭和天皇と宮内庁長官が密室で交わした会話をほぼ丸ごと記録したこの貴重な資料には、これまでニュースや番組で紹介した以外にも興味深い記述があった。遺族の同意を得られた部分に限って、その一端をもう少しだけ紹介したい。(昭和天皇「拝謁記」取材班 社会部記者 鈴木高晴) 私たち取材班は、退位・即位に関する取材を進める中でこの資料にめぐり会い、長年極秘に保管していた遺族との交渉の結果、去年11月に閲覧を許された。 そこには、日本国憲法施行の翌年から日本の独立回復の翌年までの5年半にわたり宮内庁とその前身の宮内府のトップを務めた田島道治(たじま・みちじ)の手によって書きとめられた、戦後占領・独立期の昭和天皇の肉声がびっしりと記されていた。 「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋でないものからウス/\(うす)聞いてはゐた」
「 昭 和 1 2 年 」の南京戦当時どれだけの朝鮮籍日本兵が居たのか云ってみろよ朝鮮特別志願兵は 「 昭 和 1 3 年 制 度 施 行 」 「 昭 和 1 3 年 後 期 入 営 」 で初年の入営者数は 「 4 0 6 名 」… https://t.co/3L9EHEf2pS
戦史叢書のどこを読んだか知りませんが、たぶん読んでいないと思いますが虐殺については否定しています。大量の捕虜の処置を間違えたという程度です。 まず、入り口を勉強されたほうがいいでしょう(笑) >『中島今朝吾日記』 ご本人は1945年に死亡しています。この日記とやらは、悪名高き朝日新聞の木村久邇典が遺族から入手したと称して1987年に「個性派将軍中島今朝吾 反骨に生きた帝国陸軍の異端児」で紹介されたたものです。 つまり原本でなく、朝日新聞の記者により手が加えられた可能性も否定できませんね(前科がありますから) 日中歴史共同研究で代表を務めた北岡氏は、虐殺を証明する一次史料は極めて少ないとしていますが、極めて少ないどこか皆無といえますね。 なんせ、南京大虐殺は中国国民党宣伝部の「宣伝」で「虚構」ですから。 「宣伝」であることは国際宣伝処処長の曽虚白が自伝で自白した「外国人による宣伝」、台北にあ
便衣兵(べんいへい)とは、一般市民と同じ私服・民族服などを着用し民間人に偽装して、各種敵対行為をする軍人のことである。 定義[編集] 「便衣兵」の用語は日中戦争に関連して主に使用される。このほか、戦争・紛争当事国が、「便衣兵」と同義の「隠れ戦闘員」と見なした非合法戦闘員・ゲリラを殺害した行為が、国際法上問題と指摘された例はベトナム戦争、イスラエル・パレスチナ紛争、コロンビア内戦など数多い。 便衣兵は捕虜とは異なり、陸戦法規の保護を適用されない[1]。 1937年の南京陥落の際には「南京安全区」に逃走した中国兵を、日本軍が便衣兵として多数摘発して逮捕・処刑したが、これについては、便衣兵の摘発が適格であったかなど、以下のように論議ある。1937年の日中戦争の際には中国国民党が、便衣兵による日本軍への襲撃を行っている[2]。 便衣兵に関する議論[編集] 「便衣兵」の定義について、”軍服着用などの
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く