先の戦争が終結してから今年で70年を迎える。産経新聞では年間を通じ、「戦後70年」を紡いでいく。序開きとして、天皇陛下と日本を考えてみたい。天皇、皇后両陛下は今年、パラオ共和国を慰霊のため訪問される。パラオは昭和20年までの31年間、日本の統治下にあり、ペリリュー島は日米間で壮絶な地上戦が繰り広げられたが、島民が犠牲になった記録はない。両陛下の念願だったとされるパラオご訪問を前に、米軍が「天皇の島」と呼んだ南洋の小島から歩みを始める。(編集委員 宮本雅史) 平成26年12月初旬、ペリリューは、島を覆うジャングルが強い日差しを受けて緑に輝いていた。島民600人の多くが住む北部のクルールクルベッド集落は、ヤシの木に囲まれた庭の広い民家が立ち並び、カフェからは英語の音楽が流れる。ハイビスカスが咲き、のどかな雰囲気に時間が止まっているような錯覚すら覚える。 だが、ジャングルを縫うように車を走らせる
ペリリュー島は「忘れられた島」とも呼ばれてきた。多大な損害を受けた米軍が口をつぐみ、日本側も生還者が少なく、証言に限りがあったからだ。だが、島民たちは、70年前に起きたことを忘れてはいなかった。 平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は言う。 「日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」 残留要望を認めず 昭和18年6月現在でペリリューには899人の島民が住んでいた。島民によると、日本軍と一緒に戦う決意をしていた島民もいたという。だが、守備部隊はそれを認めず、非戦闘員の島民を戦闘に巻き込まないため、19年3月から8月にかけて、全員をパラオ本島などに疎開させた。 当時9歳だったアマレイ・ニルゲサンさん(79)は、夜間を利用して両親らとバベルダオブ島に疎開したといい、こ
naoko @konahiyo 放射能の影響から日本人を守るとして高価な商品等を提供するバズビー博士についてのガーディアン紙の記事http://t.co/dSfqZbscを抜粋。博士はかつて緑の党の科学技術スポークスマンだったが、今回同紙の取材を受けた緑の党は、博士の商品宣伝を大目に見るわけにはいかないと回答。 2011-11-22 11:04:11 naoko @konahiyo 続) 商品は製造原価で提供していると博士は言うが、日本で販売されているミネラルサプリよりもはるかに高額。日本政府はすでに人の曝露をモニターし食品や水の検査を行って、汚染商品の販売を禁止しているが、これはEUの放射線制限基準よりも厳しい。 2011-11-22 11:04:38
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