東日本大震災で、多賀城市では津波による死者が185人に上り、塩釜市など近隣の港町を上回った。仙台港に近接し、市中心部の海抜は5メートルに満たないが、海に面するのは砂押川の河口付近だけだ。「海の街」のイメージが薄い多賀城市で、なぜこれほどの犠牲者が出たのか。住民らの証言からは、都市部の危うさが浮かび上がる。(中村洋介、加藤伸一) ◎「割り込みと思ったら、押し流されてきた車だった」 <渋滞> 3月11日午後、多賀城市を横断する幹線道路、国道45号と県道仙台塩釜線(産業道路)では、大渋滞が起きていた。年度末の週末で交通量が多かった上、地震で信号が止まった。 車窓の外はマンションや大型店などの建造物だ。海は見えない。濁流は不意を突き、人と車がひしめく大動脈を襲った。市内の津波による死者は、国道45号と産業道路沿いに集中した。 多賀城市桜木の会社員新田恵さん(39)は地震後、家族が心配になり、