近代日本の黎明期にイタリアへ渡った若き日本人たち―王立イタリア国際学院で語学を修めた井尻儀三郎(いじりぎさぶろう)と緒方惟直(おがたこれなお)、ヴェネツィア王立美術学校で絵画や彫刻を学んだ川村清雄(かわむらきよお)と長沼守敬(ながぬまもりよし)。明治政府がすすめる近代化政策の中で、彼らはイタリアから何を受容したのだろうか。彼らの留学時代を検証し、交流の様子を描き出した、知られざる西洋文化受容史。 イタリアとの架け橋を築いた明治期の若者たち―プロローグ/井尻儀三郎 現地でイタリア語を習得し首席を通した十二歳(不世出の努力家/トリノ王立イタリア国際学院/国際学院への入学/一八七四年から卒業まで/コラム① 佐々木三六―東京大学植物園の細密画家/コラム② 川村恒三、大橋淡、平元弘―秋田の蚕種商人たち/コラム③ 田嶋啓太郎―群馬境町のカトリック蚕種商人)以下細目略/緒方惟直 万博のフランス語通訳とな
12月18日大阪古書会館で開催された井田太郎近畿大学准教授の講演会「コレクターと収集品ーー紀文書簡から稀書複製会叢書までーー」を聴いてきました。江戸会、同方会、集古会から稀書複製会に至るコレクター群像の流れ、ネットワークの広がりは山口昌男『内田魯庵山脈』を愛読した私には馴染み深いコレクターが多く楽しめた。 さて、井田先生が不明とされていた点について私が調べて判明したことを補足しておこう。 ・稀書複製会の主事だった山田清作の生没年 山田については『坪内逍遙事典』(平凡社、昭和61年5月)に立項されていて、明治8年生、昭和21年没である。 ・武井豊の経歴 大正7年11月稀書複製会主催の稀書展覧会に『風俗問答』、『馬糞夜話』、『絵直集』など*1を出品した武井豊の正体だが、『出版文化人名辞典』第3巻(底本:『現代出版業大鑑』現代出版業大鑑刊行会、昭和10年8月)に同名の人物が立項されている。要約す
いま重要だなと感じている3つの項目について書き送った散漫なメモ+α。ですます調のほうがあとの自分にとって伝わりやすい気がするので、今回はですます調で。3つの項目は以下。 エスノグラフィックなアプローチ、人類学的アプローチ 長期保存 情報倫理 note: 話の前提になっているのは冬学期前半の講義と資料とディスカッション。それぞれ関連メモ等を参照。 1. エスノグラフィックなアプローチ、人類学的アプローチ 未来の利用者にとって必要になる情報とは何か、というのは、橋渡しする対象となる情報を収集する、という最初の段階で考えるべきことです。ですが、デジタルデータをキュレーションする過程でぶつかる問題は、利用者と関係するものが多いです。その問題を明らかにする方法として、エスノグラフィックなアプローチ、人類学的アプローチを重視している、というのが、ひとつ、重要な点だと思います。 講義が始まる前は、プログ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く