ウジェーヌ・ピロワによる肖像画 ガブリエル・タルド、ないし、ジャン=ガブリエル・タルドなどとして言及される[1]、ジャン=ガブリエル・ド・タルド[2](Jean‐Gabriel de Tarde、1843年3月12日 - 1904年5月13日)は、フランスの社会学者、社会心理学者。 人物[編集] ドルドーニュ県サルラ(現・サルラ=ラ=カネダ)生まれ。地方貴族の子として少年時代をすごし、最初エコール・ポリテクニックで数学を学ぼうとするも眼病を患いかなわず、トゥールーズ大学、パリ大学で法律を学ぶこととなった。しかしそれぞれ眼病を再発させ大学を中退し、故郷で独学を続けた。このとき、クールノーに多大な影響を受けた。その後、早世した父と同じく裁判官の道を選び、1867年にサルラ裁判所に奉職。1880年頃から、リボーの創刊した『哲学雑誌』に論文を投稿するようになる。犯罪は遺伝的なものであると考えるイタ