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*歴史とmedicalに関するneko73のブックマーク (34)

  • 医療人類学プロジェクト・ジャパン, MAP-J

    Biomedicine --- is a jealous discipline, insisting that the only valid road to health is paved with its own recommendation ---Martha Balshem Forget Medical Anthropology, we need a truly Anthropological Medicine -- Gen_nosuke Tarumi 医療人類学とは、医学と人類学を架橋(ブ リッジ)する学問を医療人類学 (medical anthropology)と言います。 このページ(MAP-J)は医療人類学ならびに関連する研究分野の振興を目的として、大阪大学COデザインセンター(CSCD)の教員の池田光穂[いけだ・みつほ]が運営しているものです。 にゅうもん(小学 生・児 童

  • http://www.kisoh.org/hensyusya3.html

  • 呪術教団化するホメオパシー - 地下生活者の手遊び

    反社会カルトとしてのホメオパシー - 地下生活者の手遊びの直接のつづき。 特定病因論 特定病因論というコトバがありますにゃ。このコトバを説明している論文*1から引用いたしますにゃ。 医療思想史的にみれば、特定病因論はここ1世紀あまり前に支配的となった考え方で、19世紀末の細菌学の確立された後、近代医学が科学的装いを増していくために採用した病気原因の説明モデルである。それはどの病気にもその根原因があるとし、疾患と病因とを一元的な因果関係で結び付けて解釈するものだ。この一元論的病因論を特定病因論(specific etiology;特異的病因説)という。 中略 特定病因論という、患者の一人一人を個性的総合的に見ずにその病気の共通部分だけに着目する分析科学的な方法を採用することで、近代医学は、病因の一元的な説明ができるようになり、この病因の説明モデルに合致した伝染病・感染症やビタミン欠乏症など

    呪術教団化するホメオパシー - 地下生活者の手遊び
  • 『看護覚え書』フローレンス・ナイチンゲール

    専門職の内部と質は,「知識」「技能」「価値観」から構成される.看護の臨床と学問の貢献に尽力したフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale)の著作の中でも,書は看護養成学校のバイブルとして継承され続けてきた.ナイチンゲールは,看護技術の体系化とともに,当時としては高度な分野で労働する“職業婦人”としての看護婦*1 の地位向上に全霊をあげた. 看護は人類の「生の営み」を支え続けた実践的な技術であるのに,その歴史が原理的,理論的に大きな声を社会に向けて発することはなかった.ナイチンゲールが長年の看護臨床経験をもとに,看護学や後人の陶冶に努めたかと思えばそうではなく,現役の看護婦として活躍したのはわずか3年間である.その後,150とも200ともいわれる著作と1万2,000もの書簡やメモを残し,看護の側面にとどまらず,病院,建築,福祉,そして統計データに基づく事実認識

    『看護覚え書』フローレンス・ナイチンゲール
  • 子どもに安全なホメオパシーを考えてみた - とラねこ日誌

    ※このエントリは頭の体操目的に書かれたモノです※ ■ホメオパシー(一応の説明) それは、病気を治すには病気の原因物質と類似した物質が効果を発揮する・・・つまり、毒を以て毒を制すの考え方に基づいて考案された方法だ。これの独特な処は、元物質が薄ければ薄いほど強い効力を示し、さらに希釈時に震盪という操作を合わせる事でより強くなるという思想である。元物質が含む溶媒を繰り返し溶剤で希釈を行う事でより効果は強まっていくとされる。そして、この物質をなんらかの固形物に浸透させ、それを投与する事により治療が出来るという仕組みになっている。通常ホメオパシーで処方されるような固形物(レメディ)の希釈操作では、元物質が1分子も含まれていない可能性が極めて高い。 効能を持つとされる物質が含まれていないのに、なぜに効果があると主張されるのであろうか。事実、ホメオパシーのレメディを処方された場合には、何も処方されなかっ

    子どもに安全なホメオパシーを考えてみた - とラねこ日誌
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  • 脚氣ハ果タシテヴィタミンB缺乏症ナルカ - NATROMのブログ

    脚気は心不全および末梢神経障害を来たす疾患で、明治から昭和にかけての日では、年間に2万人以上が死亡する年もあった。現在は、脚気の原因はビタミンB1欠乏であることがわかっているが、当時の日では、脚気の原因について激しい論争があった。ビタミン欠乏説に反対した医学者は、主に東大出身者であり、「事実よりも権威重視」「頭が固い」といった批判をされることがある。たとえば、東大病理学教授の緒方知三郎が、脚気の原因として中毒説ないし伝染病説を重視すべきで、「ビタミン欠乏が脚気の原因をなすとは到底信じられない」と述べたことに対して、後年、「(緒方は)あまり根拠のない仮説を過信したにすぎなかったのである」*1と評されている。 もちろん、権威を過信すると失敗するという一面はある。しかし、新しい学説に対し、保守的な立場を取る科学者もまた、科学の進歩のために必要なのだ。ある一つの研究で、新説が完全に証明されるこ

    脚氣ハ果タシテヴィタミンB缺乏症ナルカ - NATROMのブログ
  • 麦角

  • 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール

    意志決定する人たちが数字に弱い。 基的に、四則計算しか/もできない。 かけ算割り算(それと按分ってやつ)に大小比較が、今でも最高の意志決定手段だったりする。 どれだけたくさんデータを集めても、平均値しか求めない(し知らない)。 かつて広大な領土を持つロシアでは、統計は非常に重要視された。 ほとんどのケースで「この目で見る」ことがかなわぬ状況で、統計の活用は(マイクロソフトのビル・ゲイツがそうだったように/例えば電気料金の詳細データから、照明がついている=それぞれの事務室が使用されているのべ時間を割り出し、各セクションの仕事の進捗具合や、人材の過不足を知った)、しゃぶりつくすまで徹底的に活用された。 でなければ、統治は不可能だった。 そのロシアとサルデーニャが組み、フランス、オスマン帝国およびイギリスを中心とした同盟軍と戦った。 戦闘地域はドナウ川周辺、クリミア半島、さらにはカムチャツカ半

    問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール
  • 医学都市伝説 | 非国民症候群

    もう30年近く前の事になるだろうか、当時私はある関西片田舎地方の自治体病院で働いていた。そのころ、ある共通項でくくることが出来そうな一群の人々を見ていて、地方学会あたりで発表しようかどうかと考えていた症例群があったのを思い出した。 数例あった筈なのだが、いま思い出せるのは2例程度だ。草稿は書いたがなんとなく発表がためらわれ、どこかに行ってしまった。時代的な制約もあり、おそらくこのようなまとめ方が出来る人々を見ることはもうないだろう。そのまとめ方にもかなりの異論があって不思議ではないが、当時そのような理解の仕方をしていたことは確かに意味があったと思うのだ。 そもそも、上に掲げた「非国民症候群」というのを読んだだけで、平和と民主主義の時代に、なんというふざけた保守反動イデオロギーを持ってくるのだと、非難されても仕方がない。しかし、言いたいことは、間違った方向に進んでいた時代に、そこからの「逃げ

  • 結核の街・清瀬を歩く。結核療養所のすべて[絵文録ことのは]2009/04/15

    結核の街として知られる清瀬を歩いてきた。埼玉県との境に位置する清瀬市は、日でも多くの結核療養所が集中して建てられている「結核の街」だった。東京府立清瀬病院を皮切りに、公営・民営の結核療養所が集まり、最終的には15の療養所を数えることとなったとされている。 ここでは俳人・石田波郷や、吉行淳之介が療養生活を送っていたことでも有名だ。 これらの療養所は、今は結核専門ではない。結核の治療法が変わり、結核が「薬を飲めば治る病」になって、療養所は役目を終えたといえる。しかし、あるものは廃院となり、あるものは一般病院となったとはいえ、結核の街の記憶は消えるわけではない。 そんな清瀬の「ゲニウス・ロキ」をたどるべく、現存する病院すべてを実際に訪ねてみた。 関連記事:結核経験者から見たハリセンボン箕輪はるかの結核感染[絵文録ことのは]2009/04/08 ■『サナトリウム残影』をテキストに歩く テキストは

  • 16 Century 16世紀 16 század|軍事板常見問題 戦史別館

    c 「戦史別館」トップ・ページへ 「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ 16世紀 16 Század <戦史FAQ目次 【link】 『アルマダの戦い スペイン無敵艦隊の悲劇』(マイケル・ルイス著,新評論,1996.10) 類書として石島晴夫著『スペイン無敵艦隊』があるけど,書は英国海軍軍人の手により,アルマダの戦いと称される一連の戦闘のみに絞って書かれている. なので戦闘行動や両軍の編成・装備,後のアルマダの遭難などの記述が詳細だけど,アルマダ前後の流れはあまり記述されていない. できれば『スペイン無敵艦隊』を先に読んだ上で読んだほうがいいかも. でも流石に海軍軍人の書いただけあって,ドレークがどいう戦術意図で行動したのか,まだ手探り状態の帆船同士の大砲による戦い(スペイン側にはガレーやガレアス船があったけど)がいかに困難であったか,アイルランド

  • 1800-1854|軍事板常見問題 戦史別館

  • War History 1895-1912 軍史1895-1912 Hadtörténelem 1895-1912|軍事板常見問題 戦史別館

    c 「戦史別館」トップ・ページへ 「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ ◆戦史 1895-1910年 Hadtörténelem 1895-1912 <戦史FAQ目次 Hadtörténelem GYIK Index 19世紀末の英国紳士 (うそ) (朝目新聞より引用) 【link】 「2ch.軍事板」◆(2003/03/08~) 米西戦争を語るスレ レス回収済 「朝目新聞」(2013/06/28)●『八甲田山の惨劇』 行軍開始30時間で発狂者が続出,210名中199名死亡 惨劇は何故起きたのか?  (of 哲学ニュースnwk) 『岡義武著作集』書評――昭和の悲劇の種は,すべて大正時代にあった < 塩津計 『岡義武著作集』書評――日政治システムを作った男と壊した男 < 塩津計 『指揮官の決断』(山下康博著,中経出版,2008年) 〔略〕 八甲田の惨