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  • ガタがあるからうまくいく - レジデント初期研修用資料

    先週の日曜日には、熱を出した子供さんが100人近く来た。休みが明けて、外来が始まって、 もちろん「それ以上」を覚悟していたのだけれど、外来は、平和なままだった。 インフルエンザはたしかに流行しているんだけれど、パンク寸前の休日外来は、 みんな「休みだから」病院に来てたわけで、「熱が出たから」病院に来た人は、実は案外少なかった印象。 遊びが減ってこうなった 社会から「遊び」要素が減って、平日にみんな、休めなくなった。 土日をずらして営業していた病院というのもあって、一時期はうまく機能していたんだけれど、結局みんな止めてしまった。土日外来の収益自体はよかったのだけれど、世の中が土日休みで回ってるから、役所とか学校とか、「平日」を要求する場所がシビアになって、スタッフに子供ができると、組織が瓦解しちゃうんだという。 世の中の遊びが減って、しわ寄せが、緊急避難装置的な場所に集まって、結果として、救

  • 努力は報われないほうがいい - レジデント初期研修用資料

    現在進行形ですごい状態にある人を見て、「僕も頑張ってああなるんだ」なんて、 その人と同じ場所を目指して頑張るのは、危険なことだと思う。 何かの間違いがあって、頑張ったその人の成功を許してしまった業界は、その時点で詰んでしまうから。 劣化コピーが承認を求める 同じ方法論で頑張った人は、どうあがいたってオリジナルの劣化コピーにしかなれないものだから、 そういう人は、ものすごく頑張る。頑張った人が、「頑張り」に見合った承認を求めると、 世代を重ねるごとに、「頑張り」のコストはどんどん上がって、そこはたぶん焦土になる。 業界のどこかで「すごい」を観測したのなら、その人と同じやりかたを重ねるのではなく、 「もっと簡単にあそこに到達するにはどうすればいいんだろう」なんて考えないといけないし、 それでも「頑張り」以外の答えが出ないなら、「すごい」その人たちがいなくても何とかなるように、 仕事のやりかた自

  • 交渉の名人が来た - レジデント初期研修用資料

    警察で収監中の人が、「症状悪化にて入院希望」でやってきた。刑事さん同伴で。 外来でおきたこと 「ひどい腹痛にて受診希望」ということだったんだけれど、元気だった。朗らかで、親しそうで、 当直をしていた自分と患者さんと、なんだか15年ぶりに出会った友達としゃべってるみたいだった その人が外来に来た最初、「先生、俺はこの病院が第2の実家みたいなものなんだよ」と言われた。 子供の頃はよくこの病院に来て、「俺は小学校の頃からここの院長に頭叩かれてたから、 バカになっちまったんだよ」とか、懐かしそうに語ってた。目も笑ってた 愛想がいいのが、逆に怖かった。警察の人が6人ぐらいでその人を囲んでいて、その人も全身入れ墨、 手錠に腰縄のフル装備なんだけれど、ずっと朗らかだった 「症状が悪化」しているようには見えなかったし、人も、痛がってみせるとか、 苦しんでみせるとか、そんなそぶりは全くないんだけれど、「今

  • 間違え電話に相手の本名とGmail アドレスがついてきた - レジデント初期研修用資料

    携帯電話のことは何一つ分からないので、とりあえずおきたことだけ。 スマートフォンを買った ごく最近、HT-03A という、Docomo のGoogle 携帯電話を買た。 それまで6年間ぐらい使っていたのは、カメラもi モードも使えない機種だったから、 ここ数年間の携帯電話がどんな具合になっているのか、自分はまず、そのへんを全く理解できていない。 間違え電話が来た 昨日の夕方頃、知らない携帯電話からの着信があった。もたもたしてたらベル2回ぐらいで切れて、 結局その電話は取れなかった。 普段仕事に使っている番号は、全部携帯電話の「連絡先」に入れてあるから、 その電話番号はとりあえず、「知らない人」からだとは分かった。 HT-03A の着信履歴にはその電話番号が残っていて、そこにはなぜか、 発信者の名前がカタカナ表記で書かれていて、その人のGmail アドレスが一緒に表示されていた。 最初はSp

  • ゲームとジレンマ - レジデント初期研修用資料

    ゲームとは 問題の中心にジレンマがあって、参加者が、自らの選択を通じてジレンマの解消を試みるとき、その状況は「ゲーム」であると言える。 ゲームにはルールがある。ルールとはジレンマの設計であって、よくできたルールは、 ジレンマの観察が容易で、「誰にでもできる簡単なことをふたつ同時に行おうとすると難しくなる」状況を内包している。 ジレンマ解消の先にあるもの ゲームのルールがルールとして機能している時期、ジレンマに対する最適解がまだ見つかっていない時期のゲームは楽しい。 多様な戦略が提案されて、その多くは失敗するけれど、全ての失敗もまた、経験として参加者に蓄積される。試行のコストは低く、 失敗しても、失うものは少ない ルールの中心に見えていたジレンマが解消されたそのとたん、ゲームはいきなり地獄になる。多様性を競った時代は終わり、 定番となったある戦略に、全ての参加者が収斂していく。アイデアの価値

  • 公開討論覚え書き - レジデント初期研修用資料

    鳩山代表と麻生総理との公開討論会、MIAU 主催の、Webと政治に関する生放送を視聴したときのメモ。 討論形式の番組いうのは、必ずといっていいほど「編集」が入っていて、 演者の人たちもまた、たぶん編集前提で喋っていることが多いのだと思う。 自分のインタビューを公開していた知事の言葉は、無編集だと案外間延びしていたし、 国会ならばヤジだとか、相手の言葉を遮った質問だとか、討論というのはしばしば、 「生」で見るには耐え難い品質だった。 党首同士の公開討論会は、「無編集」が前提、全てを見せるのが前提で企画されていた みたいだから、お互いにいろいろ工夫をしていた。無編集の放送は面白くて、 発信のコストが下がるこれからは、たぶん「無編集」が常識になっていくだろうから、 日語での、無編集、全て公開というルールでのしゃべりかただとか、 演者の態度みたいなものはどうあるべきなのか、これからいろいろ試みら

  • どこかに「グー」がある - レジデント初期研修用資料

    病院での交渉ごとというのは、何しろあいては白衣を着て、なんだかえらそうな椅子に座っているものだから、一見すると圧倒的に、医師側のほうが有利に見えるんだけれど、実際白衣を着て座っている側からすれば、患者さんが、特に患者さんのご家族が、怖くて怖くてしかたがない。 「グー」がない 医療交渉というのは、じゃんけんでたとえると、自分たちには「グー」を使う権利が与えられていない。 患者さん側には「グー」「チョキ」「パー」の選択枝があって、自分たちには「チョキ」と「パー」しかなかったら、これはもう、絶対に勝てるわけがない。 もちろん医療というサービスを提供しているのは自分たちの側だから、それを断られたら、患者さん側にはなすすべがないんだけれど、医療者側は何よりも、何かトラブルになったときに失うものが大きすぎて、一度失うと、それは取り返しがつかないものだから、患者さんから「グー」を使われる、何かをごり押し

  • 分からないときの振る舞いかた - レジデント初期研修用資料

    間違える、あるいは「放り出す」といったほうが正しいのかもしれないけれど、患者さんを診察して、 その人の抱える問題に対して、主治医としてなんのアイデアも浮かばないときに、 患者さんに対して、どう「ごめんなさい」をすれば、その人の問題が解決できるのか、 そんなことを考えてる。 間違えが正しく重なると治る 胸部大動脈瘤で手術になった患者さんは、最初に整形外科にかかっていた。 その患者さんは「肩が痛い」と訴えて、胸が痛いとか、苦しいとか、 そういうお話しを全然しなかったらしい。 患者さんを診察した整形外科の先生は、肩を診て、分からないからレントゲンを撮って、 心臓の上側がやけに大きく拡大していたものだから、「肺癌疑い」なんて診断で、 その患者さんを紹介した。 外来に来てくれている呼吸器の先生は、胸を聴診しても、その人には何もなかったのだけれど、 「肺癌」と紹介されたものだからCTスキャンをオーダー

    nekomori
    nekomori 2009/08/05
  • ルールを解説してほしい - レジデント初期研修用資料

    ニュース番組が、最近はもう政治一色で、自民党のやりかたがけしからんだとか、今こそ政権交代をだとか、 ニュースキャスターや、政治評論家の人は、どのチャンネルをつけても同じことばっかり繰り返す。 たとえば将棋番組の解説者みたいな、その状況を、素人目にも面白く解説してくれるような、 政治番組の世界にも「解説者」に相当する職種を用意して、「評論家」とは別に、「解説者」の 談話を報道する番組ができたら、ニュースは今まで以上に面白くなるような気がする。 政治というルール 政治家の人はもちろん、「国益」のために、「有権者の皆さん」に政策を考えるのがお仕事だけれど、 「政治というゲーム」には、もちろんいろんなルールがある。 政策を考えることだとか、地元の有権者に、自らの考えかたを分かりやすく説明することというのは、 あれは政治というゲームにおいては「技」に相当するものであって、ルールとは違う。たとえば政治

  • NHK 特集 「戦場 心の傷」 - レジデント初期研修用資料

    戦争が兵士に負わせる心の傷を特集した番組。大雑把に、前編は男性の、後編は女性の、 それぞれ心に負った傷に焦点を当てて、番組が作られてた。 以下覚え書き。 リアルな舞台での訓練 アメリカの新兵訓練施設には、周囲の風景だとか建物、通行人の風俗みたいなものまで 再現した「イラクの街」が作られていた。「テロリストを建物に追い詰める」だとか、 「救援物資を届けたら爆弾テロに巻き込まれる」だとか、状況ごとにシナリオを作って、訓練を受けていた 訓練に使う道具は極めてリアルだった。兵士の装備や武器はもちろん物、建物だとか、 「テロリストが爆破した車」なんかもまた、当に爆破した車を使ったりして、「物みたい」を 通り越して、「そのもの」をそのまんま使っていた 番さながらの訓練を積むことで、「ぶっつけ番」の混乱を避けることができたり、 人が人を殺す、人間が来持っているためらいみたいなものを乗り越える

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