廃止されてから15年。東横線高架跡地を見てきました。その結果、セイタカアワダチソウのお茶を飲むに至りました。 先日、2019年9月24日に「東横跡地見学会」が行われた。東急東横線 横浜駅~桜木町駅間の、かつて使われていた高架を再利用した遊歩道に関する催しだ。写真集まで出した高架構造物好きのぼくとしては見に行かなくてはならない。 と、意気込んで参加した結果、セイタカアワダチソウのお茶を作って飲むことになりました。今回はその顛末です。 ただの遊歩道を超えて欲しい 東横線高架が廃止されてから実に15年。あの高架はいったいどうなるのか、とぼくをやきもきさせたが、今年7月についに遊歩道として一部供用開始となった。先日そこで行われた見学会と「社会実験」に行ってきた。 すでに遊歩道として使われ始めているがが、この日はいろいろな催しが行われた。 人工芝とイス・テーブルが置かれたり ヨガが行われたり。 事業
CKB横山剣に聞く横浜不良音楽の系譜 カップスからSuchmosまで世代を超えて受け継がれるハマのDNA 2019年10月16日 22:47 5217 86 × 5217 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 223 619 4375 シェア 横浜の海の玄関口、横浜港が開港したのは1859年のことだった。国際的な貿易港となったこの港からはさまざまな外来文化が輸入され、戦後になると米軍基地および米軍関連施設経由でアメリカのユースカルチャーがダイレクトに輸入された。横浜はそうした背景のもと、不良の匂いのするグループやアーティストを数多く輩出してきた町でもある。1960年代のザ・ゴールデン・カップスやパワーハウス、90年代のダンスホールレゲエやヒップホップ勢、近年のSuchmosに至るまで、なぜ横浜の地からは不良性感度の高い音楽が生まれ
1977年にPC本体とキーボード、モニタ、5インチFDDを一体化したデスクトップPC「M200」シリーズを世に出したソードの社名が7月2日、復活した。ソードの歴史には紆余曲折があった。 ソードの前身である東芝プラットフォームソリューションは、産業用組込みPCなどのエンベデットソリューション事業で高いシェアを誇っていたが、親会社の東芝による一連の不正会計問題によって18年2月28日にファンドに売却された。東芝が、東芝プラットフォームソリューションの全株式をアスパラントグループの運営するファンドが設立したTOPSホールディングスに譲渡したのだ。この時点で、東芝プラットフォームソリューションは東芝の連結対象から外れた。 株主がTOPSホールディングスに変更した東芝プラットフォームソリューションだったが、事業内容はこれまで通り継続しながら、親会社のTOPSホールディングスと合併してソードに社名変更
JR線直通・悲願の都心乗り入れを11月に控える相模鉄道。 明るいニュースが続いていましたが、相鉄の一大勢力・相鉄の顔となっていて、その去就が注目されていた7000系がついに引退します。 7000系の過去と現在、そして残される新7000系の今後をおさらいします。 相鉄7000系の登場から現在 相鉄では、高度経済成長期に急増する需要に応えるべく、旧来のの通勤車2000系・5000系の車体を軽量なアルミ製のボディに更新することで、走行機器をそのままに20m・4ドアへの大型化を成功させています。 この軽量なアルミボディ設計をベースとして80両と一大勢力を築いたのが7000系です。 自慢のアルミボディで車体を大幅に軽量化に成功したほか、新製当時から冷房を装備していたことなどもあり、1975年(昭和50年)から10年間量産が続き、相鉄の輸送力・品質向上に大きく貢献貢献しました。 編成組み換えの柔軟さか
1992年東京生まれ。普段は商品についてくるオマケとかを考えている会社員。好きな食べ物はちくわです。最近子どもが生まれたので「人間ってすごい」と本気で感じています。(動画インタビュー) 前の記事:締切を見に行こう > 個人サイト 日和見びより ニュー新橋ビルは今でもニュー新橋ビルだった こちらが皆さんご存知ニュー新橋ビル。今も昔も変わらぬ網みたいな外観。 結論からいってしまうとニュー新橋ビルは13年とあまり変わっていないように見えた。もちろんお店の入れ替えは少なからずあるが、新しく入ったお店の多くが「13年前もそこにあったよね?」という風格を携えているのだ。 郷に入れば郷に従えという言葉があるが、郷のパワーが尋常じゃない。ニュー新橋ビルのおやじ力をなめてはいけない。 とはいえ13年という時間はけっこう長い。小学一年生は大学二年生になるし、新卒は課長くらいになっているだろう。細かい部分で変わ
前回、夏の日差しを浴びながら大船アタックを敢行。『味喜』と『中華でぶそば』でサンマーメンや炒飯に食らいついてみた。しかし、僕としてはこの戦い、いやこのアタックに満足できたわけではなかった。むしろ反省だらけだ。大船、想像以上に手強い相手だったのである。 大船町には43,094人(推計人口、2018年1月1日現在)の人が暮らしていて、大船駅周辺には飲み屋や食事処が密集。中華関係も充実しているのだ。本格的な中国料理店やラーメン専門店まで含めると15軒はありそう。町中華に限っても5~6軒は確認できた。年々数を減らす町中華界にあって、この密度の高さは大健闘の部類だろう。 にもかかわらず、私と宮田編集長が訪れたのは2軒のみ。これで大船を攻めきったことになるのか。否である。むしろ全然足りないのである。再度のアタックを試みることは町中華探検隊隊長として当然の責務であった。 「おっと、動き出しましたよ!」
第13回 戸塚の名物男 2010年に出版した自著「麺食力-めんくいりょく-」。横浜の麺料理とその周辺の情景を描きながらほとんど売れなかった可哀想な本。著者自身も出来上がった本に向き合うことなく、ついに来年に出版10周年となるのを機に、改めて当時の内容を振り返り、現在の移り変わりを綴っていく、ついでに啜っていく企画の今回が第十三回目でございます。 JR戸塚駅の改札を出ると、今年は戸塚区制80年という記念の年であることを示す垂れ幕やPOPが目立つ。 筆者の生誕地である戸塚駅へやってまいりました。 東海道五十三次の宿場の一つとして古くから名を馳せてきましたが、横浜市戸塚区としては今年区制80周年を迎えたそうです。筆者が生まれたのは区制37周年の年。それはどうでも良い情報ですが。 戸塚駅西口は「トツカーナモール」などのビル群がドンと構える。 ここ10年で戸塚駅、特に西口周辺は大きく変貌しました。ト
ブルボンのルマンドシリーズ、7種類を集めると願いが叶うという…。 というのはウソだが、おなじみブルボンのルマンドシリーズ(以下、ブルボン)は、7種類ある。 7種類あるということは、誰しも心の中には密かに推すブルボンがあるはずだ。 いまこそその心のブルボン愛をぶちまけようではないか! 1971年東京生まれ。イラストレーター。ドクロ服、ドクロ雑貨集めに情熱を燃やしすぎている。ほかにはワニ、ウツボ、ハダカデバネズミなど毛の生えていない動物も好む。著書に「しろねこくん」、「ココロミくん」、「ひとみしり道」、「ばかスイーツ」などがある。(動画インタビュー) 前の記事:私たちは小野妹子へ寄せ書きが書けるか とはいえ、正直1位はルマンドがぶっちぎりだと思う。 だってスーパーにもコンビニにもぜったいにあって、手に入りやすさが他と段違いだから。 でも、でもそれ以外のブルボン(ブルボンのサイトによると、袋ビス
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