1月8日月曜日 曇り時々雨。家から一歩も出なかった。 お正月もついに終わり、明日から本格的に仕事だと言うのに、昼過ぎから鼻水が出始めた。止まらない。今日は早く眠ろう。健康第一だ。 そう言えば、年末に嫁から渡された散髪代の五千円が行方不明のままだ。嫁はわざわざ銀行の封筒に五千円札を入れてくれた。その封筒ごとどこかに行ってしまったのだ。 早く元気になって家中を探しまわろう。見つけた暁には、ピンク色の看板のお店に足を運んでみようと思う。 今朝の体重77.7kg 朝 きな粉餅 昼 煮込み豚骨ラーメン 夜 豚の生姜焼き 一日三膳。ごちそうさまでした。 スターを頂けたなら歌います。ブックマークを頂けたなら踊ります。読者になって頂けたなら脱ぎます。おれの自己紹介
1月9日火曜日 晴れ。少しだけ暖かい。 鼻水が止まらなくなった。きつい。だが、家にいても嫁や娘にうつしてしまうかもしれない。会社に行こう。会社のみんなには悪いが犠牲になってもらおう。30歳を過ぎた頃からだろうか、風邪を引くようになったのは。 今日も早く眠ろう。やっぱりブログは早起きしてカフェで書かないと、家では落ち着いて書けないな。早寝早起きがんばろう。 更衣室の電気がつきっぱなしになっていたので消した。一日一善。第94善。ごちそうさまでした。 今朝の体重77.7kg 朝 マカダミアナッツチョコレート 昼 鮭おにぎりと日清カップヌードルトムヤムクン 夜 オムライス、ポテサラ おやつ みたらし団子 一日三膳。ごちそうさまでした。 スターを頂けたなら歌います。ブックマークを頂けたなら踊ります。読者になって頂けたなら脱ぎます。おれの自己紹介
今、嫁と娘は義実家にいる。明日の昼に戻ってくる予定だ。 昨晩、友人5人と食事をし、夜はそのまま兄の家に泊まり、昼は兄とラーメン二郎を食べに行き、その後は友人4人と麻雀をし、さっきもんじゃを食べて帰って着た。 おれたちは、いつも「わん」に行く。居酒屋と言えば「わん」だ。お通しのサラダがお代わりし放題だと言うことに気がついてから、おれたちは「わん」ばかりだ。 だが、今晩は違った。 おれ「いつも、わん、ばかりだよね。30を過ぎている他の人達はきっと、もう少し良いお店に行っているんだろうね」 友人N「そうだね」 友人T「そうだね。今日は違うところ開拓してみようか?」 おれ「そうだね。それならあそこに見えているもんじゃなんてどうだろう?」 友人N「良いね。行ってみよう」 と言うことで、もんじゃ屋さんに行った。 友人NとTは学生時代からの友人で、今年で15年目の仲だ。大学を卒業してからも、月に一度は会
1月7日日曜日 晴れ。 娘と嫁が義実家から帰って来た。おれは嬉しい。 先ほど、久方ぶりに、嫁と交わりたいと言う衝動に駆られ、誘ってみた。が、断られた。どうも昨日のピンク色の看板のことをおれは引きずっているらしい。 断られると言うのは、実に悲しい事だ。形容し難いほどに。 こうなったら、鍵すらない扉を一枚隔てただけの向こう側で眠る嫁と娘にバレても仕方ない。おれは自分で自分を慰めようと思う。1時間かけて動画(または画像)を選択し、果てようと思う。 明日は休みだ。何故休みなのか?成人の日だ。もう10年以上前におれは成人した。懐かしい。 おれは今晩これから、たった一人で聖人式を行う。新成人の皆様にたくさんの幸が訪れる事を祈りながら。そうだ「ハタチ」で検索して引っかかった動画(または画像)で果てよう。おれはこれから聖人になる。 ホームセンターの狭い通路で、おじいさんに通路を譲った。一日一善。第93善。
朝8時40分に義父母が車で迎えに来てくれた。義姉夫婦は後から電車で来るとのこと。12時ちょうどに義姉夫婦も無事に到着して、7人で新年を祝った。 初詣の話があがった。おれの家では初詣の習慣がなかった。それに気がついたのは、19歳の時だった。当時仲良くしていた、友奈ちゃんが、初詣に行こと誘ってくれた。そして友奈ちゃんの提案のまま、明治神宮に行った。 人の多さにおれは腰が抜けそうになった。そして、入り口からわずか50m進んだところで、友奈ちゃんに帰ろうと言った。友奈ちゃんも納得したみたいだった。それから二人で少しだけ、原宿の街をぶらぶらして、友奈ちゃんの家に行き、友奈ちゃんの作ってくれた味噌仕立てのお雑煮を食べた。友奈ちゃんの出身地はどこだか知らなかったのだけれど、そのお雑煮を見て、多分友奈ちゃんは四国の出身なんだろうなと思ったことを覚えている。 その時、なぜおれにそんな知識があったのかはわから
娘がベッドの上で泣いている。おれは泣いている娘の隣で、泣き顔や泣き声を観察している。でも決して抱き上げない。抱き上げれば泣き止むのは知っているけども、抱き上げない。本当は今すぐにでも抱き上げたいけど、それでもおれは抱き上げない。 なぜか?嫁がおれと娘の方を見ているからだ。嫁がこちらを見ていなければ、おれはすぐにでも娘を抱き上げるのだけれど。おれは「娘が泣いていてもすぐに抱き上げる必要なんてないんだよ」と嫁に背中で伝えようとしている。 仕事から帰るなり、嫁が真顔でおれに言う。「首の汚れを取ってあげたら、泣き喚いて、それから顔に手を近づけようとするだけで泣くの。嫌な顔するし。私嫌われたみたい」 残念なことだけれど、いくらおれが「嫌われてるわけないよ」と言ったところで、嫁はおれの言うことなんて、聞き入れてはくれない。それは今までもこれからも、多分変わらない。 おれは、嫁に休んで貰いたい。しかしお
父の側に寄り添った3日間も終わった。5日後の退院日には母が父を迎えに来ることになっている。おれは最後にもう一度タオルを濡らして部屋に干してから父の病室を出た。 父はおれにもう少し痩せろと言った。健康でいることが一番だと。ベッドに横になったままの父が言うので説得力はとてつもなかった。 だがしかし、痩せるのは難しい。ここ10年以上、おれは、ご飯を食べる時間になると、走って痩せようと思い、走るべき時間になると、食べるのを我慢しようと思い続けているのだ。生半可な覚悟では痩せられそうにはない。 痩せることを父に約束してから、病室を後にした。 その日は朝から雪が強めに降っていた。乗換アプリで新千歳空港までの時間を検索すると、JRの一部列車が運休していると出ていた。おれはJRに電話をして空港までの電車について確認した。幸い空港までの電車は平常運転しているとのことだった。次にJALに問い合わせて乗る予定の
おれは今、お金を持っている。嫁の知らない口座にコツコツと貯めて20万円の貯蓄ができた。それにドトールのカードに5,000円、nanacoカードにも5,000円、PASMOにも5,000円のストックがある。いわゆる無敵状態に入っている。 先々週、ボーナスが支給された。娘が誕生して初めてのボーナスだ。これまではボーナスが出ると、おれは嫁に交渉して、その一部を貰っていた。が、しかし、今回はもういらない。おれはお金の管理が大いに苦手だ。だからこれ以上のお金を持たない方が良い。 そこで、おれは一つ、ある案を考えた。いつものようにボーナスの一部を貰えるように嫁に交渉し、そして、嫁から許しの出た金額をそのまま全て嫁にあげる。という案だ。我ながら良案だと思う。そしておれは実際にそれを実行した。賞与の明細を貰った日の夜に。 おれ「はい、これ賞与の明細。振込は明日らしいよ」 嫁「お疲れ様でした」 ここでおれは
ラーメン二郎を食べてから病院に戻ると、父は目を覚ましていた。それでもまだ意識ははっきりとはしていないようだった。 兄はソファで眠ってしまった。おれは暖房で乾燥している部屋に湿気を与えるために、タオルを3枚濡らして干した。窓の外には相変わらず雪がちらほらしていた。 夕方になると父の意識もはっきりとしてきて、自分で母に電話をしていた。 手術から6時間が過ぎた頃に、リハビリをしてくれるお姉さんが部屋にやってきた。あまりの説明の雑さにおれは愕然としたが、父は特に文句も言わずに頷いていた。 病院に来てよく思うことがある。「あなたにとっては数多くの患者の内の一人なのだろうけど」。だからおれは自分のお客さんにそう思われないように気をつけようといつも思う。 手術当日にも関わらず、父は立ち上がるところまで訓練していた。そしてゆっくりと足を前に出して部屋の中を少しだけ歩行器を頼りに歩いた。 親のそういう姿を見
昨日、札幌奇譚その1。を書いた。 www.devushow.com そして今日、今年の漢字に「北」が選ばれたようだ。 これにあやかり、今日も札幌奇譚を書こうと思う。今日は、その2。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 兄と西8丁目駅で下車して、寒空の下を15分弱歩いてラーメン二郎札幌店へ行くことにした。 おれ「こんな寒い中歩いて辿り着いた先の二郎はおいしいね違いないね」 兄「そうだな」 大通公園を通り過ぎる時、右手に電波塔が見えたけれど、特に立ち止まることもなく前を行く兄は歩き続けた。 おれがラーメン二郎と出会ったのは、今からもう10年以上前のことだ。当時代々木上原の1Kのアパートに兄と二人で暮らしていた。 1Kのアパートでは、ベッドマットレスに兄が寝て、おれはいつもフローリングの上にドン・キホーテで購入したジョイントマットを敷き詰めただけの場所で眠っていた。兄が買ってくる大量の書籍のお陰で最終的に、おれ
先日、父の外科手術の付き添いで、兄とともに札幌まで行ってきた。わざわざ遠く離れた札幌まで来たのは、そこに名医がいるからだと父は言っていた。 新千歳空港からJRに40分乗って札幌まで出て、地下鉄で中島公園駅まで行き、ホテルに荷物をおいて、路面電車で病院の最寄り駅まで行った。 手術の説明を名医のおじさんがしてくれた。 名医のおじさん「大体1時間半くらいで終わりますので。終わったらお声がけしますから」 兄とおれ「よろしくお願いします」 きっかり1時間半後に父はベッドに乗せられたまま手術室から出てきた。歩み寄ろうとすると看護婦さんが「あとでお呼びしますので、もう少々お待ちください」と優しく諭してくれた。 それから程なくして名医のおじさんがおれたちのところに戻ってきた。 名医のおじさん「手術は無事に成功しました。お部屋に戻ってもらって大丈夫ですよ。ただまだ麻酔が残っているので、意識が朦朧とされている
前回の投稿が22日前。久しぶりの投稿はなんだか難しい。これまで一体どういうテンションで書いていたのかももはや思い出せない。とりあえず思いついたことを書いて、ペースを取り戻そうと思う。 さて、タイトルの「さらっさらーのサラサーティ」についてだが、先日会社で思わず口走ってしまった。 机について、パソコンとにらめっこをしていたのだけれど、おれは不意に疲れてしまった。そして気が付いた時には「さらっサラーのサラサーティ」と発してしまっていた。 「さらっさらーのサラサーティ」という言葉は宙に舞い、そのまま天井へと吸い込まれて行った。 おれの周りには40歳オーバーのおじさんばかりが座っている。おれは30歳を過ぎているが、フロアでは最年少だ。誰一人としてそのことについて触れてはくれなかった。おれ自身も何が起こったのか、一瞬のことでよく理解できなかった。だから何もなかったようなふりをし、事なきを得た。 「さ
金曜日の夜、嫁には仕事だと言っておきながら、酒を飲みに行ってしまった。申し訳ないと思う。 おれはそこで普段は飲まない生ビールを飲んだ。生中というやつだ。家に帰り着いたのが24時15分。そこまではなんともなかった。嫁が寝室から顔をのぞかせて「晩ご飯冷蔵庫にあるから、チンして食べて」と言ってくれたことに対して、罪悪感が増す余裕すらあった。 おれは冷蔵庫の中の晩ご飯を無視して、シャワーを浴びた。シャワーから上がると、なんとなく頭痛がすることに気がついた。だからすぐに眠った。しかし、夜中の3時過ぎに頭が痛くて目が覚めた。娘のかわいい寝顔を見たら、この痛みも忘れられるかなと思い娘の寝顔を見るも、何の効果もなし。 そして立っているのも辛くなっていることに気がついた。しかし横になるのも辛かった。次に気がついた時には、おれは洗面所いた。そして鏡で自分の顔を見つめていた。自分の顔を見るのを辞めたかったのだけ
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