厚生労働省は3日、都内で新たに736人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。1週間前の金曜日より309人増えました。 また、人工呼吸器かECMO=人工心肺装置を使っている重症の患者は2日より2人減って11人でした。 一方、感染が確認された5人が死亡しました。
回転ずし店などでの迷惑動画問題を受け、回転レーンに設置された人工知能(AI)を活用した監視カメラ=東京都台東区で2023年3月2日午前10時半、前田梨里子撮影 回転ずしチェーン大手のくら寿司が、AI(人工知能)を活用した回転レーンの監視システムの導入を発表したことを受け、インターネット上などではさまざまな意見が飛び交った。歓迎の声があがる一方、カメラによる監視強化を懸念する声も少なくなかった。 【写真】AIカメラが「不正行為」を検知すると…? 「食事中にカメラで撮影されるのは気持ち良くはないが、迷惑行為を防止するためにはいいことだと思う」。くら寿司の東京都内にある店舗を訪れた練馬区の会社員女性(25)は「歓迎派」だ。 回転ずし業界では、テーブルに置かれたしょうゆボトルや湯飲みをなめたり、すしにアルコールスプレーを噴射したりする迷惑動画が拡散。回転レーン上を流れる他人が注文したすしやデザート
早朝の寝る前ぐらいの時間にぼやっと下記の様なツイートしたらちょっと反応を貰ったので、取り留めは無いが自分なりに考えていることを書いてみる。 人を育てるのも仕事の内というのは完全にその通りなんだが、そこにドキュメントや本があるから読みます、触って作ってみます、生きたコードを読みます、以外に学ぶ方法なんかねえし、知らねえよ。ただやればいいだけの事に説明も何も無いんだよな……。マジ分からん……。— joker1007 (アルフォートおじさん) (@joker1007) March 2, 2023 タイトルは雑に書いたけど、能力を高めるというと範囲が広過ぎるので、技術的な意味でできる事が増える、ということをテーマとして話をしていこうと思う。基本的に自分の考え方の話なのでそこは御留意ください。 ツイートした通りで、状況や対象に依って割合は変わるかもしれないが基本的にそのためにやることは3つしかないと
大学を途中で辞めてバイト生活をはじめてしばらくして、私が自分の仕事として選んだのは編集だった。もう40年も前のことだ。まだDTP以前の時代で、主流は写植だった。電算写植がそろそろ出てきていたけれどまだ虫眼鏡でドットが見えるぐらいの解像度で評判は悪かった。むしろ活字のほうがきれいだということで、実際、活版清刷り*1の仕事なんかもそこそこにあった。そんな時代のことだから、現代の常識とはちがう。もっというと、出版関係のオペレーションは出版社によってちがうし、業界によってもだいぶ常識がちがう。たとえば私のいた学参業界なんてのは著者と編集者の境界線が非常に曖昧だった。編集プロダクションは著者を起用する前提で原稿料と編集料の両方を請求するのだけれど、手練の編集者になると著者への依頼はせずに自分で原稿を書いてしまい、両方とも懐に入れるなんてことをやってた。出版社もちゃんとした原稿ができればそれでOKとい
僕は経済学研究科に所属する大学院生です。 ただし経済学の中でも特殊な領域を専攻しており、「どんな社会が”良い"社会か?」「”公平な"資源の配分とは何か?」など哲学的な問いを扱っています。 この記事では、初歩的な数学以外は前提知識なしに、社会的選択理論(経済学の一分野。社会についての哲学的な問いに対して数学でアプローチする)のイメージを共有してみたいと思います。具体的にはより細かいテーマとして最近取り組んでいるPopulation Ethicss(人口倫理)について取り上げます。 Population Ethicのモチベーションを紹介しながら、Ng(1989)によって示された不可能性定理を証明も含めて説明します。 「数学をこんな問題を考えるのに使っているんだ!」「経済学の中にはこういう領域もあるんだ」みたいなことを共有できたら嬉しいです。 長い旅にはなりますが、ぜひ経済学の中でも特殊な世界を
先日2月16日、新宿のロフトプラスワンで開催されたトークセッション「90年代サブカルチャー大総括〜鬼畜系とは何だったのか〜」にゲストの一人として出演させていただいた。90年代の露悪的で非道徳な「悪趣味ブーム」の振り返りや、そしてそのサブジャンルとして先鋭化した「鬼畜系」の仕掛け人となった青山正明と村崎百郎についての再評価が当時の経験者や批評家らによって行われ、こうした過激な文化が時代的にも取り上げ辛くなっている中、少しでも過去の清算を試みることができた夜になったのではないだろうかと感じている。あの場にお呼びくださった鴇田氏に、改めてお礼を申し上げたい。 t.livepocket.jp 私は青山や村崎の著作を、発行から20年近く経ってから読んだ世代であるが、初めて頁を開いた時に感じたのは「こんなことを書いてしまって、こんなものを読んでしまって良いのだろうか」という躊躇(ためら)いだった。例え
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