1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイ…
![富野由悠季「“希望の職業”なんてあるわけがねえじゃねえか、って思う」『機動戦士ガンダム』の15年前、嵐のような現場で手塚治虫に認められた日|概要|インタビューサイト 双葉社 THE CHANGE](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/65fa5358366a3d89d0377569197682e4847fd690/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ffc.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F0%2F9%2F1360w%2Fimg_090d89229f632a7310bd8fdd4c31a255212211.jpg)
1979年に『機動戦士ガンダム』で、ロボットアニメの世界にリアリティを取り入れる新しいジャンルを生み出した富野由悠季監督。82歳にして、今なおアニメの最前線で挑み続ける富野監督のクリエイティビティの源はどこにあるのか。東京・杉並のバンダイ…
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活字本から印象的な部分を抜き出すシリーズ2。 中島梓氏(=栗本薫)に「わが心のフラッシュマン」つう、特撮評論本があります。 わが心のフラッシュマン (ちくま文庫―ロマン革命) 作者:中島 梓筑摩書房Amazon本棚を探してたんだけど、行方不明だったが先日みつかった。 「SF」の人である中島氏だが、とくに特撮の大ファンであったわけではなく、四歳の息子さんが見ていたのでそれにつられて…というある意味ふつーのパターンだ。 (追記、ブクマの指摘で思い出したのだが、何と故中島氏もその子も実際にテレビ番組を見てた訳でなく、もらったテレビ絵本などの印刷物を見るだけで、想像を膨らませたのだった!) だが、そこはSFの人で、見てたらいろいろ言いたくなったらしく、それが一冊の本になるというね(笑) まあ特撮本ということじゃなく、そこから「人はいかに物語を求めるのか」など俺好みのテーマを論じるのがメインなのだが
キャリアの初期から近い場所でアニメに携わり、大きな仕事を成し得た富野由悠季と安彦良和。そんな間柄のふたりだからこそ、互いに理解できることがある――。安彦良和は、富野由悠季という映像作家をどのように見てきたのか? 7月26日発売の『CONTINUE SPECIAL Gのレコンギスタ』では、安彦良和にインタビューを敢行。富野由悠季について、ふたりの関わり合いや思い出を交えて、その日々を振り返ってもらった。 ここでは特別にその一部をお見せいたします。 キャリア初期から見える苦労人としての富野由悠季──安彦さんが富野さんと初めてお仕事されたのは1975年の『勇者ライディーン』になるんでしょうか? 安彦 そうだね。直接一緒に仕事をしたのは『ライディーン』が最初だった。ただ、富野氏が切ったコンテは、日本サンライズの前身になる創映社時代の前にも見たことがあった。虫プロダクション時代に最初に参加した『さす
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