(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎) いまから20年近く昔のことだ。中国に進出した日本の食品企業の工場をいくつも見て回った。バブル経済が崩壊してデフレに陥っていた当時の日本にとっては、中国が日本の強い味方だった。 そもそも日本にバブルが到来したのも、1985年の「プラザ合意」で円高基調を受け入れたことが引き金だった。その“強い円”を利用して海外に進出する企業も増えた。それで日本の食品メーカーが90年代の後半から、盛んに向かった先が中国だった。 低コストを目当てに中国に続々進出した日本企業 改革開放政策を続ける中国は、人件費も安く、人手も豊富で、距離的にも近い。そこで日本で培った高い加工技術を中国に持ち出し、現地の工場で国内産と同等のものを生産させ、商品を日本へ輸出する「開発輸入」を展開していく。 どこの工場にも従業員の寮が備え付けてあり、地方から集団でやってくる若い労働力を確保していた。
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