私はスタンダッパーに憧れていました。気の利いたジョークで、政治や経済や時代を揶揄する。もっともらしい顔して、当たり障りのないニュースキャスターよりも、不真面目な顔で、言いたいことを言うスタンダップコメディアンの方が、よりジャーナリスティックに思えたからです。皮肉を言ってやろう、揶揄してやろう、矛盾をついてやろう、歯に衣着せぬ言葉でやりこめてやろう、私にはしゃべりたいことがいーっぱいありました。 しかし今、私はこう思います。妻や子供たちと話す時間をなくしてしまってまで、みんなに話したい事って何でしょう? 団らんのひとときを切り上げてまで揶揄したい事って何ですか? 自分の幸せを壊してまで、皮肉りたい他人の幸せって何でしょう? 当たり前の中の真実は、失ってみて初めて気づくんです。 妻や子供たちとろくにしゃべれないヤツが、どうして大衆と話せましょう? 私は愚か者です。一番近い観客を満足させられずに