べき論というのは「義務を果たすこと、理想を実現しなければならないこと」などを強く主張することだけど、何も生産的な要素がないなぁとつくづく感じました。 べき論で自分の考えが無駄に縛られて精神的な自由さが奪われてしまう。べき論はしないことも同時に規定するので、自ら望んで板挟みになるようなもんだ。「すべき」と「しないべき」の板挟みの果てにできるのは「かくあらねばならない」という強烈な固定観念。強烈なリーダーシップを発揮することもあるが、思考の引き出しが1つしかないので、切羽詰まると正論(**であるべきだ)としか言えなくなってしまう。 べき論は終わりがない。言われたら言われるほど、自分に課されている義務や理想が膨らんで負担が大きくなってしまう。本当はミニトマトぐらいの大きさでしかないのにね。そして、その精神的負担は常に付きまとう。終わりが無いから。何を言ってもべき論で返されたら、これほどめんどくさ
感想や反対意見めいたものを書いてみる。 >刑事手続の流れや留置所での生活についての説明がない 実態はしらないけど、これはもっともかなと思う。 逮捕された時点で当番弁護士呼んで聞くという方法も一応あるけどね。 >勾留期間が長すぎる 22日が通常というわけでもないと思う。 逮捕から勾留請求まで3日以内、勾留が10日間が原則。 それと、勾留は取り調べ時間を確保するために行われるわけではない。 罪証隠滅や逃亡を防ぐために行われる。 前者の例としては、飲食店の店員への暴行であれば、被害者を脅して被害届を取り下げさせたり、供述を変えさせたりするおそれや、同席した知り合いと口裏を合わせるおそれなどが一般論としてはあり得る。 後者については、定職の有無や家族関係、犯罪の軽重などが考慮される。 逆に言えば、これらのおそれがなければ勾留されない。 期間が必要以上に長いかは一概には言えないが、事件数が多い上に、
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