小説新潮にて1968年生まれ、東京都出身の福井晴敏氏がまた「戦争教育がスポンと抜けていた世代」とおっしゃってて、爆心地に育った1976年生まれの私は少し羨ましく思う。 私の平和教育の思い出は小学1年生にさかのぼる。ある日先生がなんの説明もなく「今から2人組になり、片方が新聞紙の上に寝て、もう一人の子は体の縁を鉛筆でなぞってあげなさい。出来たら交代してその鉛筆の線の通りハサミで切り抜いて、お顔を書いたり、お洋服を着せたりしてあなたの分身を作って頂戴ね」という。その通り作成し終わると先生が体育館に運べ、という。 その日はそれで家路につき、次の日学校にいくと「平和集会を開きますので体育館に集まってください」と放送で体育館に生徒全員が集められる。そして生徒を待っていたのが、体育館の暗幕が下ろされ、体育館の壁全体に貼り付けられた昨日作った自分たちの分身。ちなみにマンモス校で1000人以上の生徒がいた