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*軍と*史に関するnobodyplaceのブックマーク (9)

  • 軍都東京・東京陸軍航空学校のこと: 極東ブログ

    先日、ひょんなことから東京陸軍航空学校の逸話を聞いて、驚いたというのではないけど、感慨深く思ったことがあり、こういう話、現代の若い人にはどう知らせているのだろうかと気になって、わかりやすそうなとして、ムックだが、『知られざる軍都東京』(参照)、『知られざる軍都多摩』(参照)、『知られざる占領下の東京』(参照)を読んでみた。 自著『考える生き方』(参照)にも書いたけど、僕は昭和32年生まれで、東京オリンピック前の東京や日の風景をリアルに知っているし、その後の高度成長期の変化をそれ以前の風景に感覚として結びつけることができる。それを手がかりになんとなく、自分の過ごしてきた東京の戦前・戦中・戦後の風景について知っているし、折に触れて関連の書籍なども読んではいたが、知識の抜けは多いし、全体像みたいのもまだよくわからない。冒頭で触れた逸話も、ちょっと虚を突かれた感じがしたのだった。 東京陸軍航

  • 【読書感想文】 山室 寛之 / プロ野球復興史

    前回は山室寛之さんの前著となる「野球と戦争」を紹介しました。 こちらは第二次世界大戦、戦前戦中の野球の勃興と発展、高校野球・大学野球がいかに人気を集めたか、いかにプロ野球が興ったのか、そして戦争が近付くにつれまた戦争に突入していく中でいかに野球が制限され禁止されていったのか。また、どれだけ多くの野球人が戦争の中で命を落としたのか。そのあたりの高揚感や苦闘について、証言や資料を基に検証し構成したというのが前著でした。 それに続くこの「プロ野球復興史」は戦争直後、つまり日が敗れ戦争が終わりアメリカ軍に占領され、すべての事柄がGHQの判断の下で決定され行われるそんな時代に、困窮する国民と同様にプロ野球選手でさえ今日の事にままならない中で、「国民に勇気を与える」という志の下、監督・選手自ら畑を耕し料を調達しながら興行を行う、まさにプロ野球の復興を描いたドキュメンタリです。 プロ野球草創期から

    【読書感想文】 山室 寛之 / プロ野球復興史
  • 【読書感想文】 山室 寛之 / 野球と戦争

    著者の山室寛之さんは元読売ジャイアンツ球団代表で任期は1998年から2001年。当時の僕はまだジャイアンツファンだったこともあり(今は「どちらかというとソフトバンク」くらいの割とフラットな感じ)、「山室寛之」という名前をとても良く覚えています。その一方で、読売ジャイアンツの「球団代表」という職は基的に読売新聞社の1ポストであって、そのポストに座る人は野球にはなんの関心もないただの飾りだろうと考えていたので、書を読んでとても驚きました。山室さんにとってプロ野球が、その歴史を記録していくことがライフワークであり、野球というスポーツに深い愛を感じてらっしゃるとは。当に申し訳ありませんでした。 書を買った理由はとても単純で、Number誌の書評コーナーで紹介されていたから。 Webでもこちらから読むことが出来ます。 元巨人球団代表が描いた、プロ野球の大動乱時代。~著者が語る『プロ野球復興史

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    nobodyplace
    nobodyplace 2012/10/23
    懐かしい
  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

    nobodyplace
    nobodyplace 2012/09/19
    なんと重要なまとめ / "頭のよい現実主義者は、相手も自分と同じように合理的に判断する、という思い込みで失敗します。"
  • 沖縄海兵隊メモ: 極東ブログ

    今週の日版ニューズウィーク(4.4)の表紙に大きく「普天間と日」とあり、沖縄の基地問題を扱っていた。その下には「海兵隊をめぐる勘違い」とある。沖縄の基地問題というより、在沖海兵隊についての話題が基である。私にとっては目新しい知見はなかったが、確認としてブログにメモしておいてもよいように思われた。 記事はジャーナリストのカーク・スピッツアー(Kirk Spitzer)氏によるもで、英語のタイトルは「Time to Pack up?」となっていた。私の記憶ではこの記事を英語版のNewsweekで読んだことはない。ざっと検索しても見当たらない。むしろ基的な主張と取材は、今年1月同氏がTimeに寄稿した「Marines on Okinawa: Time to Leave?」(参照)と同じなので、日版の編集者が「Time誌のこのネタで行こう!」とやってしまったような印象がある。 最初にこの

  • 駐日フィンランド大使館 on Twitter: "フィンランド伝説の狙撃手、Simo Häyhäはシモ・ヘイへではなく、実際には「シモ・ハユハ」と読みます。"

    フィンランド伝説の狙撃手、Simo Häyhäはシモ・ヘイへではなく、実際には「シモ・ハユハ」と読みます。

    駐日フィンランド大使館 on Twitter: "フィンランド伝説の狙撃手、Simo Häyhäはシモ・ヘイへではなく、実際には「シモ・ハユハ」と読みます。"
    nobodyplace
    nobodyplace 2012/01/30
    なんとまぁ
  • 【第5回MMD杯本選】BLUE SKY

    予選動画⇒sm11577993閉会・表彰式⇒sm12018871MMD杯⇒http://www31.atwiki.jp/mmdcup/選公式マイリスト⇒http://www.nicovideo.jp/mylist/20429464※映像に後からモーションブラーをかけていますが、雲・煙・モデル含め全てMMDから素の出力となっています。予選と同様、色調補正する時間もなかった。。。雲・土埃セット配布中 ※ご連絡頂いた方、ありがとうございます。https://bowlroll.net/file/3128投稿したもの mylist/19445988

    【第5回MMD杯本選】BLUE SKY
  • 普天間飛行場について:イザ!

    (いすけ屋) Wikipediaによると、普天間飛行場について、次のように記されている。 < 戦前、飛行場が建設される前のこの地域にはいくつかの泉が存在し、それらを水源に畑作が営まれる丘陵地であった。また島南部の那覇や首里と北部の国頭(くにがみ)を結ぶ交通の要衝でもあり、琉球松の並木道が続いていたという。 1945年 - 沖縄戦の最中に、宜野湾一帯がアメリカ軍の支配下に置かれると、アメリカ陸軍工兵隊の発注により中頭郡宜野湾村(現・宜野湾市)の一部土地を接収し、2,400m級の滑走路を持つ飛行場が建設された。 1953年 - 滑走路が2,700メートル(9,000フィート)に延長され、ナイキミサイルが配備された。 1960年 - アメリカ陸軍からアメリカ海兵隊へ移管された。民有地については、琉球政府が住民から土地を一括で借り上げたうえで米海兵隊に又貸しをし、軍用地料(基地・飛行場の土地

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