はっきり言って映画の興行収入としてはまだまだとしか言いようが無い 適当な実写化や国民的アニメの劇場版はそれを初週で叩き出すよ? ロングランでようやく叩きだした数字だけど費用対効果低すぎ。
はっきり言って映画の興行収入としてはまだまだとしか言いようが無い 適当な実写化や国民的アニメの劇場版はそれを初週で叩き出すよ? ロングランでようやく叩きだした数字だけど費用対効果低すぎ。
どこを使えばいいのさ? さ? さ? カクヨムは担当者レベルの想定が甘いからもうチョット揉めるだろ http://anond.hatelabo.jp/20160311165231 カクヨム、半月経たずに撃沈一歩手前っぽくなってる件 http://anond.hatelabo.jp/20160311120400 カクヨム、なろうはわかってない http://anond.hatelabo.jp/20160310000931 「小説家になろう」名称アウト 山形で19年続く講座、大阪の企業に商標 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160311-00000241-yamagata-l06
オッス、オラCGM関連のお仕事関係者! 季節外れのインフルエンザだよ! カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。 (下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね) お話の前提カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。 つまり、「運営が選んでなんかする」んじゃなくて、 「小説を書く人」が「小説を書いてコンテンツを作る」「小説を読む人」が「小説を読んでコンテンツを評価する」運営は場を提供すれば、勝手に面白いものが増えて、 勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。 カドカワにとっては、美味しい漁場ね。 という企画書になってるハズ。 非対称性が存在しないとうまくいかない評価Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数
Web小説なぁ。ラノベ、買ってますよ。pixivとかで知ってる、好きなイラストレーターが書いてるのは。読まないけど。挿絵を見るだけ。 カクヨム、小説家になろう、なんだけど、絵がないじゃん。まず読む気にならない。ああいうWeb小説は、読んでる奴がますます読むためのツールであって、読まない奴が読むエントランスにならねーよ。どう考えてもpixivで絵がある小説のほうがまだ読む気になるんだけど。 プロが書いてるのはわかるけど、絵がないじゃん。絵がないラノベなんて価値ないじゃん。絵がつけられるWeb上で公開されているのに絵がないのも理解できない。頭大丈夫? 大勢のオトナが仕事でやってるんだろうけどさ、大本のところで全然わかってないじゃん。絵がないのに読むわけないから。絵があるからページをめくってるだけなんだよ、読んでないけど。絵がほしいから電子書籍は意味ないんだよね。その大人は気づいてるのか知らんけ
作家さんってあれだよね。 愚鈍な人、卑怯な人、その他もろもろ「劣った人」をsageて、突出した能力や好ましい人格を持った「優れた人」ageばっかりやってるよね。 特に、漫画、ラノベの作家さんは。 でもね、世の中のほとんどの人、私は「すべての人」と言っていいと思ってるけど、ともかく大多数は「劣った人」だよ。 だから、人と人とが連帯しようと思ったら、各人の欠点、陰険であったり卑怯であったりというような、オハナシの中では排除されるような性質を強く持つ人についても、「嫌な奴」「困った奴」みたいに評価しつつ最終的には「仲間」として受容しないといけない。 作家さんは違うよね。卑怯な人間、陰険な人間、保身に汲々とする人間、そういう人間は軽蔑すべき存在として排除してきた。 少なくともそういう人間を排除すべきという価値観に基づく作品を発表してきた。 (もちろん全員がそうかは知らない) そして、あなた方の作品
ラノベやばい はい、いきなりはじまりましたが、一応ラノベ業界人です。エロゲ業界にもちょっと関わってたり知り合いが多かったりもします。 で、どうやばいのかというと、何がヒットするのか完全に手探りすぎてやばい。 それでも面白けりゃヒットすんだろ。だなんて仰られる方ももいらっしゃるでしょうが、面白いのにヒットしない作品もゴロゴロしててやばい。 何年か前、プロ野球史に名前を残したある大打者が、その年打撃好調だった若手に対して、「打ててる根拠がない」と苦言を呈したのと同じで、いまヒットしてるラノベの大半が、「売れている根拠がない」状態でよくわからないまま数字を伸ばしている。 もっともらしいヒット要因を挙げようと思えば挙げられはするけど、それってヒットしなかった作品にもあてはまるからややこしい。 近年のラノベ業界は、完全な手探り状態が続いている。 流行らしい流行が存在しなくなって久しい。 学園ラブコメ
世の中には様々な物語が有る。出版されたフィクションや、ニュースが作る世論、酒の席での武勇伝。種類は様々だ。 その中でも「俺は昔ヤンチャだった」という物語は人気がある。 最近はその人気も下火なのかもしれないが、少なくとも昔は大いに人気があったと思う。 昔はヤンチャだったという物語の中では「暴力的な馬鹿」は主人公や愉快な仲間の一人として肯定される。 男らしく、あるいは女の意地を守るために、彼ら彼女らは欲望や勢いのままに生きる。 そしてそれらは「人間味に溢れている」などと持て囃される。 仇役は「大人しい賢人」や「普通っぽい人間」だ。 物語の中で彼らは人間味がない、裏で何してるか分からない、人の目を気にしていると好き放題の言葉でけなされまくる。 子供向けの物語の中でも主人公が「暴力的な馬鹿」で有ることは少なくない。 伸び伸びとした健康的な子どもとして描かれ、ルールを守るガリ勉野郎を次々蹴散らすヒー
子供の入院に付き添って、しばらく病院に滞在していた。 手術の前後は必ずいなければならないのだが、親がすることできることは限られていて、概ね退屈な時間が続く。持参した本を読み終えて、院内文庫で本を借りることにした。頭は使いたくないが、すぐ読み終わるようなものは困る。村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」があった。好きな小説だが、ここ数年は読んでいなかったので、これを読み始めた。 小児病棟というのは、悲劇が日常になっていることが、感じられないくらい空気に溶け込んでいる場所だ。 付き添いで泊まり込んでいる若い母親が、もう泣きたいよーと笑いながら話す声が聞こえる。子供なんて、普通に生まれたら普通に育つもんだと思ってたら、まさか癌になるとはね。私からは見えないところから、笑い声の合間に鼻をすする音はするが、声は乱れず明るい。 細い足をむき出しにした小さな子を抱っこ紐で抱えたパンクファッションの母親が、
俺は平気で外でキスする方で、 相手が別に気にしないし、して欲しいと思ってた場合はする。 誰かに見られるのは恥ずかしい、家の中じゃないとヤダって子にはしない。 昨日、エスカレーターでキスしてたら、 後ろのおっさん(見た目40歳前後)に睨まれて舌打ちされた。 別に舌を入れまくったわけでも音を立ててるわけでもない。 反射的に「すいません」と軽く頭を下げたが、なんかもやっとした。 単純に他人のキスと言う行為を見せられて不快な気分になったのか。 そのおっさんの中では外でキスするなんてけしからんっていう価値観なのか。 例えば俺はすごい美人とブサイクがキスしてたらブサイクに対して羨ましいとは思うが、別にムカつきはしない。ましてや舌打ちなんか絶対しない。 他人がキスするのを見せられるってそんなに嫌なことなのか?
それ以上でもそれ以下でもない。 と見るとなぜか途端にジャンクフード擁護をはじめるのが昨今のいわゆるアニメオタク(ここでは「深夜アニメのファン層」とする)で、もう救いようが無い。 煽りというレベルじゃなく、本当の意味での信者になってる。しかもその対象はテレビアニメ。 キルラキルでは動画の簡素な箇所が目立つ、がそれは別に良い。それは必要最低限でも良いと思う。しかし信者はなぜか「省エネの仕方が上手い」「効果的」「次回に神作画来るな」とか、不必要にほめだす。同じこと(簡素な作画)を嫌いな、もしくは興味ないアニメで見かけたら「作画崩壊wwwwwww」とか書いてるよね。その評価ライン、判断ラインが作品でバラバラすぎる。そして判断後の行動も好き嫌いの範疇を超えてる。 ここは筋が悪すぎたので取り消します。失礼しました。 そういうアニメファン、キモいよ。 追記脚本もメチャクチャ粗いけど「熱いから細かいことは
確かにここ4~5年で女子人口が圧倒的に増加した感は否めない。 かくいう僕も以前はアニメイトの子会社に勤めていたけど幹部格に女子社員が多く自身の意見が周囲から浮いてるのは感じていたし それが容れられず女子社員の意見が多く採用されたことは、悔しさとは別の感情が蠢いていた。 もしかしたら辟易していたのかもしれない。 実際、僕と似たような感情を持っていたらしい上司が転籍を願い出たり同僚が鬱を理由に休職したまま辞職していたのを知ったのは、 当時僕の同僚が普段座っていた席に見知らぬ女子社員が座っていた事から分かったものだから。 今後、男子社員は減って行き、女子社員が増えていく事は会社全体の命題だったのかもしれない。 何故なら僕も既に閑職に追いやられてるような錯覚に陥りそうになっていたからだ。 アニメの仕事だから好きだからという理由だけで続けていたけど、雑務や庶務が実際の職務と異なる作業が続いている状態
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/03/17/entry_004997.html 『撮らせて』って頼んだのに断られた時、不機嫌になったりしなかった? 女に頼みを断られた男がすごく不機嫌になるのは当たり前。 殴られないだけ感謝しなきゃいけない。 女の子が渋々撮らせてくれた時、どう思いながら撮った? 普通の男は、渋々撮らせてくれたとは認識できない。 女も本当は撮られたいと思っていて、ビッチだと思われないために抵抗ごっこをしてみただけ、と考える生き物。 それが普通。そうじゃない男は一部の特別に頭が優れた男。 女の子に振られたあと、『ばらまいてやる』って一瞬でも思ったことある? 女に男のプライドを傷つける権利は無いと思っているのが普通の男だから、 女に振られたら写真をばらまきたくなるのが普通。 基本的に男は女をゴミみたいなもの
やっぱりここ1年、若くして突然死とか心筋梗塞とか脳梗塞とか増えてると思うんだ。身の回りで聞く話。そして、芸能人関連の訃報。昔からそれはあったことだろうけど、やっぱりあきらかに増えてる気がする。若くして。その歳で。っていうのが昔はそんなに多くなかったように思う。やはり原発事故の影響なのか。こういうこと言うと、放射脳だとバカにする奴ら。どうか、説明してくれ。理論的に、データで、僕を説得してくれ。それができたら、本当に心から安心できる。嫌みでもなんでもなく、理論的に、データで説得してほしい。でも、それができないなら、どうか放射脳とバカにしないでくれ。僕だけでない。神経質になってる人たちをどうかバカにしないでくれ。逆に僕も理論的に、あるいはデータで増えてるということ、そして原発事故との関連を証明はできない。ただ不安に思ってるだけだ。どっちの言い分が正しいのか。お互いに証明できないのなら、どうかそっ
と言うより分析偏重、論理偏重と言っても良いかもしれない。久しぶりに昔投稿していた小説サイトを覗いて、過去の自分の作品を観て愕然となった。素人となった今の自分から見て、セミプロに近い実力を誇っていたからだ。もちろん当時はそんなことは微塵も考えておらず、プロなど雲の上、と考える男だった。その時のやり方は、あやふやで歴史物以外はソースを重視せず、要するに感性のタガを外すことによってその隙間から創作物が生まれて来る感覚だった。要するに、表面的なことをことさら論って暴いてゆく思考ではなく、謎を謎のままとして楽しんだり、不可解を気味悪がったりする感情的な脳といってもいい。いつからかなぜこんなに乾燥するようになったのだろうと思い返した。2chで論理武装したり、はてなで論理武装したりする内にそうなっていったような気がする。何も暴いて明確にしてゆくと、そこに感情は失われる。あたかもひろゆきがセックスなんか所
フィクションの中の人工知能って、人間と関わることによって、だんだん人間っぽさを獲得していくパターンが主流って感じがする出てきたばっかの時は、まさに機械って感じのやつが、終盤にはやたら苦悩したり、恋したり、涙流したりするやーつになってるそういう感じで人間っぽくなっていくパターンを結構見てきたんだけど、正直飽きた そもそも人間とは違う存在なんだから、人間っぽくなるばっかりじゃなくて、人間の予想もつかない方向にぶっ飛び進化してもいいやん予想がつかなくて、よくわかんない言動を繰り返す物心ついたばかりのクソガキ、みたいな感じのぶっ飛び具合でもいいやんましてや人間とは違うカラダ(?)というかアーキテクチャ(?)なんだったら、人間と同じになるほうが無理くりやんか 逆に人間が人工知能と関わることによって、だんだん人工知能っぽくなる(?)ことも無いではないと思うけど、そればっかじゃやっぱ飽きるよだから、人工
何かを表現したいんです、つってわけのわからないアート?みたいのを作ったり、全く自分には意味の感じられないインスタレーションやってみたり、ああいうクリエイティヴに何かやりたいっていう情熱ってどこからでてくるんだろ。 ああいう社会的にも無意味・無価値に見える(まちなかにデンと意味不明な彫刻とか、あれ意味あるんだろうか?あってもなくても、全く違いを感じないんだけど)ことを心底楽しめる人って、人生楽しそうだなって思う。 目に見える現実的なもの、あるいはごく身近な家族の為になるようなものにしか価値を感じられない自分が貧しく思える。 いわゆるアート的な「クリエイティヴ」じゃなくても、他人や社会のために何かしたいとか言う人もいるが、それも思ったことがない。 なんでそこまで他人に好意を持てるのか理解できない。世の中なんて腹の探り合いと、見下しあいじゃんかってね。 そういえば、夢みたいなのを一度も持ったこと
新たな知識をインターネットに求めるのはやめたほうがいいという話。 すこし前まで、ぼくの関心は IT にあった。思えば癖のようなものだった。なにか興味がわいたときにはインターネットで調べれば、いつでもそれなりに優れた情報に、そう時間をかけることもなく辿りつくことができた。それはたとえばプログラミング言語の公式ドキュメントだったし、あるいは通信の規格だった。いつでもぼくはインターネットで、求めるものを見つけ出すことができた。そんなこともあって、たぶんぼくは勘違いしていたのだ。調べた先に求めるものがあると。しばらくしてぼくの関心は、IT とは特別かかわりのない分野へも向かった。ある意味でこれは不幸だったのかもしれない。インターネットには IT の円があった。そして、ぼくはずっとその中で生きていた。求めるものがそこにはあった。一歩、そう本当にたったの一歩でいい、たったそれだけでも円から外へと踏み出
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