コソコソの始まり弥生時代に入ると、大陸からの渡来人がもたらした稲作が本格的に始まります。稲作は収穫量が比較的安定しており、徐々にそれが「主」となり、収獲量の変動が大きい狩猟が「副」になっていきました。集落は、高台から稲作に好都合な川のそばの平野に移動しました。ここが日本列島人のターニングポイントです。 収穫が安定し生活に余裕ができると、要領よく溜め込むヒトと、そうではないヒトに差が出てきて、自然に貧富の差が生じてきました。『なぜヒトだけが幸せになれないのか』第3章でも少しお話ししましたが、これまではみんなで狩ってみんなで食べ切るという、ある意味平等だった「その日暮らし」的な生活がガラッと変わって、収入に差が生じ始めるのです。しかも狩猟と違い、収穫のサイクルが長いので、貧しい人はしばらく貧しいままです。 特に定住生活では、住居や蔵に余剰の食料を溜め込むことができます。つまり「財産」という「新