大阪大学・大阪市立大学医学部入試問題密売事件(おおさかだいがく・おおさかしりつだいがくにゅうしもんだいみつばいじけん)は、1971年に発覚した日本の大学不正入学・殺人事件。 1960年代から1970年代の大阪大学医学部と大阪市立大学医学部の入学試験問題は大阪刑務所(堺市、現・堺区内)で印刷されていた。この刑務所で服役していた3人の受刑者は入試問題の盗難を企てる。この3人のうちの1人が出所した後に、残された2人が刑務所内の印刷工場で印刷された大阪大学医学部と大阪市立大学医学部の入試問題を盗み出し、この入試問題をバレーボールの中に入れ、刑務所での運動時間中に刑務所外に投げ出した[1]。この手口を始めたのは1962年であったとされており[2]、5年以上にわたって準備が進められ、最初に入試問題が持ち出されたのは、1968年1月だったと言われている[3]。ただし、厳しい警備の中でバレーボールの中に入