久寺家と書いて「クジケ」と読ませる。この奇異な地名を冠に頂いた久寺家中学校こそ、わが母校である。かぎりない可能性を秘めた少年少女が通う学舎に「クジケ」はないだろうと思われるが、文武両道の誉れ高き、なかなか評判の高い公立中学校だった。僕の家は小学校の校門から走って15秒、中学校の校門まで走って2分という好立地にあったため、どれだけ体調を崩そうとも、学校を休む事ができなかった。おかげで小中ともに皆勤賞。 スポーツ用品店の裏、用水路に架かった橋を越えて。久寺家中学校に通う生徒の大半は、わが家の前を通って登下校していたはずだ。きっと「彼」だって。もっとも彼が中学生のとき、僕は大学生。面識があるわけがない。それでも暑い夏も、寒い冬も、青地に白線の入ったジャージを着て、部活の練習に向かうその姿は容易に想像できる。絶対に群を抜く実力者だっただろう。久寺家中卒業後、彼はサッカーの名門・市立船橋高校に進学す