震災の津波で店を流された宮城県女川町の中華料理店「金華楼」が、元の場所近くの海辺で店を再建し、町の人たちに親しまれている。店内には、がれきの中から見つかった「金」の大看板。金色に光るお客さんの笑顔をまた見たいと、店長は再び腕を振るっている。 金華楼は、1955年創業の老舗。震災の日、4代目店長の鈴木康仁さん(45)はいつものように店を開いていた。午後、突然津波の警報が聞こえ、高台に家族を連れて避難した。家族は全員無事だったが、店は跡形もなく流された。 避難所では生活することで必死だった。しかし、避難所にいた常連客から「またやるんですよね」と何度も言われ、店をやり直そうと決断した。 「がれきの下に、看板が残っていましたよ」 震災から1週間後、役場の職員がそう教えてくれた。元の店には、「金華楼」の看板を2階と3階の間の壁に掲げていた。女川を襲った津波は高さ約十数メートル。鈴木さんは「残っている
全国有数のサンマの水揚げで知られる女川町のJR女川駅前で24日、20回目の「おながわ秋刀魚(サンマ)収獲祭」があった。不漁の中、三陸のほかの地域などからサンマをかき集めて、例年通りの開催につなげた。約2万5千人が、秋の味覚に舌鼓を打った。 女川のサンマの今季初水揚げは今月20日。例年より2週間ほど遅く、収獲祭実行委員長の石森洋悦さん(61)によると、量も「前年同期の1~2割くらいではないか」という。目玉の1万匹の炭火焼きや5千食のつみれ汁の無料提供は例年通り行われたが、20匹を1千円で提供する格安販売は中止された。 炭火焼きのコーナーでは、網に並んだ銀色のサンマから香ばしい匂いがたちこめ、来場者が列を作った。昨年から炭火焼きのボランティアに参加している仙台市青葉区の会社員、友光達人さん(32)は「気仙沼では祭りが中止になってやきもきしたが、脂の乗ったサンマが提供できてよかった」と話した。(
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東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町で作られるエレキギターの販売が17日始まり、第1号機が、工房のある町中心部の商店街で披露された。 購入したのはヘビーメタル好きの須田善明町長(44)。ギターを製造した「セッショナブル」の梶屋陽介社長(33)のたたくドラムに合わせその場で演奏した。 女川産ギターには「ルックスも音質も革新的に」(梶屋社長)とのこだわりが込められている。通常はボルトで留めるギター本体とネックを、三陸沿岸に伝わる宮大工技術「気仙大工」の木組みでつなげた。また、弦を留めるテールピースには岩手県釜石市の会社で作るコバルト合金を採用。きれいな低音を響かせ、近年の演奏者から好まれる音質に仕上げた。町外から移住してきた20代社員の職人3人が「気仙大工」以外の製造を手がけている。 演奏後、須田町長は「(音に)感激した。海を越えてユーザーに届くかも知れない。女川になかった産業をみん
スマートフォンの人気陣取りゲーム「イングレス」を使い、観光客を誘致する動きが東北で活発化している。実際に現地へ足を運ばなければならないルールを利用し、各地ではまちのPRや店の売り上げアップを期待する。一方、リスクを指摘する声もある。 津波で被災し、全線復旧した宮城県のJR石巻線。3月22日、復興イベントでにぎわう女川駅前で、東京都の会社員黒河内昇さん(37)がスマホを見つめていた。 建て直された駅が、早くも奪い合う場所として登録されていた。黒河内さんは操作を終え、津波が襲った駅前を見回した。「4年たっても更地なのか。自分の目で見ると、インパクトが違う」 女川町観光協会が主催した、ゲームをしながらまちを歩くイベント。全国から10~50代の約50人が集まった。黒河内さんは帰りがけ、手ぬぐいなどの土産を買い込んだ。「占領しても、奪われたら取り返しに来ないといけないので、また来るでしょう」 岩手県
4年前に津波被害を受けた東北沿岸の各地で、地元を元気づけてきた仮設商店街の商店主たちに「2度目の移転」の決断が近づいている。新たなまちなみにあわせた「本設」の商店街づくりの構想もあるが、東日本大震災を機に人口減と高齢化は加速。廃業を考える人は少なくない。 女川 かさむ家賃、再移転に二の足 宮城県女川町の中心部では、ブルドーザーやパワーショベルが「ドドドド」「ガガンガガン」と音をたてて行き交っている。 ここには、津波で全壊したJR女川駅が21日に新しくでき、12月には駅前に新商店街が完成する予定だ。構想では、幅15メートルの遊歩道が海岸にかけて延び、両側にスーパー、薬局など生活密着型の店のほか、ダイビングショップやギター工房など27店が並ぶ。 商店街を運営する「女川みらい創造」によると、「半数は町の外から客を呼び込める店」だ。近江弘一専務は「観光客が趣味に没頭し、ゆったりと過ごせるように考え
山形県酒田市の菊池真智子さん(51)は、47歳でおばあちゃんになった。大崎市で看護師をしていた長女の歩さんが、女川町で働く同い年のゆう君と出会い、結婚。震災の前の年の9月、男の子が生まれ、凛と名付けられた。 お産を終え、酒田の実家から女川に送り出すとき、言った。「アユもお母さんになったんだから、凛を守らなくちゃだめよ」。歩さんは「マチコの説教がまた始まった」と笑って聞いていた。 ちゃんとした式は挙げていなかった。春に凜と一緒にお披露目をしよう――。その日は来なかった。 津波は、JR女川駅近くの4階建てアパートを丸ごとのみこんだ。地震の後、公園に避難していた歩さんは、凛くんを抱いて石垣を登ろうとしたが、手が届かなかった。誰かが「赤ちゃんを放して」と叫び、歩さんはそうせずに流された、との目撃証言がある。 職場にいたゆう君は難を逃れた。1週間後に駆けつけた菊池さんらと、避難所を、次に遺体安置所を
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