今日は、結局共謀罪反対のデモには行かなかった。山岡俊介氏が今日のデモについて書いている。 http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2006/04/post_8df9.html 本紙・山岡も忙しいなか、しかし最優先で参加して来たのだが、正直、余りの参加者の少なさに愕然としてしまった。 既報のように、これだけの悪法、しかもこの最大の正念場で、その数はたったの100名いるかいないか。これに対し、公安警察は50名近く(下の写真。デモ参加者のいる公園を、道路の向こうから覗いたり、写真を撮る様子)。警備の警官と合わせたら、向こうの方が多かったかも知れない。 “第2の自民党”’とも揶揄される民主党さえ、党を上げて反対せざるを得ないほどの内容なのに、これだけとは……。真面目に、この国はいったい、どこに向かうのかと、暗い気持ちにならざるを得なかった。 10
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Arisanさんが、生田武志氏の『<野宿者襲撃>論』に関して、的確にポイントを押さえた懇切丁寧な書評を書いている。その中で私が特に強く共感・賛同したのは次の箇所だった。 この本での記述を読むと、90年の暴動が若者と野宿者との奇跡的な出会いをもたらしたのは、それが偶発的な共闘だったからであり、また一瞬のものだったからだとも思える。 テレビのニュースなどで騒ぎの様子を見て、「これは自分の問題だ」と直観してやってきて投石などに加わった若者たちの行動は、あらかじめ約束されたものではなく、誰にも予期できなかった偶発的なもの(出会い)だろう。この偶然性こそが、「別のルール」を保証するのではないかと思う。 「連帯と共闘」は、この偶然性を尊重しなくなれば、ただちに「既存のルール」、つまり「イス取りゲーム」と、同質的な共同体への「過剰適応」(あるいは感情の転移)のなかにおちこんでしまうだろう。(『<野宿者襲
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