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educationとcritical thinkingに関するoptical_frogのブックマーク (2)

  • 中央値を!もっと中央値を! - ハリ・セルダンになりたくて

    少しばかり前のニュースになるんですが、久しぶりの「やさしい統計学」のための良い題材になると思うので、少しばかり記事を引用したいと思います。 区の学力テスト 保護者に無断で障害児の成績除外(読売新聞) 東京都足立区教育委員会が昨年4月に実施した独自の学力テストで、区立小学校の1校が、障害のある児童3人の成績を、保護者の了解を得ないまま集計から除外していたことが7日わかった。 (中略) 同区教委によると、区独自の学力テストは、全区立小中学校を対象に2005年度から格的に実施。昨年は4月25日に区内の小学校で一斉に行われた。問題があった小学校でも、1年生を除く全児童が国語と算数のテストを受けたが、情緒障害などがあり、特別支援教育学級に通っていた6年生3人の答案については、保護者の了解を得ず、採点しなかった。 (中略) 同小の平均点は05年度は全72校中44位だったが、06年度は1位になっていた

    中央値を!もっと中央値を! - ハリ・セルダンになりたくて
  • 限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    【主張】学力テスト 指導の改善へ積極公表を 全国学力調査をめぐる議論でよく目にするのは,限界をふまえないまま議論しているもの。ここでいう限界というのは,全国学力調査を含めたテストは,見ようとするものしか見えないのだということ。 全国学力調査のことを何度も「魔法の杖」に例えている。その理由は,限界をふまえないままsれもこれも評価できる,実態が把握できるという議論が多いからだ。 例えば,教師の能力を評価したいと考える。そうであるならば,必要な調査項目は何か。妥当な調査方法は何か。改善策を立てるにはどのような調査項目が必要か。そうしたことがまず第一に問題にされなければならない。けれど,全国学力調査に関する議論では,評価できるという前提でそうしたことを問題視しないまま,結果の公表だけが主張されている。 もし,結果が公表されなければそもそも何も分からないではないかといわれるなら,それは当だろうか。

    限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会
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