歌川広重『六十余州名所図会 対馬 海岸 夕晴』/安政2年(1856年)の作。 主島は対馬島(つしまじま、つしまとう)で、このほか属島として5つの有人島(海栗島、泊島、赤島、沖ノ島、島山島)と102の無人島がある[7]。この対馬島と属島をまとめて一般的な表現として「対馬」と呼ぶことが多い。古くは対馬国(つしまのくに)や対州(たいしゅう)、また『日本書紀』において、対馬島(つしま。3文字合わせてこう読むのが書紀古訓での伝統)と記述されていた。 地理的に朝鮮半島に近いため、古くからユーラシア大陸と日本列島の文物が往来し、日本にとっては大陸との文化的・経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。現在は大韓民国(韓国)からの観光客が増加しており、日本の海釣りの名所として知られ、島内の至る所にハングルが併記された標識や案内を見ることができる。なお、韓国における対馬の呼称は、日本語読みに準じた「쓰시마섬」と、