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南三陸町に関するorticaのブックマーク (6)

  • 国内最古級の爬虫類化石 宮城県で発見 海中進化解明へ - MSN産経ニュース

    宮城県南三陸町の約2億5千万年前(中生代三畳紀前期)の地層から、国内最古級の爬虫(はちゅう)類の化石を東京学芸大などのチームが発見した。魚竜など海に生息する爬虫類の進化を解明する貴重な手掛かりになる。熊市で開催中の日古生物学会で29日、発表する。 チームは南三陸町の海岸で平成18年、長さ数センチの肋骨(ろっこつ)や背骨などの化石を採取。昨年、詳しく分析したところ、形の特徴から海にすむ爬虫類で、体形がイルカに似た魚竜の可能性があることが分かった。体長約2メートルの成体とみられる。 同じ地層からは、世界で最も原始的な魚竜として知られる「ウタツサウルス」(歌津魚竜)の化石が見つかっているが、今回の化石は別種という。 この時代は恐竜が出現する少し前で、生物の大量絶滅が起きた直後。当時の海生爬虫類の化石は世界でも種類が少なく、その後の多様化や繁栄の過程はよく分かっていない。 東京学芸大の佐藤たま

  • 海の爬虫類で最古の化石、南三陸町で発見 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮城県南三陸町の2億5000万~2億4500万年前(三畳紀前期)の地層から、世界最古級となる海の爬虫(はちゅう)類(海竜)の化石を発見したと、東京学芸大の佐藤たまき准教授(古脊椎動物学)らの研究チームが29日の日古生物学会(熊市)で発表する。 化石は背骨と肋骨(ろっこつ)で、推定全長は約2メートル。同じ地層からは、1970年に世界最古の魚竜(魚型の海竜)であるウタツサウルスの化石が多数発見されたが、今回の化石は骨格の特徴が明らかに異なる。未発見の魚竜か、原始的な海竜のオムファロサウルスに近い生き物とみられている。 佐藤准教授は「この時代の海の爬虫類を何種類も含む地層は、海外でも非常に限られる。南三陸地域は世界に誇れる貴重な化石産地だ」と話している。

  • 河北新報 東北のニュース/宮城震災遺構46ヵ所候補 伝承研究会保存リスト

    宮城震災遺構46ヵ所候補 伝承研究会保存リスト 宮城県内外の有識者らでつくる「3.11震災伝承研究会」は24日、東日大震災の津波の猛威や教訓を伝える「震災遺構」として、構造物や自然景観など県内46カ所の保存候補を発表した。現時点で保存に動きだした例は少ない。研究会は近く各自治体にリストを郵送するほか、県や国にも示し、保存に向けた活動を加速させる。  研究会座長を務める減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎理事長と谷口宏充東北大名誉教授が県庁で記者会見し、メンバー13人が選んだ保存候補を示した。  主な候補は表の通り。気仙沼市鹿折地区に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」、町職員ら42人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎、津波で横倒しになった女川町の女川交番や江島共済会館など鉄筋コンクリートのビル3棟などを盛り込んだ。  学校の減災対策に生かすため、多数の児童と教職員が犠牲になった石巻市

    ortica
    ortica 2012/09/25
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  • 河北新報 東北のニュース/チリ大統領「友好のモアイ像贈る」と約束 宮城・南三陸

    チリ大統領「友好のモアイ像贈る」と約束 宮城・南三陸 宮城県志津川高に保管されているモアイ像の頭部を見るピニェラ大統領 チリのピニェラ大統領夫が30日、東日大震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町を訪れた。大統領は被災状況などを視察し、友好の証しとしてモアイ像を贈ることを約束した。  大統領は、津波で町職員ら約40人が犠牲になった町防災対策庁舎に献花し、黙とうをささげた。佐藤仁町長が津波の高さなどを説明すると、真剣な表情で耳を傾けた。  大統領は町中心部を約40分間歩いた後、チリ地震津波(1960年)30周年を記念し、91年にチリから贈られたモアイ像とコンドル像があった広場を訪れた。  頭部が流され、高さ10メートル以上のがれきに囲まれたモアイ像を見た大統領は「日もチリも災害に負けずに勇気と希望を持って前進してきた。友好の証しとして、もっと大きく美しいモアイ像を贈りたい」と話し、「日

    ortica
    ortica 2012/03/31
    [h:keyword:チリ地震]
  • 南三陸の防災対策庁舎、保存一転・取り壊しへ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    宮城県南三陸町の佐藤仁町長は、東日大震災の津波で多数の職員が死亡・行方不明となった町防災対策庁舎について、保存する方針を撤回し、取り壊す意向を示した。 防災対策庁舎は鉄筋3階建て、高さ約12メートル。震災当時、少なくとも職員ら約50人がいたが、生存が確認されたのは10人だった。佐藤町長は、津波被害の象徴として保存する方針を示していたが、職員の遺族から「悲しみを呼び起こす」と取り壊しを求める声が上がっていた。佐藤町長は読売新聞の取材に対し、「一人でも取り壊しを求める声がある以上、尊重したい」と答えた。 佐藤町長は「多くの同僚がなくなったことへの責任を感じている」として、17日から職員の遺族宅を訪問しており、同日は6遺族を訪れ、謝罪した。

    ortica
    ortica 2011/09/20
    [search:防災対策庁舎]
  • 【東日本大震災】南三陸町長が職員の遺族に謝罪「浸水は2メートルだと思った」 - MSN産経ニュース

    東日大震災の津波で防災庁舎に避難した職員が犠牲となった宮城県南三陸町の佐藤仁町長が「市街地の浸水深は1~2メートルほどではないかと考えた」と認識の甘さを認め「重く責任を感じている」と謝罪したことが5日「殉職職員家族会」が提出した公開質問状への回答で分かった。 質問状では、6メートルの津波と3メートルを超える浸水深が想定されていたのに、3階建ての防災対策庁舎に職員を集めたことなどを指摘。 町は「津波非常配備計画に基づき行動した。市街地の浸水深は1~2メートルと考え、6メートルの津波が襲来し、浸水しても高さ12メートルの屋上に避難すれば安全と考えていた」と回答した。

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