【ランス(仏北部)=三井美奈】20世紀にパリで活躍した画家・藤田嗣治(1886~1968年)の作品663点が21日、永眠の地・仏ランス市に寄贈された。 作品は2018年にオープン予定の同市美術館の目玉として、常設展示される。 寄贈された作品は、藤田が1913年の渡仏直後に描いたパリの風景画、7歳の時の自分を描いた自画像など油彩画15点のほか、ステンドグラスの下絵、陶器など約2億円相当。遺族十数人が所有していた。ランス市には昨年10月、このうち約30点が移譲されており、今回の寄贈で藤田の渡仏から晩年までの作品が勢ぞろいすることになった。 ランスはシャンパンの産地シャンパーニュ地方の中心都市。藤田は59年、同市でカトリックの洗礼を受けた。洗礼親となったシャンパン醸造業者の依頼で市内に礼拝堂を建設、「フジタ礼拝堂」として知られる。藤田は死後、パリ郊外に埋葬されたが、2003年に同礼拝堂に改葬され
戦後復興期、「日本の辺境」に向かった研究者たちはそこに何を見出(みいだ)そうとしたのか。 敗戦の後、人類学・社会学・地理学・宗教学など幅広いジャンルに跨(またが)る九つの学会によって結成された「九学会連合」は、1950年から90年まで日本列島各地で計11回にわたる調査を行った。本書は、対馬(50~51)、能登(52~53)、奄美(55~57)の初期3調査の実態を最新の研究も踏まえながら振り返る。 まず研究者たちが調査地に見出そうとしたのはそこに残る「日本人」「日本文化」だった。当時の日本は生々しい戦争の傷跡を各地に抱えていた。当然、その「傷の痛み」は「植民地の喪失」にもあった。失われた「領土」との境界である「島」や「半島」を調べ、そこが確かに日本であることを自己証明する。それを調査する側=研究者も、調査される側=地元住民も意識せざるをえなかった。宮本常一が調査開始と同じ50年に開戦した朝鮮
広島原爆で被爆し、長年被爆者の治療に当たってきた医師、丸屋博さん(88)=広島市安佐南区=が今月末、医療現場の一線から引退する。1977年に広島共立病院(同区)院長に就任してから2000人以上の被爆者を診てきたと語るが、今月5日に米寿を迎えたのを機に決断した。自らも原爆症と認定された丸屋さんは「核被害の過小評価は許せない」と訴え、今後はもう一つの顔である詩人として告発を続ける。 丸屋さんは山口県岩国市出身。旧制広島高校(現広島大)を45年春に卒業し、米軍が広島に原爆を投下した時は岡山医大(現岡山大)の学生で岩国の実家にいた。知人を捜すため2日後に広島に入り、惨状を目の当たりにした。卒業後、54年に東京で勤務医になり、岡山の病院を経て77年に広島医療生活協同組合が運営する広島共立病院の院長に就いた。93年の退任後も内科医として現場で働き、現在は名誉院長で週1回健診を担当している。 「被爆者」
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