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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (7)

  • 「断片的な声」についての補足 - Arisanのノート

    一昨日書いたことへの補足。 かなり荒っぽいところのある話だったので、特に「マジョリティ」と「マイノリティ」といった言葉に関連して、もう少し整理してみたい。 「断片的な声」の浮上・嘲笑 ウェブ上のコミュニケーション空間の発達は何をもたらしたのか。 現代社会は、「人間は誰でも複数の属性に帰属している」という事実への自覚を人々にもたらしたが、インターネットの発達はそれを急速に強化した。 たとえば、ある属性のために差別や不当な社会的扱いを受けている人間は、その事柄に関しては「当事者」だが、その人の生には「当事者」でない別の面もある。 「人はすべての事柄において当事者であるわけではない」ということ、つまり帰属の複数性という事実は、人格についての統合的な働きが強固だった社会では、明瞭に意識されることがなかった。人が「当事者」であるところの有力な属性が中心となって、その人の人格を意識において統合し、他

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    ortica 2015/04/15
  • 『プルーストを読む』を読む - Arisanのノート

    プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書) 作者: 鈴木道彦出版社/メーカー: 集英社発売日: 2002/12/17メディア: 新書購入: 5人 クリック: 23回この商品を含むブログ (24件) を見る このを読んでいて、一番戸惑いを感じたのは、たとえば次のような箇所だ。 これは、この小説の「語り手」による、社交界の生活の辛らつな描写に関する指摘である。 語り手はこういうときに、いちいち上流社交人の教養の無さを指摘するわけではない。むしろ彼らの言動を淡々と伝えるだけだ。そしてこれは作者プルーストの立場でもあるけれども、憧れを持って入りこんで行った環境のなかにあらわれる人々の滑稽な側面を、彼は異常なくらいの熱意をこめて描く。つまり外部から「フォーブール・サン=ジェルマン」を裁断するのではなくて、一種の共犯的な批判者として、華やかな世界の持つ醜さを、愛情をこめて紹介す

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    ortica 2015/02/09
  • 『暴力の哲学』 - Arisanのノート

    そのときから五百年生きてるのは そのような砦や 濠をめぐらした聚落が すぎ去った歴史の中でなく 消えぬ痕跡を残して いまもあるということやろう おれも、おれの仲間も一日に十里は走れる足を持っていて いまも駆けている 倒れてもまた起ち上って駆けている 石山から久寶寺へ 平野へ、堺へ あのときもアザミが咲いていたこの河原の土堤のほとり、富田林へ (小野十三郎 「環濠城塞歌二番」より  思潮社 現代詩文庫『小野十三郎詩集』) 暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜) 作者: 酒井隆史出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2004/05/21メディア: 単行 クリック: 86回この商品を含むブログ (54件) を見る 著者の酒井隆史さんという人は、たしか大阪の南部、堺とか富田林の方にある学校の先生で、ぼくより少し若いぐらいの年の人だ。 以前から読みたいと思っていただが、やっと読んだ。 長文注意

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    ortica 2014/04/15
  • 無力化に抗するために - Arisanのノート

    自民党は三百議席程もとる大勝だったのに、幹事長まで務めた加藤紘一氏は落選したそうである。 すでに広く言われているように、今回の選挙では、一般に左翼的とみなされている勢力だけでなく、リベラル保守と呼ばれるような勢力も、ほぼ壊滅したと言っていいだろう。この敗北が、一過的なものであるとは、到底考えられない。 今回の自民党の大勝利と、右派・改憲派に対抗するべき勢力、政党で言うなら、社民党、共産党、それに議論が分かれるが未来といったところだが、それらを全て合わせても20議席にも満たないという惨状、これを小選挙区制のせいにする意見がある。 たしかに、得票数は、この選挙制度の不合理を明らかに示しているようだ。この選挙制度は、よくないものだと思う。 だが、それを批判することにかまけて、今回の選挙にあらわれた、あるいは選挙結果によってもたらされた事態の深刻さから目を逸らしてしまうのは、愚かなことだと言うしか

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  • 竪川・野宿者の住まいのことと、その人たちへの「不安」について - Arisanのノート

    何度か情報を紹介してきた、東京竪川の強制排除の問題だが、解決の糸口が見えず、排除強行がいつ行われるかという不安と緊張の毎日が続いているようだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/tatearakansai2012/3091621.html (是非、上の記事を読んでください。) ところで、こうした問題が起きると、「出て行って別のところに住めばいいではないか」と、考える人も多いだろう。 しかし他に住む場所が無いから、そこに小屋を作ったりテントを張ったりして住むわけで、そこさえも追い出されるということは、路上にでも寝泊りしろいうことであり、事実上、死ねと言ってるのと同じである。 町を歩いていても、この人は路上で毎日寝泊りしてるのではないか、という人を時々見かけるが、考えたくないが、ぼくたちはその人を毎日見殺しにしながら生きている。 今回の強制排除のようなケースでは、なんとか夜露を

    竪川・野宿者の住まいのことと、その人たちへの「不安」について - Arisanのノート
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    ortica 2012/02/07
  • 『思想のドラマトゥルギー』 - Arisanのノート

    思想のドラマトゥルギー (平凡社ライブラリー) 作者: 林達夫,久野収出版社/メーカー: 平凡社発売日: 1993/06/21メディア: 文庫購入: 3人 クリック: 68回この商品を含むブログ (24件) を見る この長大な対談の根っこになっているのは、冒頭近くに林達夫が語っている、子ども時代の次のようなエピソードだと思う。 林  実は、それには一つのエピソードがあるんです・・・・いま、初めて人に披露するんだが・・・・叔父の家の隣りに貧しい車引きが住んでいてね。そこの一人娘で二級ぐらい上だったかな、実に凛々しい、威厳のある子がいました。苦しい家計のためでしょうか、真冬に足袋もはけない始末で、いつも素足なんだ。叔母は気の毒がっていたが、彼女は少しも悪びれた様子もなく、当り前のことのように甲斐甲斐しく働いている。僕はそれに感動していたんだろうな。ある日、ふと、”僕もう足袋なんかはかん”と宣言

    『思想のドラマトゥルギー』 - Arisanのノート
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    ortica 2011/12/24
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  • 神話を守り続ける者たち - Arisanのノート

    時代の風:原発事故と生肉中毒=東京大教授・坂村健 http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20110522ddm002070092000c.html 世に絶対安全がない以上、やるかやらないか、どこまでコストをかけるかということは、事故想定確率とその被害額を掛けた値と、社会的なものまで含めた経済のてんびんによるしかない。原発について議論するなら、その使用済み燃料処理コストまで含めたライフサイクルコストの不明朗さをむしろ突くべきだ。 この人の言ってることは、前回のエントリーで紹介した文章に比べると、一見まだまともに見えるけど、根的なところで詐術的な事実誤認を示している。 日人が「安全神話」を手放さなかったことが、今回の事故の原因だなんて抽象的なことを書いてるけど、「安全神話」を流通させ押し付けたのは、どこの誰だ。 上に書いてる

    神話を守り続ける者たち - Arisanのノート
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    ortica 2011/05/29
    [h:keyword:坂村健]
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