「当時は貧しかったから身売りは仕方がなかった」には納得できない。に関連して、当時の新聞記事を紹介。※読売新聞のデータベース「ヨミダス歴史館」で検索したもの。 読売新聞 1936年10月24日 夕刊 二面 貧しき東北から 身売り小隊入京 哀れ少年少女十一人 上野署で発見 直ちに保護 東北にはもう初雪が降った。陰惨な冬がこれから始まる。雪の下にひしがれた東北の乏しい生活、その生活苦の深いためいきが、初雪の便りにのって帝都へ運ばれてきた。十一人の少年少女が売られて来たのである。この季節のかなしい暗い尖兵、快晴の秋空の下に心躍らす都会人よ。東北のこの深いため息が聴こえないか。寒々とした東北の姿が見えないか。 今年は豊年だという北の国からああ今年も冬の足音をのせて“東北凶作一番列車”上野駅にすべり込んできた。二十三日朝七時青森から着いた列車に修学旅行にしては様子の可怪しい十一名の少年少女の一団がいた