教育に関するoshamanbeのブックマーク (51)

  • 教育格差と教育の公共性 - 今日行く審議会

    デイヴィッド・F・ラバリーは、「脱出不能‐公共財としての公教育」の中で次のように述べている。 教育における公益は、個々の消費者の私益の総体には還元できない。というのは、私益を追求する個人を全部集めても、誰も他人の子どもの教育を省みようとすることにはならないからである。学校システムが個々の消費者に私的財を提供するという圧力に晒されているなら、すなわち、よい仕事や社会的地位や快適な生活といった私的財の獲得競争において有利な立場に立つ機会を提供するといった圧力に晒されているなら、そのときは、教育の広範な公的便益が浸されることになろう。こうした消費者優先の学校システムは、教育経験を著しく階層化し、力のある消費者に対して、システムからの利益を勝ち取る機会を拡大することになるであろう。それは、教育システムを、勝者と敗者を作り出す選別・選抜メカニズムとしての性質の強いものにしていく。しかも、この場合、

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  • Sankei Web 学生の教授評価サイトに政府系機関が“改善”要求 ドイツ(08/27 23:28)

    北大西洋条約機構(NATO)の拡大など東西冷戦終結後の米欧関係に携わってきた元米国務次官補のダニエル・フリード氏(71)が産経新聞の取材に応じた。米国のウクライナ支援が大統領再選を狙うトランプ前大統領と共和党議員の抵抗で滞る状況を、第二次世界大戦前の米国の「孤立主義」と…

    Sankei Web 学生の教授評価サイトに政府系機関が“改善”要求 ドイツ(08/27 23:28)
    oshamanbe
    oshamanbe 2006/08/29
    評価システムの導入は難しい
  • http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060828it01.htm?from=top

  • 塾要らずの公教育は本当に素晴らしいのか - 今日行く審議会

    塾要らずの公教育実現 谷垣氏、政権構想を具体化 子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる 谷垣氏に限らず、よくこういうことが言われる。果たして、塾に通わなくて済む公教育当に素晴らしいものなのだろうか。塾に通える子と通えない子との間で格差が生じていると言われている。その格差を解消するためには公教育の質の向上が必要だと言われる。しかし、それはおかしい。 まず、塾と学校は全く同じ役割を担っているものではない。塾に通う目的は人それぞれだが、大まかに言って二つある。一つ目は受験の準備をすること。二つ目は学校の授業だけでは理解が十分ではないので、そこを補うこと。そういうものは、公教育の質が高ければ必要がないのか。それは違う。受験の準備にしても、理解できないところを補うにしても、「公立の学校とは異なる」からできることだ。公教育には様々な制約がある。そういう制約は塾にはない。その点だけで

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  • パルティオゼット利用者1万人突破! - 旧・Z会ブログ(移転しました)

    Z会が運営するSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「パルティオゼット」が、開始から約7ヶ月にして利用者1万人を突破致しました。 このようなプレスリリースも出ていますので、是非ご覧ください。 ※Internet Watchダイジェスト版にも取り上げられました。 私(ブログ担当:寺西)も運営に携わっているため、最近ちょくちょく取材の電話を受けるようになりました(^^ ※これから複数の書籍で取り上げられる予定もありますので、取り上げられ次第ここでお知らせしたいと思います。 取材を受ける時に、 いろいろ考えられていますね〜 スタッフさん、運営管理大変じゃないですか? しっかり管理されていてすごいと思います! などといったメッセージを頂くことがあるのですが…これはこれでありがたい言葉として、返答は 「パルティオを作ってくれている利用者の方がすごいんです」 必ずこれなんです。 パルティオ

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  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 BIGLOBEのサービス一覧

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  • 『馬鹿親』が増えているという件について : 大西 宏のマーケティング・エッセンス

    2006年08月21日12:04 『馬鹿親』が増えているという件について カテゴリ変化への視点 kinkiboy Comment(4)Trackback(3) 『馬鹿親』問題の実態は、大阪大学の小野田教授の調査もあり、昨年あたりから新聞でも取り上げられ、またネットでも議論がかなり見受けられます。 >>ゴネまくり親たちに教師お手上げ ネットで議論白熱中 >>痛いニュース(ノ∀`) 「義務教育だからら給費を払う必要はない」…親らの無理難題急増 エゴイストで、教師、校長、教育委員会に無理難題をふっかける『馬鹿親』は、昔からいたように思いますが、増加傾向にあるようで教師の悩みのひとつになっているようです。今日の朝のテレビ朝日系列の『スーパーモーニング』でも取り上げていました。 『馬鹿親』といえば、かなり前のことになりますが、子供が遠足に行ったときに友達とふざけあっているうちに、山の傾斜地で転んで

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  • POLAR BEAR BLOG 「答えがググれる世界」の教育

    最近忙しくて、なかなかニュースがチェックできません。ので今日はニュースというわけではないのですが、日経の記事にあったちょっと気になる部分にコメント。 ■ ネットと文明 第6部 ヒトはどこへ(1) 30センチの世界(日経済新聞 2006年8月17日朝刊 第1面) 日経新聞で以前から続いている「ネットと文明」の新シリーズ。今日が1回目で、いろいろと興味深い内容だったのですが、その中にこんな記述がありました: 最小の完全数は6、二番目は28。では三番目に小さい完全数は--。早大こどもメディア研究所客員研究員、戸塚滝登(53)は難題の宿題を小学五年生に出した。狙いは考える力の検証だ。 完全数はその数字を除いた約数の和がその数字に等しい自然数。「頭をどう悩ませたか見たかった」。ところがある児童が提出したノートに鉛筆の跡はない。「三番目は496」。ネットで検索したページのコピーがそのまま張ってあった

  • 高木浩光@自宅の日記 - 一日中幼児たちの映像を不特定多数に公衆送信している保育所, 追記(19日)

    ■ 一日中幼児たちの映像を不特定多数に公衆送信している保育所 子ども守るIT ――学校で駅で街で, 朝日わくわくネット, 2005年9月28日 ネット中継 幼稚園での笑顔満開/職場で家で親安心 (略)こうしたシステムでは、保護者らには専用パスワードを配布して映像が見られるようにするが、権限のない部外者には映像を見せないのが普通だ。しかし、同保育所は「保育所に興味を持ってほしい」と、一般にも映像を公開している。もっとも、子どもの安全を守るため、カメラのズームアップはできないようにしており、保護者でもない限り、映像で子どもの見分けはできない。 という記事があった。「西脇保育所」で検索してみると見つかった。 社会福祉法人 西脇保育所 ライブ映像 たしかに、誰でもライブ映像を見られるようになっている。今見たところ、プールから出た女児たちが全裸になって着替えている様子が映っていた。 「映像で子どもの

  • 学校2.0 - R30::マーケティング社会時評

    はてブではなぜか産経の記事だけが盛り上がっているが、昨年の朝日の記事のほうがずっと詳しいのでそちらを読まれたし。 わがママに先生困った 保護者の「無理難題」(asahi.com) はてブからたどれる言及ブログでは「嘆かわしい」「教師より親のレベルの方が低いんじゃないのか」「この国の将来が心配だ」等々、知ったような口をきいてる方々が多数いらっしゃる。あはははは。みんなはあちゅうテンプレ、好きだなあ。今度は「絶対保護者改革」ですよね、やっぱ。 例のテンプレレベルな憂国談義で盛り上がりたい向きはともかく、この問題については、昨年8月の読売新聞の記事がちゃんと解決策まで提案しているので、そちらを見るべし。逆に言うと、問題だけ投げ出して何の分析も解決へのヒントも提示してない産経は、ただの無責任なセンセーショナリズムと言われてもしょうがないんじゃないかと思う。それに見事釣られるはてなダイアラーおよびは

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  • 学校から、実校へ : 404 Blog Not Found

    2006年08月03日13:45 カテゴリValue 2.0 学校から、実校へ 私も今のところ「負けてなかった」のは、このことにいち早く気がついていたからだ。 分裂勘違い君劇場 - 格差は「不可視のリテラシー」によって引き起こされている それらは、学校教育では、どうにもならない。なぜかというと、学校の先生というのは、「学校を出て学校に入った人たち」だから、学校以外の世界の原理を知らないからだ。世の中が、マーケティングで生産性でマネージメントでイノベーションになっちまってることを知らない浦島太郎だからだ。学校というところは、浦島太郎が浦島太郎を拡大再生産する工場みたいなもんなのだ。 しかし、学校が格差是正装置であったというのも、また事実なのだ。 「親族」以外の教育ルートを発見し活用したことこそが、今の先進国--全ての先進国--を先進国にしたのだ。「親の後を継がない方がいい場合もある」。これが

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