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2014年10月3日のブックマーク (3件)

  • ネット生活を幸せにする宗教 Virtual Religion

    言葉遣いに気を遣います 正しい内容と正しい伝え方、両方がそろってはじめて相手に届く言葉となります。 例えば、以下のような言葉遣いやふるまいを避けます。 「幼稚」「幼稚園児並み」「小学生並み」などの人格批判。そのような言葉を使うことによって、むしろ自らの幼稚さをさらすことになります。 「毒舌」「毒吐き」という自称。人を傷つけることを平気で言うし、それを許してください、という主張です。 「質」。多くの文脈では、「私が言いたいこと」「私が大事だと思っていること」などで十分です。 「マスゴミ」などの罵倒。「マスコミ」で十分です。むしろ、マスコミへの過剰な期待をさらすことになります。 「マスコミが触れない」。いわゆる「悪魔の証明」です。「私はマスコミでは見たことがない」で十分ですし、あなたが知っている時点で十分マスに伝わっています。 「論破」。議論は相手あってのものです。相手を「破」してしまうと、

    ネット生活を幸せにする宗教 Virtual Religion
  • 小泉今日子「戦う女 パンツ編」

    第一章「パンツ」 幼い頃の私の写真を見ると、いつもスカートからパンツがはみ出している。はみ出しているというか、明らかにパンツよりもスカートの方が短いのだ。後ろ姿ならまだわかるが、正面から写した写真なのにパンツが丸見えなのである。パンツを見られて恥ずかしいなんて意識も芽生えていなかった幼い日の私は、母親が構えるカメラに向かって無邪気に、そして健気に満面の笑みを送っている。 私の母親は、田んぼや畑だらけの田舎の風景に馴染まない人だった。東京の下町で生まれ育った彼女は〝とっぽい〟青春時代を過ごした。ビリヤードのセミプロになったり、ダンパ荒らしだったり、映画俳優と恋をしたりしていたらしい。そんな彼女が田んぼだらけのこの町に来たのは芸者になるためだった。大伯母がこの町で置屋をやっており、一家離散した母は大伯母の養子に入った。数年間芸者として働き、八歳年上の堅気の父親と出会い結婚して主婦になった。主婦

    小泉今日子「戦う女 パンツ編」
    oyssi
    oyssi 2014/10/03
  • 「まなめはうす」は読んではいけない - 六番

    「まなめはうす」とはなんなのか まなめはうす id:maname が書いているブログであって長い歴史がある。凄い。結論から言うと、id:manameのせいでいろいろな業界が滅びるから読んではいけない。 更新が卑怯 まなめはうすは卑怯である。個人ニュースサイトなのに毎日更新される。雨の日も風の日も毎日同じ職人の手作業で最新のエントリが作成される。id:manameがどうしても更新出来ない状況に陥らない限り毎日更新される。しかも更新時間が朝の6:00から8:00ぐらい。これでは通勤時間にケータイで確認出来てしまう。朝の電車内で電車内広告が見られることはないし、新聞の朝刊を広げて読むこともない、スタミナが回復したソシャゲーをやることもない。なぜなら毎朝更新されるまなめはうすがあるからだ。これでは日の産業は破壊されてしまう。 ことばが卑怯 まなめはうすは毎回名言が書かれている。名言だけでも卑怯な

    「まなめはうす」は読んではいけない - 六番
    oyssi
    oyssi 2014/10/03