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ブックマーク / ta-nishi.hatenablog.com (57)

  • 長男と女性は大学に行かせないことが常識だった、1965年ごろの長野県山村の話 - 自意識高い系男子

    togetter.com ↑元の話題とはあんまり関係ないんだけど、一連の地方と学歴の話の中でふと思い出した話題があったので今日はその話でも。 私の母方は兄母弟の3兄妹なんだけど、みんなそろってとても頭がよかったらしく、実際、弟は早稲田大学を卒業している。その弟氏曰く、「勉強では兄ちゃんと姉ちゃんにはとても敵わなかった」とのことなんだけど、その早稲田弟よりも優秀だったらしい「兄ちゃんと姉ちゃん」は高卒だ*1。 これはなぜかというと、母の実家である長野県山村では、当時(1965年ごろ)長男は農家を継ぎ女性は嫁に行くというのが人生の既定路線だったから。どうせ家を継ぐのに、どうせ嫁に行くのに、学歴なんてあってもしょうがない。当時、母の父(私の祖父)はじめ田舎の人間たちはそう考えていた。 当時の田舎の常識に照らし合わせて考えてみれば、確かにこれは合理的だったのだと思う。農家の仕事をするのに学歴なんて

    長男と女性は大学に行かせないことが常識だった、1965年ごろの長野県山村の話 - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2021/06/07
    これ、twitterで概要を読んだんだけど、そのときに「それって家父長制では」と答えかけて、ためらった。今でもそう言っていいかためらう。大筋では家父長制という言葉が似合うけど……
  • 現代社会に蔓延する「うっすら反出生主義」と、「産まされてきた」ことに対する契約破棄権としての「安楽死」 - 自意識高い系男子

    人間は「産まれてくる」のではない。「産まされてくる」 anond.hatelabo.jp ↑「同意のないセックス」は比較対象として微妙とは思うものの、増田の言いたいことは分かる。要は同意も取れていないのにひとりの人間を勝手に世界に産み出し、下手をすれば娑婆における「生の苦しみ」に我が子を晒す出産という行為は親の身勝手であり非人道的な行いなのではないかということだろう。 増田の言いたいことは理解る。 実際、私が子供を持たなかった(持てなかった)理由のひとつに、「よほど万端の準備を整えてからでなければ産まれた我が子の幸せに親としての責任を果たせないと思ったから」というのはある。そして結局その「準備」は果たせないまま、私は出産のタイムリミットを迎えてしまった。 経済的な面でも精子の衰えや自閉症発症率等の生体的な面でも、40代中盤という年齢で子供を産むという行為は相当な蛮勇だと言わざるを得ない。私

    現代社会に蔓延する「うっすら反出生主義」と、「産まされてきた」ことに対する契約破棄権としての「安楽死」 - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2021/05/31
    わからなくもない。でも、これは引き算の発想ではある。もちろん、その引き算の発想が奇妙なまでの生肯定の結果であるとしても。 その引き算の発想がどういう情況で生まれたのかを、自分なら気にする。
  • 「書くことがなくなった」のであれば、書かなければよい - 自意識高い系男子

    p-shirokuma.hatenadiary.com 「書くことがなくなった」ことが「悩み」になるという感覚が、よくわからない。書くことがなくなったのであれば書かなければいいし、書きたいことが出てきたならまた書けばいい。私にとって書くということは、ブログというものは、そういう営みだ。 実際ここ数年、私もまた書くことがなくなり、2019年以降のブログ更新回数は年10回にも満たない状況が続いていた。最近また書きたいことが出てきてブログが楽しくなってきた。だから今日もこうして記事を書いている。 なにものにも縛られず自由に文章を書きたいのである。書くという行為に妙な責任やしがらみを持ち込みたくないのである。 ありがたいことに私のような末端ブロガーにも商業原稿のお誘いが舞い込んできたことがこれまで何回かあるが、あまり乗り気になれずすべてお断りしてきたのもそうした理由による。友人主催の同人誌やメルマ

    「書くことがなくなった」のであれば、書かなければよい - 自意識高い系男子
  • 弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子

    15年ほど前の私は、当時はてなダイアリー界隈で流行していた「非モテ論壇」の一員だった。「スクールカースト」をはてなキーワードに登録した人間だと言えば、伝わる人には伝わるのかも知れない*1。 最近流行の弱者男性論の内容は、当時の非モテ論と重なる部分が非常に多い。焼き直しと言ってもいい。唯一違うのは、当時の非モテ論壇では現在弱者男性の定義のひとつとされている「経済力」が完全に無視されていたことだ。 当時の非モテ論者は20代の若者がほとんどで、半分くらいは学生だった。この年代の若者にとってモテと経済力はほとんど相関がなく、モテを左右するのは主に容姿やコミュニケーション能力やサークル内での立場等、要は「異性にとっていかにイケている存在か」という「恋愛規範」にいかに乗れているかという部分で勝敗のほとんどが決する。当時の非モテ論壇で経済力が全く重視されていなかったのは、論者の若さに拠る部分が大きかった

    弱者男性論者を見ていると、「社会適応という名の悪」に対してあまりにも潔癖すぎると強く感じてしまう - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2021/05/05
    "私にとっての「脱オタ」は、喩えるなら就活のようなものだった。就活では誰も「ありのままの自分」で勝負などしようとはしない……潔癖な人間ほど、この行為を「悪」と感じるだろう。"
  • 恋愛が結婚/出産と結びつけられ社会的なものとなった瞬間、世界はセカイと化しその存亡は私たちひとりひとりの手に委ねられた - 自意識高い系男子

    恋愛はもはや個人的な営みではない plagmaticjam.hatenablog.com 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 ↑のようにid:plagmaticjamさんはおっしゃり、来個人的営みであるハズの恋愛が、「取引」「市場」という社会的営みとしてのみ語られる弱者男性論及びフェミニズムの現状に違和感を表明されている。 しかし、私の考えは少し違う。確かに恋愛そのものは個人的な営みだと思う。しかし現代社会においては恋愛が、結婚およびその先にある出産という次世代再生産システムに組み込まれてしまった。それゆえ現代の恋愛はミクロのレベルでは個人的営みだが、マクロで見れば社会的な営みとして語られざるを得ないのである。 70年ほど前、戦中までの日はそうでは

    恋愛が結婚/出産と結びつけられ社会的なものとなった瞬間、世界はセカイと化しその存亡は私たちひとりひとりの手に委ねられた - 自意識高い系男子
  • 「やりたいこと」が何もなくなってしまった - 自意識高い系男子

    相変わらず暇な毎日を過ごしている。仕事が終わってから寝るまでの時間、何もすることがない。 時間があるならを読んだりゲームをやったりすればいいと思うのだが、面倒臭さが勝り酒に逃げてしまう。 いつの間にか好奇心というものが、すっかり私から喪われてしまったようだ。これは加齢によるものなのか、なにか他の原因によるものなのか。 数年前までの私には、まだ「やりたいこと」があった。人生への執着があった、好奇心があった。それはとても幸せなことだったのだなと、今になってみて思う。 ta-nishi.hatenablog.com

    「やりたいこと」が何もなくなってしまった - 自意識高い系男子
  • ただ、生きているだけ - 自意識高い系男子

    AM.3:00 起床。 特にやることもないので、TSUTAYAで借りてきたマンガを読んで退屈な時間を潰す。『キングダム』『闇金ウシジマくん外伝 肉蝮伝説』『1日外出録 ハンチョウ』『中間管理録 トネガワ』『夫のちんぽが入らない』『月曜日の友達』。 『月曜日の友達』は作者もタイトルも知らずジャケ借りした作品だったのだけれど、素晴らしかった。1巻しか借りていないので続きが楽しみだ。 マンガに飽きたらネットを観たり積みを崩して適当な時間を過ごす。最近読んだのははてなでも活躍中のシロクマ先生著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さ』。 個人的には「人間市場」の話として受け取った。人間市場に参入するために、そこで自分が選び選ばれるために、個人が「市場価値」を要求される社会。その「価値」のベースにあるのが健康/清潔/道徳であり、それを得ることが難しい特性を持った者は市場に参入すらできず、友

    ただ、生きているだけ - 自意識高い系男子
  • 40代にして、初めて「寂しさ」という感情を知った - 自意識高い系男子

    コロナで人と会う機会が減って、若いころに比べてずいぶんと寂しがりやになっている自分に気が付いた。孤独には強い方だと産まれてこの方ずっと思っていたというのに。 幼少のころの私には、友人がほとんどいなかった。思春期にはそんな自分に劣等感を持ち不登校になるなど辛い想いをしたけれど、その辛さはあくまで周囲と比べたときの自分のコミュニケーション能力の低さへの劣等感であり、友人がいないことそれ自体を苦痛だと感じたことはなかった*1。 1人で趣味に熱中している時間は楽しかったし、時に消費し、時に創作し、いまよりもはるかにコンテンツから「充実」を引き出すことができていたと思う。それは若さ特有の瑞々しい感性や、劣等感という現実からの逃避の必要性に依る面も大いにあったのだろうけれど、少なくとも当時の私はいまよりはるかに孤独との付き合い方が上手かった。 たぶん、この10年ほどの間によくも悪くも私の感性が変容して

    40代にして、初めて「寂しさ」という感情を知った - 自意識高い系男子
  • 真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す - 自意識高い系男子

    lifehack2ch.livedoor.biz 上の記事、完全に私のことだ、と思いました。私は、自分のことをコミュ障だと思っているのですが、それを最も痛感するのが「初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく」という、タイトルのような症状が露呈してしまったときです。 普通、コミュニケーションというものは、初対面のときが一番緊張し、何度か会う中で信頼関係が産まれ、徐々に自然体でコミュニケーションをとることができるようになる、という段階を踏むのが一般的だと思います。 ところが、私の場合は逆なのです。初対面は、むしろ一番得意なのです。普通の人よりも積極的に話題を振り、ノリよく話を盛り上げ、笑いまでとれる。私は若いころ、ナンパなどしていた時期もあったのですが、そうした「一期一会」の場では、私はまるでリア充のように快活に、堂々と振る舞うことができ、いわゆる「お持ち帰り」の経験すら

    真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2019/08/30
    なんか書きたいけど疲れて動けねぇ。
  • このまま恋愛的アプローチを行うことが「リスク」と化していけば、安全に恋愛を楽しむ場所を提供するサービスとして『恋愛相談所』が登場することになるだろう - 自意識高い系男子

    コミュニケーションの加害リスクに過敏になっていく、世間の風潮 ta-nishi.hatenablog.com 前回の記事のブコメを見て、恋愛的アプローチの加害性/被害性について過敏な人は予想以上に多いんだな、と思った。 恋愛に限らずコミュニケーションにおいてはどんなに気を付けていてもすれ違いは必ず発生する。それを根絶しようとするのではなく事後どのようにフォローするかが重要だと私は考えているので*1、「告白ハラスメント」のようにコミュニケーション被害を必要以上に危険視したり、逆に加害リスクを前に過剰に萎縮してしまうような風潮はいかがなものかと思っている。 とはいえ恋愛的アプローチの加害性/被害性に男も女も過敏になる風潮がこのまま高まっていけば、そもそも恋愛的アプローチ自体が非倫理的であるとされ、避けられる方向に向かうのではないだろうか。セクハラ・パワハラが社会問題としてかつてない程大きく取り

    このまま恋愛的アプローチを行うことが「リスク」と化していけば、安全に恋愛を楽しむ場所を提供するサービスとして『恋愛相談所』が登場することになるだろう - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2019/08/26
    ハラスメントやストレスに敏感になっていく限り、こうした管理・構造化された男女のマッチングシステムの出現はあってもおかしくないと思う。/文中に出てくる「謁見」というボキャブラリーについ苦笑。
  • 『ネットの発言にいちいちムキになる方がおかしい』という風潮が当たり前になるくらい、みんなが発言責任を取らなくなってしまった今のネット社会では、議論なんて成立するわけがない - 自意識高い系男子

    b.hatena.ne.jp 「下手なこと書くと反撃が来るからネットでの発言には注意と責任を払いましょう」なんてネチケットの基中の基だと私は思っているんだけど、↑を読むと「ブコメにいちいちムキになる方がおかしい」とか無責任の極みみたいなコメントが並んでいて憂になる。 とはいえ「クソリプ」なんて言葉が流行るほどに、「ネットの他人の発言にいちいちムキになる方がおかしい」という風潮が、はてブに限らずネット全体の空気感として強まっている現代。今後もネットで議論なんてますます成立しなくなっていくんだろうな。↓の記事での東浩紀氏の問題意識にも重なる話。 blogos.com 自分はAが正しいと信じている。にもかかわらず、こっちには全然違うBが正しいと信じている人がいる。これはなんでなんだろう。まずはそう考えるのが大事なんです。説得や論破が大事なのではなくて、違う意見が存在するのはなぜなんだという

    『ネットの発言にいちいちムキになる方がおかしい』という風潮が当たり前になるくらい、みんなが発言責任を取らなくなってしまった今のネット社会では、議論なんて成立するわけがない - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2019/05/29
    とりあえず、「はてな村」がダムに沈んだことだけは間違いない。例えば、はてなブックマークの世界は過去も昔も殺伐とはしていたが、「筋」は今と昔ではだいぶ異なるものになった。
  • どのような人生を送っていれば、子供を持つ世界線に、私はたどり着くことができていたのだろう? - 自意識高い系男子

    ちょうど10年前。当時付き合っていた彼女と交際7年目で31歳だった私は、これからこの女性と結婚し家庭を築き上げていくのだと、なんの疑問も持たずに思っていた。 当時の私は正社員で年収約550万。貯金も600万ほどあり、31歳という年齢としての経済力はそれなりといったところ。彼女は4歳年下で、正社員実家暮らし。具体的な経済状況は知らなかったが、この2人であれば結婚するに当たって経済的には充分問題なし。 2人の関係は交際開始当初からずっと熱々で、双方の親との関係も良好。不安要素はなにもない。私は兄弟がいて楽しかったから、子供は2人くらい欲しいかな。私も彼女も、お互いそんな事をよく話していた。 交際7年記念パーティの場で、私が祝辞のメッセージを"Congratulations on the 8th anniversary!"と1年勘違いして発注してしまったとき、「これだけ長いと何年目かわかんなくな

    どのような人生を送っていれば、子供を持つ世界線に、私はたどり着くことができていたのだろう? - 自意識高い系男子
  • 『周囲で誰も持っていないパソコンのゲームについて知っていた』のは、あなた方がそれなりの都会で育ったからですよ! - 自意識高い系男子

    mubou.seesaa.net ↑の話、しんざきさんの体験談自体は事実なんだろうけど、2歳上のほぼ同世代の77年産まれで、同じくゲーム大好き人間の私の体験とはまったく違うので、ちょっとその辺についてでも。 文化貧困地区に、屋など無い 思うにしんざきさんの体験談は、ある程度の都会…まぁ、「通学路とか地元の小学生の活動範囲圏内に屋がある」程度には、都会な場所の話だと思うんですよね。「PCゲームの知識は雑誌から得た」って書かれてますけど、置いてある屋がなければ、雑誌自体が手に入らないし立ち読みもできませんから… 私は学生時代、埼玉の辺境に住んでいたんですが、屋も電気屋もゲーセンも、大人が自転車で30分以上は余裕でかかる、駅前商店街かジャスコまで行かないとありませんでした。第二次性徴期前の小学生がジャスコまで行くのは、かなりキツい。普段の活動圏内にあったのは公園と、せいぜい個人経営の駄

    『周囲で誰も持っていないパソコンのゲームについて知っていた』のは、あなた方がそれなりの都会で育ったからですよ! - 自意識高い系男子
  • あのころ、僕達には「好きなものは好き」と言う自由すら存在せず、『隠れオタク』を余儀なくされていた。これが差別でなくてなんなん? - 自意識高い系男子

    かつてのオタク差別はそれはもう酷いものだったが、現在はほぼ消滅した 山弘のSF秘密基地BLOG:オタク差別は消滅しつつある ↑の記事に、ほぼ同意見。 80年代に端を発した、「人間をネアカ/ネクラに"人種分け"し、ネクラ側の人間は好きなだけ馬鹿にしてもよい」というネクラ差別と、その延長としてのオタク差別。これが最もひどかった全盛期が、80年代中盤~00年代中盤までの、約20年間。その後、差別は緩やかになっていき、現在はほぼ消滅した。これが、この件に対する私の認識です*1。 私がこう考える根拠のひとつに、90年代のオタクの常識であった「隠れオタク」や、00年代初頭に盛り上がった「脱オタ」ムーブメントが、現在ではほぼ死語と化しつつある、という状況があります。 『隠れオタク』『脱オタ』の時代 「隠れオタク」は、オタクであることが周囲にバレると迫害を受けるため、アニメやマンガが好きであることを周囲

    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/05/01
    まあその気が向いたらなんか書きます
  • 差別の本質は個人の『差別行為』にあるのではなく、それが社会的に正当化されてしまうような『空気』の方にある - 自意識高い系男子

    差別の質は、差別行為を正当化する社会の『空気』にある togetter.com anond.hatelabo.jp ↑の件について。 まず私は、差別とは侮辱や排外等の個人が行う「差別行為」が問題なのではなく、特定の属性に対する個人の嫌悪感からの差別行為が社会的に正当化されてしまうような「空気感」が問題なのであり、その空気こそが差別の「質」なのだと考えています。 黒人、LGBT、宗教、女性、朝鮮人、部落出身者、オタク、ネクラ、キモい人間、etc…。彼・彼女等が「一般人」と世間的に対等な存在とみなされているのであれば、彼・彼女等を個人的に嫌い「差別行為」を行うことは、褒められた行動ではありませんが、まだ、個人の好き嫌いの範疇です。 こうした「差別行為」に関しては、被害者に反論の機会も与えられますし、何より加害者自身が、周囲からそうした差別行為を咎められ、批判されるでしょう。これらの行為は、

    差別の本質は個人の『差別行為』にあるのではなく、それが社会的に正当化されてしまうような『空気』の方にある - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/04/27
    ちょっと論点がごちゃっとしている印象はある
  • 人生を幸せに生きるためには、「友人」「趣味」「時間」「お金」「健康」が大事 - 自意識高い系男子

    シロクマさんの中年観、私の中年観 p-shirokuma.hatenadiary.com シロクマさんこんにちは。お返事ありがとうございます。 中年という季節を楽しめているということで、なによりです。シロクマさんのような生き方…結婚し、子供を持ち、自分ではなく子供第一の人生を生きる。非婚化/少子化が進む昨今ですが、なんだかんだ言ってそうした生き方をする方が、現代社会ではまだまだマジョリティです。そうしたマジョリティの生き方を実践する中での諸々を発信してくことは、多くの方の人生の参考となる、価値のあることではないでしょうか。 翻って私を見れば、40歳のおっさんで独身子無し。属性だけ見れば、世間一般的には、あまり幸せな人生を送れていなさそうな、負のイメージを背負った存在かも知れません。試しに「40代 独身」でググってみれば、こんなマンガが真っ先に出てきたりします。 こうした寂しい独身中年も、事

    人生を幸せに生きるためには、「友人」「趣味」「時間」「お金」「健康」が大事 - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2018/04/03
    いや、まさに。こういう人生もまた、後から生きていく歳下のロールモデルたり得るものなんですよ。生き方が多様化した現代だからこそ、こういう40代の境地も、肯定的に語られて然るべきだと思います。
  • 友達100人、できたかな - 自意識高い系男子

    渇望 友達がたくさんいる人間に、なりたかった。社交的な人間に、なりたかった。人気者に、なりたかった。 幼少時代から青春時代にかけて、私の交友関係は「無残」のひとことだった。小中高と友人がまったくできず、かろうじて存在した数少ないそれは『パシり』『いじりいじられ関係』という名を与えたほうが相応しいような関係性だった。休み時間は寝たフリ、あるいは図書室の中に引きこもってやり過ごし、体育のペアパートナーは常に体育教師であり、修学旅行では『余り者』として別段仲良くもないクラスの地味グループに、お情けで入れていただいた。 世界が狭い10代の人間にとって、学校に居場所がないという状況は、耐え難い生き地獄だ*1。コミュニケーション能力に対するコンプレックスをこじらせた私は、高校へ通えなくなってドロップアウトし、フリーターとなって数年間を過ごした。 友達がたくさんいる人間に、なりたかった。社交的な人間に、

    友達100人、できたかな - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/06/13
    「出会う機会という分母が多くなれば、気が合う人間という分子も増える。」
  • 『利害関係と義務感だけで結婚する人間の不思議』と、たにしさんは前回のエントリで書くべきだった - 自意識高い系男子

    タイトルが、悪かったです ta-nishi.hatenablog.com 昨日書いた↑なんですけど、ブコメが全然噛み合っていないと思ったので、id:white_cake さんから教えていただいた「ラブスタイル類型論」を援用し、いまさらながら補足エントリを書いてみます*1。 ラブスタイル類型論 - Wikipedia 詳しくは↑のWikiを見ていただくとして、「ラブスタイル類型論」では、恋愛は以下の6つの要素に分けられます。 Ludas [ルダス/遊びの愛] Pragma [プラグマ/実利的な愛] Storge [ストーゲイ・ストルゲ/友愛的な愛] Agape [アガペ/愛他的な愛] Eros [エロス/美への愛] Mania [マニア/嫉妬深い愛] リーの恋愛タイプ測定テスト:LETS-2 恋愛診断 前回の記事には、「結婚生活に燃え上がるような恋愛感情は不要。信頼関係が大事」というコメント

    『利害関係と義務感だけで結婚する人間の不思議』と、たにしさんは前回のエントリで書くべきだった - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/31
    ta-nishiさんはロマンチストでいらっしゃる。
  • 『たいして好きでもない相手と結婚する』人間のことが、理解できた - 自意識高い系男子

    ta-nishi.hatenablog.com 3年前、↑の記事で書いたように、好きでもない相手と無理をしてまで結婚する人間の存在が、私は以前から不思議で仕方がなかったのだけれど、先日友人と飲んでいた時、「親孝行のため」という話が出てきて眼からウロコが落ちた。 なるほど、その発想は私からは絶対に出てこない。私が思っていた以上に、みんな家族が大好きなんだな、と驚いた。 私は仲が悪くいつもケンカしている両親を見て育ったため、家族というシステム自体が大嫌いで、こんな不幸を再生産するシステムは早く無くなったほうが良いと考えているくらいなので、「自分の希望を捨ててまで親孝行のために結婚しよう」という発想がそもそも凄いと思ってしまう。凄い。私はそこまで、両親を愛せない。 家族というシステムに懐疑的な私だが、だからこそ逆に、もしも自分が家庭を持つときは、当に幸せな家庭を築けそうな相手を厳選したいという

    『たいして好きでもない相手と結婚する』人間のことが、理解できた - 自意識高い系男子
    p_shirokuma
    p_shirokuma 2017/03/30
    この文章では、「お互いを好きになる恋愛なるものを経た結婚」「幸福な家庭」が、いつの間にか等号で結ばれている。だが、現実にはそうとも限らない。
  • 『聲の形』が見事に描き切った、コミュニケーションの両義性 - - 自意識高い系男子

    思春期、私たちは他人に興味がありすぎた アニメ映画、『聲の形』を観た。原作も読んでいたけれど、映画版のほうが物語として解りやすく、より大きく心を揺さぶられる作品だったように思う。 この作品は、聴覚障害やいじめといった際どいテーマを扱った作品だが、それを主題としたいわゆる「社会派作品」ではない。これらテーマを通じ、思春期の若者特有の繊細なコミュニケーションを、最良の側面から最悪の側面まであらゆる角度から描写した「青春群像劇」だ。 この作品を観て私が思い出したのは、思春期の時代、私を含めた周りの誰もが持っていた、「他人への強すぎる興味と執着心」。そしてそれが引き起こす、コミュニケーションの面倒臭さだ。 この年頃の少年少女たちは、皆、他人に興味がありすぎる。クラスメイトの何気ない一挙手一投足にすら過剰な意味を見出しては面白がり、他人からの自分への視線に過剰な不安を掻き立てられる。 クラスの中で自

    『聲の形』が見事に描き切った、コミュニケーションの両義性 - - 自意識高い系男子