現象学批判 加藤尚武(京都大学文学部) 現象学者と呼ばれる哲学者が何かを書いたり語ったりする。だいたいは彼らの仕事 は文字で書かれる。たとえば「リアルな存在者であれ、イデア的な存在者であれ、あら ゆる種類の存在者そのものが、<まさに能作によって構成される、超越論的主観性の 形成物>として理解される」(フッサール『デカルト的省察』I、118)という文章を書く。 「物は意識によって形づくられる」という趣旨だと思う。この文章を書くときフッサールは 、物(存在者)とそれを構成する能作との関係を、もしかすると記述している積もりであ ろう。しかし、記述されると見なされている能作と構成物の関係は、フッサール自身の 経験から取られたにちがいない。すると、実際には自分が過去に経験したことを想い 出して書くか、あるいは現在フッサールが経験していることを書くかするのだろう。意識 が対象を構成する作業そのものを、