五姓田 義松(ごせだ よしまつ、安政2年4月28日(1855年6月12日) - 大正4年(1915年)9月4日)は明治期に活躍した画家。 経歴[編集] 1855年、洋画家である五姓田芳柳の次男として江戸で生まれる。1865年、チャールズ・ワーグマンに師事。1874年、川上冬崖の推薦で陸軍士官学校に図画教師として勤務。1876年、工部美術学校に入学しアントニオ・フォンタネージに師事するが翌1877年に退学。同年、第1回内国勧業博覧会の洋画部門に「阿部川富士図」「自画像」を出品し、鳳紋賞を受賞[1]。これは洋画家としては最高賞である。1878年より明治天皇の御付画家として北陸・東海地方の行幸に同行した。 1880年に渡仏し、レオン・ボナに師事。日本人初のサロン・ド・パリ入選作家となる。1889年、アメリカ合衆国を経由して帰国し、明治美術会の創立に携わる。日清戦争にも従軍した。1915年、横浜の