社員向けの英語ブログの3番目のエントリーは、「Software is service: Why is it so hard for software engineers to fully internalize it?」というタイトル。私の会社には、Microsoft、Apple、PalmなどでOSとかIDEなどの開発経験のある優秀なエンジニアが集まっているのだが、伝統的なソフトウェア作りでの成功経験があるからこそなかなか理解してもらえないのが、「Software is Service」の心構えだ。今回のエントリーは、そんな彼らのためのメッセージ。 少し前までのソフトウェア作りのプロセスは、(1)マーケットやテクノロジーのことが分かっている賢い人たちを集め、(2)彼らに作るべきプロダクトをデザインさせ、(3)必要な人員を集めて作り込み、(4)ある程度できたところでベータ版としてリリースし、
躍進するローエンドなオープンソースデータベースに対抗しようと、Oracleが自社のデータベース製品の無償版のリリースを決めた。 Oracleでは米国時間1日に「Oracle 10g Express Edition(Oracle Database XE)」のベータ版を発表し、2005年末までに正式版の提供を開始する予定だ。学生や小規模な組織、Oracleデータベースをアプリケーションと連携させることのできるソフトウェアベンダーなどが、顧客対象となるという。 Oracle Database XEは、同社のほかのデータベース製品ラインアップとは異なり、使用制限が設けられている。同製品は、1プロセッサ、4Gバイトのディスクスペース、1Gバイトのメモリというスペックのサーバ上でしか稼働させられないのだ。 Oracleのサーバ技術部門シニアバイスプレジデントAndrew Mendelsohnは、今回の
デジタル機器関連の展示会「WPC EXPO 2005」の3日目である10月28日、Google東京リサーチセンターオフィスのエンジニアリングディレクター、マグラス・みづ紀氏が「Googleが拓く次のネット社会」と題した講演を行った。Googleの歴史や使命、そしてどんな人達がどうやってサービスを開発しているかを紹介した。 Intel社員のガレージで創業 Googleの歴史は2人の創業者、ラリー・ページ氏とセルゲイ・ブリン氏の出会いに始まる。ページ氏がスタンフォード大学の見学に訪れた時のキャンパスツアーガイドがブリン氏だった。2人はこの最初の出会いの時点で既に尽きないほど話すことがあったという。数カ月後、ページ氏がスタンフォードに入学し、さらに数カ月後、2人はBackRubという記事へのリンクを検索するエンジンを開発する。これがGoogleの検索評価アルゴリズム「PageRank」の元になっ
名刺のデザイン案を作るのに、ドット絵でパソコンに向かうスタッフを描いたのですが、続きを描いてみたくなり、本棚を描き、冷蔵庫を描き、あしかを描き、ホワイトボードを描き、ゴミ箱を描き、色々描いたらオフィスになりました。 機会があったら何かに使おう。
グーグルが教えてくれないAdSenseで本当に儲ける方法。AdSenseで今より確実に数倍儲ける方法を教えます。私がこの「世界一」のマニュアルに出会ったのは忘れもしない2005年7月のことでした。 当時の私は正直とても必死でした。 給料は決して少ない訳ではありませんでしたが、扶養家族の多い私には会社の給料だけでは暮らしていくのがやっとでした。 独身の同僚と昼食をしに行くと、1食1000円を超えるようなところに連れて行かれてしまうので、職場の近くの一番安い弁当屋さんで買い、自分の席で同じ境遇の同僚と「何かいいことないかねー」と、ぼやきながら食事をする毎日。 たまに家族と外食をしに行っても、当然ながら安めのファミレス。しかも子供がドリンクバイキングを注文したいとねだっても、「もったいないからダメ」とあきらめさせなくてはならない。 銀行の預金残高が減ってくると、どうにもならない不安に襲われ、胃が
グーグルの歴史を調べてみました。 参考はGoogle Milestones http://www.google.com/corporate/history.html 1998年以前 ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンはバックリンクを分析するBackRubというサーチエンジンをつくる レゴでプリンターを作ったことで有名だった(どうやったんだ?)ラリーは高価ででかいマシンの代わりにローエンドPCを使って新しい種類のサーバーを作るアイディアをもっていた。 今はビリオネアのGoogle創業者もこの頃は金欠。 1998年 バーゲン価格でハードウェア(テラバイトのディスク)を購入。ラリーの寮の部屋でコンピューターを自作。初のグーグルデータセンター。 ドットコムバブルの真っ最中だったが、ラリーとサーゲイの二人は、会社を作ることに興味はなかった。 新しい検索サービスを必要としているパートナーを探し始める。そ
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