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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (8)

  • ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠

    ニコニコ動画やYouTubeを通して、ゲームリプレイを気軽にみることが出来る時代になった。Civilization4や信長のようなゲームから、改造スーパーマリオのプレイレポートまで、様々なゲームを自分でコントローラを握ることなく眺めることが出来る。気楽といえば気楽なことで、自分で神経を使わなくても、判断をしなくても、ゲームは勝手に進行していく。存外、つまらないと感じることは無い。アルコールを呑みながらでも楽しむことが出来る。 ただ、日常的にゲームを遊ぶ身としては、やっぱりこうやって離れた位置から眺めて喜んでいるだけというのは、娯楽を楽しんでいるとは言えてもゲームを楽しんでいるとは言えないな、とは感じる。やっぱりコントローラ握って*1、己の判断力なり経験蓄積なり動体視力なりを試すのがゲームなのであって、ただ観察に徹しているだけのゲーム視聴には、ゲームを手ずから遊んだという感覚が伴っていない。

    ゲームのリプレイを見るという娯楽は、ゲームという娯楽そのものとはかなり違っている。 - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2008/02/27
    だってゲーム観察が楽しいっていうのはプレイヤーの操作という付加価値が伴ってるわけで・・。あれは一つの創作物だべ。そのうちゲームの操作方法にも著作権付いたりして・・。
  • 優劣を比較しないと安心出来ない心情(と、執着の在処) - シロクマの屑籠

    「豆腐屋は鍛冶屋よりも偉い。」 「中華料理はフランス料理よりもよく出来ている」 「味噌は醤油よりも優れた調味料である。」 こんな事を大声で主張する人というのは、それほど世の中にはいないと思う。 ジャンルの異なる者同士の優劣比較を繰り返さなければ安心できない人というのは*1、不誠実な煽動家にあらずんば、かわいそうな人なのかな、と僕は思いたくなる。異なるジャンル、異なるクラスタにはそれぞれの特徴や長所短所はあるだろうけれど、それらを一緒くたにして全体の優劣を論じることは極めて困難というか、しばしば不毛に近い。 こういう不毛な比較は、例として飲店や料理カテゴリの比較を挙げる場合にはかなり多くの人が納得してくれるのだが、「ラノベと携帯小説」とか「千葉県某所のテーマパークファンとコミケオタク」とかいった、文化ニッチや文化クラスタを並べると、とたんに感情的になる人が現れてくる。興味深い現象だ。 …

    優劣を比較しないと安心出来ない心情(と、執着の在処) - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2008/02/20
    仮に両者内の片方の存在がなくなってしまうとした時で、かつ片方を絶対選択しなければならないとした時に自分がどちらを選ぶかを自分にとってのそのものの優劣としている。(存在の価値を土台に置く。)
  • おっさんの懐古アイテムとしてのドラクエ4 - シロクマの屑籠

    ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス発売日: 2007/11/22メディア: Video Game購入: 7人 クリック: 215回この商品を含むブログ (546件) を見る 「おっさんの懐古アイテムとしての」という修飾語をつけると、ドラクエ4がなんだかかわいそうにに思えてくる。しかし、かつて小学校〜中学校時代にドラクエ4をリアルタイムで経験した私達の世代にとって、どうやったってドラクエ4は未来よりも過去の領域に位置づけられるゲームでなわけで、過去のプレイを回想しながらのリプレイというニュアンスを免れない。「昔はこんなだったよな」と思いながらこの歴史的名作をもう一度噛みしめるのは歳をくった者の特権でもあり、また同時に逃れることの困難なとらわれでもある。 ドラクエ4が生まれて初めてプレイしたRPGだったという人達や一番楽しかった頃にドラクエ4をプレ

    おっさんの懐古アイテムとしてのドラクエ4 - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2007/12/04
    それはそれで、やっぱり、ドラクエ4は面白いですよ。自分もリアルタイムでやってました。小学生のころかな・・。
  • 「ごめんなさい」が言えない大人達 - シロクマの屑籠

    「あなたは、身近な人に「ごめんなさい」が言える大人になりましたか?」 確かに、素直に自分の非を認めることの難しい世の中かもしれない。非を認めれば謝った以上のことまで突きまわされたり、責任の程度問題を度外視した見返りを突きつけられる世知辛さがあるかもしれない。でも、そういうのは公の空間でのやりとりや他人同士の商取引的関係のなかでは致し方ないかもしれないけれども、親子関係や兄弟や友人関係においてはどうだろうか。そんなことは無いと思いたいのだが。 パブリックなニュアンスの強い関係や、商取引的なニュアンスの強い関係において、「ごめんなさい」を口にすることがそれなりの困難さと覚悟を要するというのは分かる。けれど、もっと身近な関係や互助的ニュアンスの強い関係のなかでも「ごめんなさい」と言えない大人がどうやら沢山潜んでいるようにみえるのだ。まるで知識だけは一人前の子どものように、誤りを指摘されても言い訳

    「ごめんなさい」が言えない大人達 - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2007/11/16
    「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」11回も言えた・・。
  • ジャングルは天国 - シロクマの屑籠

    ネット上の或る界隈では、「ジャングルは地獄」、という言葉をよく聞く。「Aをやる奴はBだ!Aをやらない奴はよく訓練されたBだ!」という論法で、相手がAをやろうがやるまいがBであると決めつけるようなやり口を「ジャングルは地獄」と呼ぶらしい。例えば「被ブックマーク数にこだわるのは執着だ!」「被ブックマーク数にこだわないのはよく訓練された執着だ!」という論法をもってすれば、「どうこう言おうが貴様はブックマーク亡者なんだよ」という決め付けを押し付けることが出来る。どうやろうともアクセス亡者。これはひどい。 だが、「どっちに転んでもお前は○○」という決め付けを、自分自身に適用して思い込めるなら、逆にジャングルは天国、になるんじゃなかろうか。例えばブックマークの数に関しては、以下のような思い込みを働かせることが出来れば、常に頭のなかはβエンドルフィンでお花畑になれる、はず。 「俺のエントリがブックマーク

    ジャングルは天国 - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2007/11/01
    解答欄を、2者択一なように見せかけて、勝手に押し付ける方法?
  • 適度にdisられるのは乾布摩擦のようなもの - シロクマの屑籠(汎適所属)

    世の中には、言及対象を非難したり、アホだの馬鹿だの罵ってさえいれば言及対象にダメージが最低でも1ぐらいは通ると思っている人があるかもしれない。少なくとも、何がしかの妨げになるんじゃないか、何もしないよりは嫌がらせになるんじゃないか、というような考え方である。 しかし、実際はどうだろう?下手くそなdis*1、論点をそっちのけに感情をむき出しにしているだけのdis、などなどを繰り返したところで、相手を喜ばせるだけ、ということもあるのではないだろうか。あまつさえ、相手の立場を強化する良いサンプルとして陳列されてしまうことさえ考えられる。歯茎をむき出しにしたdisりが自らの身を焼くリスクは高いにも関わらず、である。 少なくとも私は、そういうタイプの適度に脆弱なdis、要所を弁えぬままに感情の発散や不安の防衛に終始する烏合のdisのうちに、乾布摩擦のような効果を感じることがある。自分自身のエントリを

    適度にdisられるのは乾布摩擦のようなもの - シロクマの屑籠(汎適所属)
    penkun
    penkun 2007/10/24
    「言及対象にダメージが最低でも1ぐらいは通ると思っている人があるかもしれない。」癒しの杖で殴っているようなもの?緑色の数字がでます。(アンデッドなやつには、逆効果です。)
  • 極端な平等主義者の怖さ - シロクマの屑籠

    平等な状況、というものは自然状態では持続しない。任意の瞬間、平等と呼ぶに十分な状態が形成された時、その平等状態を構成する各人なり各個体なりに僅かでも差異が含まれる限り、一般に平等は時間経過とともに崩壊し、差異化は推進される。 そりゃまあ、各個人・各個体のスペックや性別や位置関係が全く平等であれば、理論上、平等は永遠に平等を保ち続けると思うし、むしろその平等状態から差異を誘導することは不可能っぽいわけだが、娑婆の人間は腕力・知力・胆力も、生まれた年も、生きている場所も様々なわけで、各個人・各個体の所有する能力や座標軸はあまりにもバラバラで、みせかけの平等なり、平等に類似した状態なりを人為的につくりだしたとしても、それが時間とともに崩壊することは明らかだ。 となると、各個人・各個体間にこれほどのばらつきがある娑婆世界で平等/平等類似状態を一定の枠内であっても維持しようとする場合、平等の枠からは

    極端な平等主義者の怖さ - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2007/10/15
    自然界に存在しない概念のひとつ。それが、「平等」である?
  • はてな村の狼少年 - シロクマの屑籠

    はてな村にはいろいろな獣が出て、人を襲うと言われています。今日もカラス・モヒカン・野犬・ゴリラといった連中が村内を徘徊しては、いたいけな犠牲者をい物にしようと目をギラギラさせています。寒冷地域には白熊や鯱も出るらしく、凶暴な奴らを退治せんと討伐団が形成されることもあるようです。 もちろん、村民達もケダモノどもを放っておいているわけではありません。獣が出たら窓の鎧戸を閉ざしたり、陰から猟銃で狙撃したりと対策には余念がありません。数の陶しいカラスやイナゴに対しても、枝豆畑に目玉をつるしてみたり、ヘリコプターから殺虫剤を散布してみたり、いろいろ頑張っているようです。獣に襲われた時にも、「私は凶暴な獣に襲われています!ほらみてください!獣たちはこんなに凶暴なんです!」と絶叫すればすぐに村人が集まってきて、暴悪な侵入者に武器を持って立ち上がります。 一方、はてな村には狼少年も住んでいるようです。

    はてな村の狼少年 - シロクマの屑籠
    penkun
    penkun 2007/10/06
    「はてな村の人たちは、決して少年を助けようとしません。なぜなら、村人こそが、その狼だったからです・・。」
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