たぶん山田風太郎の『人間臨終図巻』あたりからだろう、晩年の武者小路実篤は耄碌してリピート癖のつよい文章になったように評されるようになった。それは別に間違いとも言えないが、もともとその傾向は強かった、というかそれが売り(?)の作家だったような気もする。 たまたま、実篤26歳の時の小説『お目出たき人』を何度目かの再読中、好例が見つかったので引用しておきます。コーヒー吹いた。 逢いたい、どうかわってるか知らんと思う。そのとき自分は今日は金曜日だということに気がついた。自分はなかなかの迷信家だ、人知を信じない自分は運命を信じたくなる。運命に頼りきれるほどには信じていないがかなり信じている。したがってかなりの迷信家だ。打ち消しながら信じている。少なくとも気にかかる。 金曜は西洋人が忌むと自分は聞いている。それで二三年前から彼女に逢いたいときでも金曜日だとなるべく逢いに出かけないようにしている。しかし