老作曲家は再びペンを執った。譜面ではなく、悲劇を書きとめるために。茅ケ崎市松浪に住む鈴木庸一さん(80)は、あの街が焼き尽くされた一日を忘れない。29日に迎えた横浜大空襲から65年の節目。「何が悲しかったか。それは心がすさんでしまったことだ」。被災者の一人で、かつて、かのため息で一世を風靡(ふうび)した「伊勢佐木町ブルース」の作者がつづった「5・29」―。 今思うに、十四歳の中学生が、素手で熱い遺体を動かすことなんてできるかしら。これも戦時中の“ごっつい”精神力のなせる業だったのかもしれない。悲しいことだ。 原稿をそう締めくくった。400字詰め7枚半。発表のあてがあったわけではない。「生きてあと2、3年と思ってね」。妻に先立たれ、曲はもう何年も書いてない。 あの日、横浜市南区の関東学院中学部の校庭にいた。空襲警報。焼夷(しょうい)弾の雨。迫る猛火。群衆の阿鼻(あび)叫喚。なお鮮明な記