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2010年6月1日のブックマーク (3件)

  • 市民の皆様へ: 農場に近づかないでください

    知事は法に則って口蹄疫撲滅に努めるべきである 鹿児島大学 岡嘉六 「政治の世界は一寸先が闇」とは良く言ったものであり、「埋却地が見つからない」と発言していた某知事の真意が某大臣によって明かされた。「(殺処分した牛や豚の)埋却地についても、こちらは『とにかく早く埋めさせて』と求めたが(県などは)『(土地使用の対価となる)金の問題が片づくまで』と、少し認識が違っていた」と毎日新聞は伝えている。拡大防止よりも政府からどれだけ金を引き出すかに某知事は腐心してきたのであり、その様は某国が核開発停止の見返りに最大限の国際援助を引き出そうとした姿と二重写しになる。一方は核、一方は口蹄疫を武器に戦っていたのである。某国特有の手法だと思っていたが、某県知事も危険な脅しのテクニックを駆使していたようである。「何故擬似患畜の処分が進まないのか?」と怪訝に思っていたが、埋却地の借り上げ金額だったとは恐れ入った。

  • 「伊勢佐木町ブルース」作曲者がつづる「横浜大空襲」、65年の節目に:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    老作曲家は再びペンを執った。譜面ではなく、悲劇を書きとめるために。茅ケ崎市松浪に住む鈴木庸一さん(80)は、あの街が焼き尽くされた一日を忘れない。29日に迎えた横浜大空襲から65年の節目。「何が悲しかったか。それは心がすさんでしまったことだ」。被災者の一人で、かつて、かのため息で一世を風靡(ふうび)した「伊勢佐木町ブルース」の作者がつづった「5・29」―。 今思うに、十四歳の中学生が、素手で熱い遺体を動かすことなんてできるかしら。これも戦時中の“ごっつい”精神力のなせる業だったのかもしれない。悲しいことだ。 原稿をそう締めくくった。400字詰め7枚半。発表のあてがあったわけではない。「生きてあと2、3年と思ってね」。に先立たれ、曲はもう何年も書いてない。 あの日、横浜市南区の関東学院中学部の校庭にいた。空襲警報。焼夷(しょうい)弾の雨。迫る猛火。群衆の阿鼻(あび)叫喚。なお鮮明な記

  • ある男性の死

    2010年3月22日、ひとりの男性が成田空港からカイロへ向かう途中、搭乗していたエジプト航空機内で死亡した。 男性が搭乗した際、タオルで猿ぐつわをされ、後ろ手に手錠をはめられていた。そのときに男性の意識はすでになかったと、エジプト航空のクルーは語っている。司法解剖の結果、死亡した原因は不明とのこと。しかし遺体の確認に立ち会った未亡人は、男性の顔面に傷があったことを確認している。 男性の名前はアブバカール・アウドゥ・スラジュ、もしくはアブバカル・アウドゥ・スラジュ(Abubakar Awudu Suraj)さんで、享年45歳だった。アフリカのガーナ国籍のスラジさんは、1988年5月に来日、そのときのビザは2週間後に失効している。以来、18年以上不法滞在をしていたが、2006年9月に出入国管理法の疑いで逮捕された。そして同年11月には国外退去を命じられる。しかし同月に日人女性(48)と結婚

    philoyuky
    philoyuky 2010/06/01